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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今夜の夕食は、鰻にした。
COVID Day3には全く山椒が香らなかったころもん氏であったが、
きょうはちゃんと味わうことができ、「美味い」と言っていた。
良かった良かった。

数日前には、私が「燃えるゴミ」を出す前に小バエ防止スプレーをかけたのを
「なんの匂いや?」
と廊下に出てきただけで指摘したこともあった。
嗅覚が着実に戻って来ている様子で、有り難いことだった。

本人の実感としては、コロナ発病後数日から嗅覚が全くだめになり、
しばらくは全く匂いのない(しかし味覚はある)世界に暮らしていて、
ホットコーヒーなど、「苦いだけのお湯」状態だったが、
その状態で10日ほど経ったところで、
カレー粉やヴェポラッブなどの強い香りがわかるようになり

その後は、「よくわかる匂いと、そうでもない匂いがある」ようになった。
キムチなど、全体としては香りが強いので、キムチの匂いだとはわかるが、
その「匂い」の中身は、本来のキムチでなく、なにか欠けている要素があり、
キムチの匂いとしてどうも違和感がある、というのが本人の感想だった。

それから、鼻を近づけてもわからない匂いも、食事中に口内から鼻へ抜けると、
ちゃんと感じられる、という言い方をするようにもなった。
そして発病から4週間経った本日時点、嗅覚は以前通りに戻っている感じで、
違和感がなくなったと思う、が、モノによっては、
モトが厳密にどんな匂いだったかと考えてみると、
もう忘れてしまったかもしれず、自信がないような感じも、なくはない、
……と言っていた。

以上、備忘録として(^_^;。

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お盆休みの主人とふたりで、朝から双方の家の墓参りをした。
舅姑の墓のほうはお寺の一画にあり、
きょうは我々以外にも墓参の家族づれが多く、賑わっていた。
ふたりで掃除をし、墓石を磨き、花筒を洗って仏花を供え、
お灯明とお線香をあげて拝んだ。

それから、タクシーでうちの実家のほうの墓に向かい、
こちらは墓苑で、とても綺麗に清掃されていたので
持って来た榊を供えるだけでよく、
ふたり揃って二礼・二拍手・一礼の作法で拝礼した。
どちらの家の墓も、我々より先に誰かが参った形跡はなく、
もしこのあと来る人がいても、墓が綺麗になっているので、
安心して貰えるだろう(=我々が責められることはないだろう)、
とホっとした(^_^;。
やはりね、特に実家のほうはうちが本家だからね、
親戚に先んじて参っておかないと、あとあと、ね……(汗)。

その間、タクシーにはそのまま待っていて貰ったので、
墓参りのあと乗り直して、墓苑からすぐ近くにある、
両親のいる某有料老人ホームに行った。
6月に父が救急搬送されて某脳外科病院に行ったときに、
主人も一緒に来てくれたので、父の様子は主人もわかっていたが、
母に関しては、結構、久しぶりの面会となった。

母は目が覚めていて、我々が入って行くとすぐにわかり、
ベッドに寝たままの姿ではあったが、
「まあまあ、ご無沙汰いたしまして。こんなことで、すみませんね」
と愛想良く、主人に挨拶した。

ころもん「こちらこそ、お久しぶりです。お加減いかがですか」
母「ええ、ええ、まあトシですからね」
私「トシとったんは、なおらんな」
ころもん「落ち着かれたようで、良かったですね」
母「ええ、まあ、あなた、本当に、お元気そうですね」
ころもん「いえいえ(^_^;、それほどでもないんですが」
母「何かこう、全身から、元気というか勢いが見える感じですよ」

私「その後、具合は良いんかね」
母「ふん。だんだんに、ようなって来た感じするね。まあ今回はね、
 売薬やねんけど、バカにしたもんでない、よう効いてね。
 また説明してくれる人も、納得できる、ええ説明をしてくれて
 私ら、ああいう話を聞きゃよう理解できるからね、良かったよ」
私「ほうなん。体に合うた薬を、ええ薬剤師さんが、出してくれてんな」
母「そういうことや」

