魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

親の早世

2013年05月14日 | 占いばなし

勘三郎、団十郎と、大名跡が相次いで早世し、これから歌舞伎界はどうなるのだろうと、心配されている。
物事の実体と推移をよく観察し、見極めないで、「変化」のみに反応する人(マスコミ)が、こういう騒ぎかたをする。

確かに、森の大木が一度に何本も折れると、森が無くなったように感じる。しかし、森には様々な木々が棲息しており、大木が無くなると、たちまち枝葉を広げて繁茂し、大樹に成長していく。

街に威容を誇っていた邸宅も、取り壊され、しばらく経つと、そこに何が建っていたのかさえ忘れてしまう。
機関車や電車が廃止となると皆騒ぐが、新しい電車が走り出せば、昔を懐かしむ人も、便利に利用する。

一つの時代に目を奪われると、次はもう来ないように思えるが、俯瞰して見れば、河の流れが耐えるわけではない。
歌舞伎界も一人の役者で成り立っているものでもないし、時代が求めるものも変わっていく。

世襲が基本の歌舞伎のような世界こそ、世代交代は早いほうがいい。
伝統を守りながら、伝統にとらわれない、当代の芸を打ち立てるには、後継者が、自分で悩むことが何よりも活性剤になる。

親の早死に子の出世
占いで考えても、親が早死にした人は大物になる。親の早死には、占い的にはエネルギーが偏っているためだが、環境論で考えても、自分で何とかしようとする覚悟と自由が生まれる。

生きている親にうるさく言われても、親の思いが伝わるわけではないが、親がいない不安から、却って、自ら熱心に考え学ぼうとするようになる。
それでいて、伝統に従うことを目指すわけだから、言われた型の模倣ではなく、本質的な伝統の心に目覚めることになる。

門外漢の素人には、歌舞伎の伝統の何たるかは解らないが、何の世界であれ、伝統とは、形ではない。形を生成する「あり方」そのものだ。
もう一つ言えば、昔から「三代目に出る」と言われる。勘三郎、団十郎とも、先代は名人、天才の誉れが高い。期待してもよさそうだ。

環境が変化することには、誰でも不安が先立つが、白紙から始めるほど楽なことはない。何であろうと自由に描けるのだ。
今、日本は、と言うより、世界は大きな岐路に立っている。今までの環境が失われることを恐れ、抵抗しているゆとりは無い。また、抵抗する者は大転換の大河に呑み込まれ、押し流されてゆく。

今のような大転換の時代は、過去を捨て、白紙で始める者こそが大きく成長する。日本の場合、工業はわずか50年過去の成功体験を一掃しなければならないし、農林業も全く白紙の大地に踏み出さなければならない。
日本の伝統とは、工業も農業も、2000年前の開拓精神から営々と築いたものであったと改めて思い起こし、王政復古ならぬ瑞穂復古の大号令で、世界に打ち出すべき時がきた。