5月と言えばメーデー。救難信号も「メーデー」と言うのはなぜだろうと辞書を見ると、フランス語の「venez m'aider」から、「m'aider」が「Mayday」の英音になったらしい。
5月1日のMayDayは、元々あった5月祭から、19世紀の労使休戦の日としたのが始めらしい。冬至の鎮魂祭をキリストの誕生日にしたのと、ちょっと似ている。
労働者の祭典としてのメーデーは、産業革命パラダイムに生まれた「時代の祭」だ。資本家に対する労働者の図式も、産革パラダイムに生まれたもので、大転換の今、メーデーも意味が変わりつつある。
何がどのように変わるのか、視点によって違うから一概には言えないが、資本家と労働者の対立構造のような概念では、少なくとも日本では「祭」ができなくなっている。仏教徒がクリスマスを祝うような時代なのだから、メーデーも既に相当変わっているようだ。
そんなこんな、全部くるめて、確かに時代の大転換が進んでいる。
労働者が資本家になれば、労使の休戦日は意味が無い。労働者は存在しても、単純な被害者ではない。
ほんの50年前は、対立構造の中で、「立ち上がる労働者」がカッコ良く見えた。
しかし今、同じ図式でものを言う人が気の毒に見える。あるいは、何でもかんでも、対立構造にしようとする人が情けなく見える。
単純な敵がいなくなってしまった時代。必然的に大転換が始まる。
ところが、すべてが労働者だったはずの中国のような国が、産革パラダイムに参加したことで、逆に、古典的な労使の構造を生み出した。国民は共産党に搾取されている。
しかも、国家という単一の使用者だから、極めてハッキリした図式だ。この解りやすさは、外に対しても、帝国主義の姿を解りやすく再現する。さらなる富の拡大のために、富を軍備につぎ込んでいる。
情報を遮断して国民を洗脳し、殖産興業、富国強兵、四面楚歌・・・
どこかで見たような・・・完全に周回遅れのゾンビだ。
共産党幹部は、中国人民から富を吸い上げ、国外逃亡しようとし、軍人は兵器を手にして興奮が止まらない。
1世紀前には新聞とラジオしか無かったが、今はテレビとネットがある。
経済混乱などちょっとしたきっかけで、情報管制が破れた途端、ゾンビの膿疱がパンクする・・・ 世界中が、ウミだらけの大混乱だ。
「メーデー、メーデー、メーデー」