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2013年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

40年前、正確な記憶は無いが、寺町二条界隈の小さな家具屋で、収納棚を買った。
縦90×横60×奥40ぐらいのボックス二個だが、当時は組み立て家具というものは無かった。歩きでもあったし、配達してもらえるか60代のおばさんに聞くと、こころよく「はあ、はあ」と二つ返事で、7km程離れた引っ越したばかりの自宅まで配達してくれることになった。

翌日、待っていると、チャイムも無かったので、「ごめん下さい」と、戸が開いて、少し背中の曲がったお爺さんが立っている。こちらも若かったので、年寄りの年の頃がよく分からないのだが、70歳前後のように見えた。

「きのう買わはったお品、お持ちしました」
「あ、ありがとうございます」と言いながら、音がしなかったので車を遠くに止めたのだろうと思いながら表に出て、唖然とした。
自転車の荷台に二個のボックスを重ねて、そのヒモをほどいている。

初夏の炎天を、背中の曲がった人が、この巨大な荷物を載せて7kmも漕いで来たのだ。
何よりも、配達を頼んだことを後悔した。こんな事なら、頼むんじゃなかった。

どう言えば良いのかも分からなくなるほど恐縮するのだが、お爺さんは、怒ったように「どないも、あらしまへん」と、腰のタオルで汗を拭きながら、荷物を降ろすと、その足で帰ってしまった。

近頃は自転車ブームで、年寄りもドロップハンドルで、ツーリングしているが、まさか、こんな巨大な荷物を運ぶ人はいないだろうし、70歳ぐらいで背の曲がった人も見かけなくなった。

温故知新
40年前でも、配達と言えば車に決まっていた時代だ。にもかかわらず、自転車で運んできたのは、きっとこの家具屋さんにとって、当たり前のことだったのだろう。
この人が仕事を始めた頃と言えば、更にその半世紀前、今からほぼ1世紀前の大正末期、昭和初期の頃だ。

この頃の商家の風景は、今では想像もできないが、江戸の雰囲気が濃厚に残っており、今でも地方に行けば時々ある、間口の広い木造の柱の前に、今はサンシェードと呼ぶ暖簾が張られ、そこに当時の文明の利器である自転車が出入りしていた。

自転車は、大八車と共に今の自動車と同じで、あらゆる運搬に使われ、商いは自転車が必需品と決まっていた。終戦直後でも、自転車で運送屋を始め、後に大きな運送会社にした人もいるぐらいだ。

だから、自動車全盛時代になっても、あの家具屋さんは、自転車をつらぬいていたのかも知れない。大きな荷物は運送屋に頼むとしても、タンス一棹程度なら、自転車で充分だったのだろう。
自転車なら、駐車場も要らないし、ガソリンも要らない。とにかく頑張って漕いでいれば目的地に着く。居眠り運転もできないし無公害だ。

近年、駐禁が厳しくなり、運送屋さんも、自転車やリャカーに積み替えて配達している。そこまでするなら、街そのものの構造から変えて、LRTなどの公共交通を中心に、貨物列車を活用し、超小型車や自転車によって人間に優しい街にすべきだろう。
車に慣れてしまっていると、車ありきで、却ってヤヤコシイ生活から逃れられなくなっている。