転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



もしかしたら県外の大学を受けてみたいかも、
などと、娘が最近、言うようになったので、
それなら、まず何よりも、ひとりで朝起きられないと話にならない、
と私が言い、この春休みに、娘専用の目覚まし時計を買った。
娘は、生半可な起こし方では絶対に目覚めないので、
ジリリリリリリリ~!!!
と、神経に突き刺さる、強烈な音で鳴るヤツを選び、それを、
寝床から一旦立ち上がらないと手の届かない場所に置くことにした。

それでこのところ毎朝、この目覚ましが家じゅうに響き渡り、
どうかすると二十秒くらい鳴り続けたあと、ようやく止まる、
ということが繰り返されている。
止めたあと再度、布団に入り直して寝るのでは、と私は懸念していたが、
幸い、春休み以来きょうまでのところ、そのようなことは無い。
何はともあれ、私が頼んだりオドしたり叫んだりしなくても、
とうとう娘は、自分で起きられるようになったのだ。
凄い、凄い進歩だ(滂沱)。

私自身は、勝手に起きて勝手に支度する娘だったので、
このたぐいの心配を親にさせたことがなかった
(ほかの心配は大いにさせたと思うけれど)。
私が東京で下宿生活をすると決めたときも、親の心配は、
『変な(←どんな?)仲間が出来て、二度と故郷に戻らなくなるのでは』
ということだけで、「朝起きられないのでは」とは考えもしなかった筈だ。

私はひとりっ子で育って、家でもいつも独りだったため、
下宿での独り暮らしは、最初から全くなんともなかった。
きょうだいで笑い転げたり、盛大に喧嘩したりして暮らしていたら、
朝目覚めても夕方帰宅しても自分ひとり、という下宿生活を、
もしかしたら最初くらいは、寂しく思ったかもしれないが、
私は中学生の頃から、帰宅したら自分ひとりで過ごす毎日に慣れていた。
それどころか下宿となると、真夜中に帰ろうとやかましく言う親がいないし、
友人たちと時間構わず互いの部屋で喋れるし、最高だと思った。
ただ、食事だけは、待っていれば御飯が出て来る実家のありがたさを、
下宿ではしみじみと感じた。
私は当時から、料理をするのが何より嫌いだったのだ。
だから夕食まで学食で済ませたり、ホカ弁買ったりはしましたけど(^_^;。

主人なんか、私同様ひとりっ子で育って、やはり東京で下宿したのだが、
私などよりずっとエラくて、東京へ出発する日の朝、姑に向かって、
「ワシは、これで独立するから。きょうからは自分でやっていくから」
と宣言したということだ。
姑はそのとき、息子の成長を目の当たりにして、
『そうだった。この子は、これから自分で一人前になろうとしているのだ。
私の親としての務めも、終わるのだ』と思った、
と後々、語っていた。これは姑から私が直接に聞いた話だ。

あまり良くできているので、それは姑の妄想か創作だったのでは、
と私は、微かに、疑っているのだが・・・

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