発熱して受診し肺炎と診断されたのに、市販薬を飲んだという、
このあたりの話は、正しくはなかろうと思ったが、
母が良いと思っているなら、無問題であった。
9日に発熱したあと、変更になった抗生剤が奏功しているということだろう。
父はよく寝ていたが、スタッフさんのお話では両親ともに、
昼食は完食できたとのことで、調子は悪くはなさそうだった。

母が少し寒いというので、エアコンのリモコンを見たら、
24度設定(!)の除湿冷房になっていたので、26度まで上げておいた。
母の額に触れてみたが、熱はなさそうで、悪寒ではなく、
やはり冷えすぎていたようだった。
熱中症は怖いが、24度ってヤリ過ぎでは(^_^;。
どうしてこうなった?「暑い」という苦情があったのかな(^_^;?

ということで、お盆の両家の墓参り&両親の見舞い、終了。
高齢ゆえ、両親に関しては明日以降がどうなるか何の保証もないが、
とりあえず本日の任務は完了した(^_^;。
住み替え』の件は、まだあれからどこからも連絡が無いが、
お盆明けには進展があるだろうか。

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台風接近の中、帰省ラッシュがピーク 新幹線は乗車率200%も(朝日新聞 2023年8月11日 12時00分)
『夏休みの帰省ラッシュが11日、ピークを迎えた。JR各社の指定席予約がコロナ禍前(2018年)の9割超まで回復する中、各地の新幹線の駅は故郷や旅行へと向かう乗客らで混み合った。』『東京都台東区の会社員の女性(42)は、大阪市内の実家に帰省する。最近、職場など身の回りで新型コロナウイルスの感染者が増えてきたという。マスクを付けて消毒用のアルコールも持参。「移動中も感染対策に気を付けたい」と語った。』『JR東日本、東海によると、この日午前に東京駅を出発する東北、北陸新幹線や東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」の指定席は満席。下り自由席の乗車率は、「のぞみ」で110~200%に達したほか、東北・上越・北陸新幹線の多くで100%を超えた。』

娘は、会社のお盆休みが特に長い訳ではないので、
もともと帰省しないことになっていたのだが、大正解であった。
混雑がいやなら、盆や正月、大型連休は長距離移動などしないのが賢明だ。
更に今回は、台風7号の接近を懸念して、
JR東海が、列車減便の可能性があると発表しており、
短い休暇をやりくりして動くのが、いつもより難しい状況になっている。

こういう帰省ラッシュの記事を読む度に私は、
混むとわかっている時期に、どうして指定券も持たずに移動するのか、
しかも子連れだったりして、…と以前から疑問に思っているのだが、
忙しい日常では、なかなか出発できる日取りが決まらないのだろうか。
エクスプレス予約などを利用すれば、定価より安く、
幾度でも予約変更できて便利なのに、とも思うのだが、
直前になって予約変更が必要になっても、お盆や大型連休では、
どの便も満席で動かせないだろうから、あまり意味がないのか。
動かれる方々には、どうぞ御安全にと陰ながらお祈りするしかない(汗)。

折しもコロナが感染拡大中だ。
記事中に、マスク着用+消毒用アルコール持参の女性の話が出ており、
お盆の予定が変更できないための、苦肉の策なのだろうと思うが、
混雑した列車に自分だけマスク着用で乗っても、限界が……(汗)。
今どきは暑さもあってノーマスクの人が増えたし、
症状があっても検査を避け、解熱剤等を服用して出歩く人も以前より多い。
「罹っても構わない」「用件が優先なので、罹っても致し方ない」
と思える場合以外は、混み合う場所には近づかないのが無難だろう。

