魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

理路整然

2013年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの投資ファンドMRIが、日本国内だけを対象に資金を集めて、資産がまるっきり残ってないという、詐欺事件が起こった。

この詐欺事件の被害者は、ほとんどの人が、投資やファンドに詳しい経験者だったそうだ。したがって、内容も良く吟味し、ファンド側にも詳細を尋ね、各々納得し、投資したのだという。
ファンド側は、投資顧客をラスベガスに無料招待し、配当も払っていたという。

金儲けを期待した詐欺事件に対して世の中は冷たい。たいてい、欲にくらんで「ダマされる奴が悪い」に流れてしまう。
誰でも、不覚を取ることがあるから、ダマされる奴がバカとは思わないが、詐欺を見抜く基本的なポイントについて考えてみたい。

今度の事件に関して、元本保証や非常識な高配当など、疑うべき投資の常識を指摘する意見もあれば、西海岸のマルチ詐欺で知られる宗教集団など、相手の情報から「うさん臭い」と知るべきだとかの意見もある。

こうした「知識」で、正体を知る方法なら、被害者も追求した、配当の仕組み検証とたいして変わらない。要は、知っているか知っていないかの違いで、よく競馬で、「厩舎スジの裏情報があれば当たる」と信じる人のようなものだ。知らない奴がバカという話だ。

スジの通った話は要注意
しかし、詐欺は知識と論理の世界だ。知識があり、その用い方を知っていると却って引っかかる。
詐欺を知るには、知識を越えた「実体」を見極めなければならない。
一見美しい、疑いようのない論理的な話こそ怪しい。そして、さらに、過剰な体裁デコレーションの存在に気づくことだ。

手品や詐欺師に引っかかるのは、そのものズバリ、話題の中心に着目するからで、出てきた物が確かかどうかより、「何でこれが出てきたのか」と考えるべきだ。
手品師が「間違いないですね?同じカードですね?」と確認させるのはなぜなのか。本当に必要なステップか考えてみる必要がある。

今回のMRIの場合、どう考えても不必要な行為は、「ラスベガス招待」だ。ファンドと投資者、双方の目的は金儲けだ。
どんな理由であれ、接待の必要は無い。接待に使う金があるなら、少しでも配当に回せば良いはずだ。お互いはそういう関係のハズだ。

互いが共同事業をするための意思疎通として、接待が必要な場合も無いことは無い。しかし、ファンドは純粋に金を増やすのが仕事だ。
利益を出すために、必要の無い行為が出てきたところで、「おかしい」と考えるべきだ。

「うそ」を論理で見抜くのは極めて難しい。「うそ」は論破されないように創られている。
しかし、その中核の「論理」とは無関係なところに、真実はちゃんと存在している。中途半端に、知識や論理に関心がある人の方が、引っかかる。カナヅチは泳がないから溺れないが、少し泳げる人は泳ぐから溺れる。

ウソが嘘