転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



母がまた発熱して受診をし、またしても肺炎とのことで、
当面、抗生剤を変更して対応することになった、
とさきほど某ホームから電話があった。
入院はしていない。

ここまでの経緯は、
7月8日発熱39度→10日に入院→21日退院、
7月27日発熱38度で受診、抗生剤服用開始、2日ほどで軽快
8月4日発熱38度で受診、抗生剤服用再開、2日ほどで軽快
8月9日発熱、尿量も少なく導尿、抗生剤変更。

抗生剤が効いて熱が下がっているときは外見上は元気になり、
よく食べるし、話もしっかりできるのだが、
この1ヶ月、結局のところ、なおってもまたすぐ肺炎の繰り返しで、
良い状態は保てていない。
もちろん、状態が良くなった途端に薬を止めている筈はないので、
飲みきった頃、次の肺炎が始まる、というペースなのだろう。
今日のは、状態と抗生剤変更の連絡だけで詳細がわからないが、
もしかすると前の薬が終わらないうちに発熱したのかも。

高齢者&認知症の、典型的な誤嚥性肺炎の反復だな(汗)。
このまま耐性菌になれば、抗生剤の切れ味が悪くなるだろう。
しかも母は、10年以上前から血液検査でクレアチニンが高めで、
腎機能が落ちていることがわかっている。
今回は導尿も必要だったということなので、いよいよ全身が老化している。
治療というより、どうすれば母がいちばん楽になるか、という問題だな……。

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私が以前書いたメンズカットの件が記事になっていた。
Reelsを眺めていて、春頃に私が抜群に気に入ったのが、
このLIPPS hair 渋谷の石井里奈さんによる女性のメンズカットだった。
以来、彼女のページを私は欠かさず見るようになった。

“高1女子”がメンズカットにしたら……(ねとらぼ)
女性のメンズカット人気が急上昇(FNNプライムオンライン)

自分が即やってみたい、というのとは少し違って、
「きれいなおねえさんは、好きですか。」を眺める的な。
私が「イイな」と思ったものが、こうして世の中でも支持されているとわかり
とても嬉しく思った。
やはり、イイものはイイのですよね(^^)。

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1986年、22歳の夏に小平の下宿の部屋で雑誌non-noを見ていて、
ソバージュやフラッパーでなく、もっとスタイリッシュな何かをやりたい、
と思いながらページをめくっていたところ、ツイストパーマに出会い、
記事に出ていた、原宿に当時あったZUSSOという美容室を予約したのが、
この方面への、私の開眼の始めであった。

そこで私を担当してくださったスタイリストさんが、
後にACQUA代表になられる綾小路竹千代氏であった。
調べてみたら当時の綾小路氏はZUSSO入社2年目の24歳で、
まだまだ本当にお若かった頃だった。
スタイリスト・デビューされて間なしの時期だったのかもしれない。
それゆえにこそ、私などの超「ご新規さん」でも予約できたのだろう(汗)。
のちに有名になる、短髪にバンダナやキャップというスタイルではなくて、
当時は、金色に近い明るい色の長めの髪をしてらした記憶がある。

その日、私は初回だったし、指名も何もしなかったので、
綾小路氏と出会ったのは偶然だった。
non-noで見たイメージを伝え、カットをして貰い、ツイストパーマをかけ、
シャンプー後、一旦アシスタントさんが乾かしてセットしたところで
綾小路氏の再登場となったのだが、手直しやアドバイスだけかと思ったら、
「アシスタントと綾小路さんは違うってところを見せてあげるね!」
と、すきバサミを片手に立ち上がり、
「やるときゃやります竹ちゃんは!」
と凄い勢いで髪全体の細部に手を入れられ、
一気に垢抜けたかたちに仕上げられたのが、たいそう印象的だった。

その日、出来上がりに感嘆し、お礼を言った私の言葉に、
関西弁のイントネーションが出たのを、綾小路氏は聴き逃さず、
「あれ!関西のかたやったん(^^)!?ボクね、京都!」
と急に関西アクセントで言われ、私が生まれは神戸だと言ったら、
「なんや~、ほな、最初から言うてくれたら良かったのに(^^)!」
「ほなら、次に来たときは関西弁で(^^)!」
と、原宿で一瞬、別世界になった、我々であった(^_^;。
こんな些細な瞬間からも、顧客の心を捉えるスタイリストさんであった。
渡された名刺を見て、
「あやのこうじ、たけちよ、さん」
と私が読んだら、
「本名ですよ」
と笑顔で言われた。
当時既に、綾小路竹千代以外の者ではあり得なかった、のだな……。

以後は指名で行くようになり、綾小路氏に5回ほど担当して戴いたのだが、
2回目の帰り道、道玄坂でスカウトマンに声をかけられたことと(爆)、
4回目のときは12月24日の午後に予約を入れ、過激に髪を立てて貰って
RCサクセションの武道館に参戦したことが、特に忘れ難い思い出だ。
最後に、大学の卒業式のために特別にセットして貰いたかったのだが、
うちの学校の立地が田舎過ぎて、朝から原宿に行ったのでは
どうしても時間的に間に合わず、不承不承断念したこともまた、
今でも懐かしい記憶となっている。

その後、私が就職で広島に帰ったので、
ZUSSOに行くこともなくなり、残念ながら繋がりは途絶えてしまった。
カリスマ美容師としての綾小路竹千代氏の御名前を再び目にすることになるのは
それから7~8年後で、1994年設立のヘアーサロンACQUAが大人気となり、
全国のヘアショーで大活躍されることになってからだった。
原宿のZUSSOからあとのことを、私は全然知らなかった訳だが、
その姿は、私にとって少しも意外ではなく、
「ああそうか、あの綾小路さんなら、やっぱりな!」
という納得のほうが大きかった。

そしてきょう、この話を書こうと思って検索していたら、なんと、
綾小路氏が2022年に60歳で、下咽頭がんで亡くなられていたことがわかった。
綾小路竹千代「アクア」会長が逝去 カリスマ美容師ブームをけん引し業界の地位向上に貢献
(2022/09/23公開 WWD)
早口で、テキパキと動き、いつもエネルギッシュであった綾小路氏は、
かたときも停滞することなく、鮮やかに、矢継ぎ早に大事業を成し遂げ、
あっという間に駆け抜けて行かれたのであった。
長女で映像クリエイターの長澤和音さんが制作された、
ドキュメンタリー映像『綾小路竹千代物語』がYouTubeで公開されている。

還暦を超えた私が、いつかもう一度、綾小路氏の予約が取れたならば、
関西弁で過ぎ来し方を語りつつ、思いっきりショートにして戴けないだろうか、
ああ、いや、もう会長の予約なんか、逆立ちしても取れっこないんだよなあ、
……などと、たまに妄想していたのだが、それどころか、
ついに、どんなに望んでも、いかに特別な人でも、決して予約の取れない、
天の彼方の美容師さんに、なってしまわれていたのだった。

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