ゆえに、私も原則的に家で過ごすお盆休みだ。
お寺さんと違って、神社関係はお盆行事が無い。
秋祭シーズンが始まるまでは、年中行事としては閑散期なのだ。
総代会の面々も、お盆の墓参りや、御孫さんたちの夏休み行事等で、
それぞれ私的な用事を優先し、御家族と過ごされる方々が多い。
私も、この数日間は、冷房した自室で本を読みつつ、昼寝などもして、
ゆっくりしたいと思っている。

そういえば、先月後半に転夫ころもん氏がコロナ感染して仕事を休み、
私もその間、極力、用事をキャンセルして家で過ごしたら、
右顎関節症が劇的に改善した。
今は、少々開口しようが固いものを噛もうが、顎の痛みは出なくなった。
今回の右顎関節症は、発症したのが正月の途中で、
悪化したのが節分以降も暇にならずに心身の疲労がたまった時期で、
その後、鍼治療で少しずつ改善はしていたのだが、
いきなり完全になおったのは、先月18日以降だった。
やはり多忙とストレスが悪かったのだ、解放されて休むべきだったのだと、
我が意を得たりの心境だ(^_^;。
更に体に良いお盆休みにしたいものだ。

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母がまた発熱して受診をし、またしても肺炎とのことで、
当面、抗生剤を変更して対応することになった、
とさきほど某ホームから電話があった。
入院はしていない。

ここまでの経緯は、
7月8日発熱39度→10日に入院→21日退院、
7月27日発熱38度で受診、抗生剤服用開始、2日ほどで軽快
8月4日発熱38度で受診、抗生剤服用再開、2日ほどで軽快
8月9日発熱、尿量も少なく導尿、抗生剤変更。

抗生剤が効いて熱が下がっているときは外見上は元気になり、
よく食べるし、話もしっかりできるのだが、
この1ヶ月、結局のところ、なおってもまたすぐ肺炎の繰り返しで、
良い状態は保てていない。
もちろん、状態が良くなった途端に薬を止めている筈はないので、
飲みきった頃、次の肺炎が始まる、というペースなのだろう。
今日のは、状態と抗生剤変更の連絡だけで詳細がわからないが、
もしかすると前の薬が終わらないうちに発熱したのかも。

高齢者&認知症の、典型的な誤嚥性肺炎の反復だな(汗)。
このまま耐性菌になれば、抗生剤の切れ味が悪くなるだろう。
しかも母は、10年以上前から血液検査でクレアチニンが高めで、
腎機能が落ちていることがわかっている。
今回は導尿も必要だったということなので、いよいよ全身が老化している。
治療というより、どうすれば母がいちばん楽になるか、という問題だな……。

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私が以前書いたメンズカットの件が記事になっていた。
Reelsを眺めていて、春頃に私が抜群に気に入ったのが、
このLIPPS hair 渋谷の石井里奈さんによる女性のメンズカットだった。
以来、彼女のページを私は欠かさず見るようになった。

“高1女子”がメンズカットにしたら……(ねとらぼ)
女性のメンズカット人気が急上昇(FNNプライムオンライン)

自分が即やってみたい、というのとは少し違って、
「きれいなおねえさんは、好きですか。」を眺める的な。
私が「イイな」と思ったものが、こうして世の中でも支持されているとわかり
とても嬉しく思った。
やはり、イイものはイイのですよね(^^)。

********************

1986年、22歳の夏に小平の下宿の部屋で雑誌non-noを見ていて、
ソバージュやフラッパーでなく、もっとスタイリッシュな何かをやりたい、
と思いながらページをめくっていたところ、ツイストパーマに出会い、
記事に出ていた、原宿に当時あったZUSSOという美容室を予約したのが、
この方面への、私の開眼の始めであった。

そこで私を担当してくださったスタイリストさんが、
後にACQUA代表になられる綾小路竹千代氏であった。
調べてみたら当時の綾小路氏はZUSSO入社2年目の24歳で、
まだまだ本当にお若かった頃だった。
スタイリスト・デビューされて間なしの時期だったのかもしれない。
それゆえにこそ、私などの超「ご新規さん」でも予約できたのだろう(汗)。
のちに有名になる、短髪にバンダナやキャップというスタイルではなくて、
当時は、金色に近い明るい色の長めの髪をしてらした記憶がある。

