起きてみたら雨は降っていなかったので、
これ幸いと、前々からの計画を実行するため、
今朝は7時から家を出て舅宅に向かった。
『計画』というのは、・・・舅宅の可燃ゴミを出すこと(汗)。
舅宅に行くたびに家の中を片付けたり草抜きをしたりして、
『燃えるゴミ』の入った紙袋が縁の下に四個ほどたまっており、
もう限界で、早くコレを収集場所に出してしまいたい、
と先日来、見るたびに思っていたのだ。
しかしゴミは『収集日の朝8時30分までに』出すのが決まりで、
それは当日朝、現地に居ないと出来ないことだった。
それで、娘が高校の宿泊行事で留守の今朝が好機だったのだ。
行ってみると、収集場所は以前より綺麗になっていた。
私が舅宅に住んでいた数年前は、道路の隅のほうにゴミを集め、
カラスさん避けのビニールシートをかけていたものだったが、
今では屋根と金網の壁のついた『ゴミ置き場』がつくられていた。
今朝は、出したい大きな袋が四個もあったので、
私は家からゴミ置き場まで二往復して、無事に可燃ゴミを出し終えた。
良かった(涙)。
それから、舅宅の一階を掃除し、チラシ類を資源ゴミ用にくくって、
押し入れを少し片付け、姑の寝具などをたたんで入れ直した。
この家で私がしばらく一人暮らしをしたら、随分綺麗になるだろうに、
と、つい思ってしまった。
こうやって限られた時間だけ来ても、徹底的な掃除はできないし、
お盆などに家族で来ると、よけい散らかる気がするので(汗)、
私がひとりで、掃除目的でしばらく滞在すべきなのだ。
そして、実家の黒くて古くてデカいアプライトをこの家に持ってきて、
掃除したついでに練習して帰る、なんてことができたら最高だな、
そうしたらもっと私は積極的にこの家に来るようになるだろうな、
などと、私の妄想は果てしなく広がるのだった。
そのあと、御近所さんのひとりから、
町内の某さんご主人が今月初めにお亡くなりになったと伺い、
遅ればせながら、御香典を持ってご挨拶に出向くことにした。
舅が元気だった頃、随分とお世話になっていたし、
舅姑が亡くなったときにも大変よくして下さったお宅だった。
姑が元気だった頃に書いた達筆の『御香典』の袋があったので、
それにお金を入れ、舅愛用のふくさを出して、出かけた。
お宅には運良く奥様がいらして、御香典を出すと大変に恐縮され、
逆にうちのことなど気遣って下さった。
『だんだんと寂しくなりますね』
と奥様も仰ったが、本当にその実感があった。
うちの舅姑も既になく、御近所の顔ぶれも少しずつ入れ替わった。
かつて三十年前、舅が建て売りを買ってこの家に来た頃には、
界隈は若い夫婦世帯が多く、子供の姿がたくさん見られたそうだが、
今や、老夫婦だけになったお宅では大抵、二階の雨戸が閉まっているし、
デイケアやデイサービスの送迎バスが、あちこちの路地を巡っている。
団地にもライフサイクルがちゃんとあるんだな、と思った。
・・・そんなこんなで、一仕事終えて夕方になった気分で
バスに乗って中区に戻ってきたのだが、まだ昼過ぎだった。
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