魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

嬉しい?

2013年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック競技種目の復活候補に、レスリングが残ったと皆喜んでいる。これは喜ぶことだろうか。

野球が除外されるのは解らないでもない。しかし、レスリングはオリンピック精神の象徴のようなものだ。面白いかどうかは関係ない。

レスリングの苦境を、高みの見物をしている確定種目には、オリンピック精神から考えて、はなはだ疑わしいものがある。
取って付けたような、場違いな競技が残っているのに、なぜ、レスリングが苦しまなければならないのか。
オリンピックの夢を信じる人は喜んでいる場合ではない。怒るべし

今日のような、金まみれに堕落した近代オリンピックに、夢を持ち続けることがいかに虚しいか。冷静に考えれば解ることなのに、いまだにオリンピックを信仰する人は少なくないし、実態を知りながら、利用しようとする人もますます増えている。

本当にピュアーなスポーツ精神を愛する人は、世界中から集まって、もう一度、純粋な「オリンピア大祭」を、創設してはどうだろう。
それは、世界巡回興行ではなく、例えばギリシャ固定開催で、オリーブの冠しかもらえないが、ここで勝利しなければ最強とは認められないとする名誉の場だ。

そのためには、先ずは現役の最強選手の協賛が必要だろうが、一度、その前提が生まれると、アスリートの魂に火が付くだろう。
日本の企業も、オリンピックに協賛出資するより、これをバックアップする方が、長い目で見ればよほど効率的だ。経済に苦しむギリシャ政府も喜んで協力するだろう。

サーカス