その日、私は初回だったし、指名も何もしなかったので、
綾小路氏と出会ったのは偶然だった。
non-noで見たイメージを伝え、カットをして貰い、ツイストパーマをかけ、
シャンプー後、一旦アシスタントさんが乾かしてセットしたところで
綾小路氏の再登場となったのだが、手直しやアドバイスだけかと思ったら、
「アシスタントと綾小路さんは違うってところを見せてあげるね!」
と、すきバサミを片手に立ち上がり、
「やるときゃやります竹ちゃんは!」
と凄い勢いで髪全体の細部に手を入れられ、
一気に垢抜けたかたちに仕上げられたのが、たいそう印象的だった。

その日、出来上がりに感嘆し、お礼を言った私の言葉に、
関西弁のイントネーションが出たのを、綾小路氏は聴き逃さず、
「あれ!関西のかたやったん(^^)!?ボクね、京都!」
と急に関西アクセントで言われ、私が生まれは神戸だと言ったら、
「なんや~、ほな、最初から言うてくれたら良かったのに(^^)!」
「ほなら、次に来たときは関西弁で(^^)!」
と、原宿で一瞬、別世界になった、我々であった(^_^;。
こんな些細な瞬間からも、顧客の心を捉えるスタイリストさんであった。
渡された名刺を見て、
「あやのこうじ、たけちよ、さん」
と私が読んだら、
「本名ですよ」
と笑顔で言われた。
当時既に、綾小路竹千代以外の者ではあり得なかった、のだな……。

以後は指名で行くようになり、綾小路氏に5回ほど担当して戴いたのだが、
2回目の帰り道、道玄坂でスカウトマンに声をかけられたことと(爆)、
4回目のときは12月24日の午後に予約を入れ、過激に髪を立てて貰って
RCサクセションの武道館に参戦したことが、特に忘れ難い思い出だ。
最後に、大学の卒業式のために特別にセットして貰いたかったのだが、
うちの学校の立地が田舎過ぎて、朝から原宿に行ったのでは
どうしても時間的に間に合わず、不承不承断念したこともまた、
今でも懐かしい記憶となっている。

その後、私が就職で広島に帰ったので、
ZUSSOに行くこともなくなり、残念ながら繋がりは途絶えてしまった。
カリスマ美容師としての綾小路竹千代氏の御名前を再び目にすることになるのは
それから7~8年後で、1994年設立のヘアーサロンACQUAが大人気となり、
全国のヘアショーで大活躍されることになってからだった。
原宿のZUSSOからあとのことを、私は全然知らなかった訳だが、
その姿は、私にとって少しも意外ではなく、
「ああそうか、あの綾小路さんなら、やっぱりな!」
という納得のほうが大きかった。

そしてきょう、この話を書こうと思って検索していたら、なんと、
綾小路氏が2022年に60歳で、下咽頭がんで亡くなられていたことがわかった。
綾小路竹千代「アクア」会長が逝去 カリスマ美容師ブームをけん引し業界の地位向上に貢献
(2022/09/23公開 WWD)
早口で、テキパキと動き、いつもエネルギッシュであった綾小路氏は、
かたときも停滞することなく、鮮やかに、矢継ぎ早に大事業を成し遂げ、
あっという間に駆け抜けて行かれたのであった。
長女で映像クリエイターの長澤和音さんが制作された、
ドキュメンタリー映像『綾小路竹千代物語』がYouTubeで公開されている。

