魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

虫の世界

2013年05月06日 | 兄弟関係

今日は暖かく、うかつに保温下着を着て出かけて、汗ブルになった。
明日は一転、また寒いそうだ。
以前、「虫人間」でも書いたが、寒暖の差「3度」は、人間の感覚、感情、行動を変える。

何度かではなく、何度「変化した」かが、人間を動かす。
人間は、人間自身が思っているより単純だ。ほんの少し冷静に考えれば解るようなことを、一瞬の感覚に惑わされ、自分でも後で不思議な程、「バカなこと」をしてしまう。

衝動買いも、振り込め詐欺も、一瞬の「不覚」に陥ることで起こる。
「不覚」とは自覚を失うことで、正しい認識による思慮より、「感覚」に囚われて判断を誤る状態だ。

しかも、感覚にはすぐ慣れるから、良い状態も悪い状態も気にならなくなる。だから、感覚に敏感なのは、変わった刺激を受けた瞬間だけだ。
敏感さは、危険から身を守るために備わっている反応だろうが、刺激に過剰反応すると、むしろ、危険を招くことになる。

不覚を取った人のことを、みなバカにするが、むしろ、バカなことをするのが人間の本来の姿なのだろう。
集団としての人間は、極めて「変化」に敏感だ。

日銀の思慮ある金融政策に、一向に反応しなかった株価が、無分別な、「どんどんお札を刷る」の一言に反応した。
市場が求めるものは、常に「サプライズ」だ。
刺激のある変化で、思慮あるマンネリではない。

国も感情で動いている
互いに牽制しあいながら、知識教養で思慮深くなった日本でさえ、こうなのだから、二者択一で動く中国のような社会は、表向き押さえ込んでいても、ちょっとした刺激で、もっと激情的に動く。(日本の株価に火を付けたのも外資だが)

コントロールの効かない韓国のような社会は、ちょっとした変化で、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
何か起こった時(常に起こっているが)、とりあえず大声で走り回る韓国社会やマスコミの様相は、兄弟関係の末っ子の典型だ。

答えが解らない時、考えないで、信号弾を上げて他人の反応を見る。
そして、周囲の反応次第で、都合の良い意見を採り上げたり、実力者に頼る。自分を捨てて、他力を利用する。

韓流の魅力とは、末っ子の愛らしさだ。冷静に考えれば有り得ないようなことを、笑いや媚びで許してしまう。
笑いや涙は、「変化=一瞬の刺激」によって起こるもので、論理の成立しない世界だ。「らしさ」「かわいそう」で直情を刺激し、思考停止させられる。実力者の後にかわいげで従い便乗し、自分が本家だと信じ込み自慢する。

長子中国には、こんな可愛げは無い。直情的でありながら、と言うより、直情的だからこそ「感覚=見たまんまの事実」を嫌い、独善的な原理原則の立前を叫ぶ。そして、激情的にそれを実行して、後に引けなくなる。

一人っ子日本は、常に内省的で、相手の感情行動にも自分が悩み込んでしまう。反省して反省して、ガマンしてガマンして、ある日、突然ぶちぎれる。ぶちぎれた一人っ子は、手加減を知らない破れかぶれの突撃をする。

いま、解らなくて、悩んでいるのは、日本は既に「キレた」のだろうかと言うことだ。