還暦を超えた私が、いつかもう一度、綾小路氏の予約が取れたならば、
関西弁で過ぎ来し方を語りつつ、思いっきりショートにして戴けないだろうか、
ああ、いや、もう会長の予約なんか、逆立ちしても取れっこないんだよなあ、
……などと、たまに妄想していたのだが、それどころか、
ついに、どんなに望んでも、いかに特別な人でも、決して予約の取れない、
天の彼方の美容師さんに、なってしまわれていたのだった。

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両親がお世話になっている某老人ホームのケアマネさんから、先週、
系列病院の上階フロアがサービス付き高齢者向け住宅になっているので、
そちらへの住み替えを検討してみてはどうだろうかと提案があった。
サ高住というと、私のイメージでは、自立かそれに近い高齢者が
部分的な介護サービスを受けながら、自分たちのペースで暮らすところ、
と思っていたが、このサ高住は介護型で、しかも病院と同じ建物なので、
通院の負担なく、受けられる医療の幅が広がるとのことだった。

介護職員さんがいらっしゃるので、生活介助はこれまで同様に受けられるし、
下の病院から先生や看護師さんが居住区を訪ねて下さることが可能だし、
点滴や酸素吸入などの管理も、条件が揃えば自室で受けられる。
入院となれば、自室から下の病棟に移動するだけだ。
入院中の支払は、サ高住の部屋代と入院費の両方になるが、
それは今のホームでもそうして来たことだし。
母は肺炎の反復が心配であり、父も挙動不審で脳外科の受診回数が増えているので、
なるほど、こちらのほうが今の両親には条件的に合っているかもしれなかった。

それで、早速、ケアマネさんから手配して戴き、
昨日の午後、私はそのサ高住の見学に行って来た。
今お世話になっているホームと同系列なので、中の様子はよく似ていて、
費用的にも今のホームとほぼ同じで、何も違和感は無かった。
これまで通っていた病院の真上に住むことになる、
という点だけが変化であり、改善点であった。
資料によると、入居されているのは介護度4や5の方々が中心で、
両親は介護度3ではあるが、ここなら先々の心配もなさそうだった。

「わかりました。ありがとうございます。お世話になりたいと思います」
と私は即座に決めた。サ高住の相談員のかたは、それでも、
「ご両親ともお話になって、ゆっくりお考えになっても大丈夫ですよ」
と言ってくださったが、実はこの住み替えの話は今回が初めてではないのだ。
昨年秋に両親が相次いで入院したし、6月このかたここまでの1ヶ月半で、
父が救急車2回と通院2回と検査1回、母が入院1回と通院2回があった。
また昨年来、どちらも訪問看護に複数回、入って貰ってもいる。
これまでの、そうした入院騒動や訪問看護の計画の中で、
このサ高住への住み替えの話は、ケアマネさんからも病院側からも、
一度ならず出てはいたのだ。
私にしてみれば、もう決めても良い頃だ、という感じだった。

それに、あの二人と相談などしても、ラチがあかないことはわかっている。
仮に『住み替えをする』という意味内容が理解できたって、
よくわからないことは不安だし面倒に思えて、
「要らん」「またにする」的なことを言うに決まっているのだ。
そして、そう言ったところで、半時間も経てば覚えていない。
だからもういいのだ、私が決める。
きょうだいも居ないし、私が決定すればそれで終了だ。
老化はなおらないから、状況はこの先、悪くなりこそすれ、改善はしない。
今いるホームでも看取りまで視野には入っているのだが、
この先さらに、通院や搬送が頻回になるであろうことを考えると、
住み替えにより、「病院まで行く」という部分だけでも短縮できれば、
それに越したことは無いではないか。

手続や具体的な引越作業の段取りがこの先、必要になって来るが、
それはまた、呼び出されたとき私が応じれば良いことだ。
同系列の施設なので、この先の打ち合わせや聞き取り調査等も、
施設同士でして下さるとのことだった。
サ高住の帰りに、至近距離にある某ホームに寄ったが、
ふたりともほぼ寝ていて、案の定、話にならなかった。
母の肺炎のほうはその後、内服で落ち着いていて、
スタッフさんのお話でも、この2日ほどは平熱で、食事も完食、
状態は良いとのことだった。
抗生剤で回復はするが、薬をやめるともとの肺炎が再燃する、
或いは新たな誤嚥からの感染が再び起こる、
ということではないかと私は思っているのだが、経過をみるほかない。

父は目をあけて私を認め、「一生懸命やっとるよ」と
イミフなことを言っていたが、またすぐ寝入った。
一生懸命、生きている、のかな(^_^;。
90代も半ばになると、ホントに、息しているだけでも一生懸命よね。
全部私がやるから、寝てていいよ(^_^;。

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母94歳が7月10日に肺炎で入院し、21日に退院したのだが、
その後一週間ほどしてまた、湿った咳が出始め、38度超の熱が出た。
前回入院時から、肺炎を繰り返す可能性については説明されていたので、
残念ではあったが、ある程度、予想できていたことでもあった。
とりあえず、そのときは外来受診で抗生剤を処方され、
有り難いことにそれで軽快した。
私が1日に見舞ったときも、母は外見上は元気そうだった。

しかし、きょうもまた38度ほど発熱があり、
またしても、昼前に外来を受診することになった。
案の定、肺炎で、通常ならば入院となる状態ではあったが、
これまでと違ったのは、今回は
「入院適応だが、今、満床で受け入れられない」
と言われたことだった。

母本人はコロナやインフルはずっと検査陰性で、
ほかに悪いところもないので、おそらくは誤嚥性肺炎だろう。
長生きすれば誰しも最後に行き着くのは誤嚥だから、致し方ない。
トシもトシだし、老化は治療できないと私は納得してはいる。
無理矢理にでも今、母の治療をして助けて貰わねば、
などとは、もはや思っていない、のだが、私が何かを選択する前に、
ベッドがないから今日はとりあえず帰って貰う、
とハナから言われたのは初めてだった。
医療逼迫、やはりキテいる、のではないか(汗)。

週末でもあるので、抗生剤内服で母は様子を見ることになった。
月曜になっても悪ければ、またそのとき考える、とのことだった。

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6月25日に受験したスペイン語技能検定6級の、合格通知が来た。
合格基準点70点のところ、86点での合格だった。
基礎の基礎である6級だし、長い学習歴を考えるとお粗末な点数だが、
でも合格したのはやはり嬉しい。ここは素直に喜んでおこう(^^)。

 

受験した頃に、ネットでいろいろ体験記を読んでみたところ、
スペイン語検定の結果通知は、合格したときは大きな封筒で、
不合格のときは普通サイズの薄い封筒で来る、と書いてあったので、
郵便受けに、日本スペイン協会の、黄色いA4サイズ封筒を発見したとき、
「ウかったのね(^_^;」と開封しなくてもわかった。

同封の結果通知書の末尾にも明記されていることだが、この検定は、
平均点や合格率、受験者数等のデータを公表しないことになっている。
問題用紙は会場で回収されるし、模範解答の配布や掲載もなく、
大まかな対策本は市販されているのみで、過去問の販売も無い。
ちょっと今時珍しい情報の無さだなと、いろいろ思うところがあった。

それでも、試験を受けるために準備することや、
試験中に少しでも良い解答をしようと記憶を総動員して頑張ること等で、
スペイン語の知識がよく整理でき、力が伸びたと感じているので、
次の機会があれば5級を受けたいと考えている。
冬季試験は私が個人的に忙し過ぎて駄目なので、
最短で次回は来年の夏季検定になりそうだ。

上記のとおり、非公開情報が多く、対策の立てにくい試験なので、
引き続きラジオ講座『まいにちスペイン語』を丁寧にやるのが、
私にできる、試験対策のメインとなるだろう。
あとは単語帳的なものをひとつやるのが良さそうだ。
今回もかなり語彙力テスト的な感じがしたので。

ともあれ、合格できた(^^)。良かった(^^)。

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