転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



うちのマンションは3LDKなのだが、もうひとつ、
5畳ちょっとほどの、縦長の「サービス・ルーム」なる部屋がある。
採光の問題のために正式な一部屋とは数えられておらず、
ここを納戸として使用されるご家庭もあるようだが、
部屋のつくりとしては、床も壁も、物置仕様ではなく普通の洋間だ。
それで昨日、私は一念発起してここを片付け、私の居場所をつくった。

この思いつきそのものはかなり以前からあり、
既にピアノは春頃にここへ移してあったのだが、
そのあと実にいろいろなことがあり、心身の余裕もなく、
計画が頓挫したまま、こんな晩秋になってしまったのだ。

ああ、ついに、私にも、まがりなりにパソコン部屋が出来た。
主人が「もう使わん」と自分の部屋から出した家具と、
私が長らく通販のバーゲンで買い集めてきた小物とで、
姑息にコーディネート(嘲)した、マイ書斎であるっっ!
入居して三年目の終盤、ついに全部の部屋を
それなりに活用することができるようになった、
と私は心から嬉しく思った。

で、昨日初めて、元・物置だった5畳部屋=マイ書斎で、
夕方から晩までを過ごしてみて、私はひとつ発見をした。
この部屋は、すぐ隣が別のマンションになっているので、
窓と窓がとても近く、むこうの気配が、予想以上によくわかるのだ。
なにしろ、夕方前には、揚げ物をしているらしい調理の香りがし、
夕食後には、一服つけているらしいタバコの微香が漂ってきて
夜になると、バシャーバシャーと入浴するお湯かけの音が聞こえ、
「ごほん、ごっっほん!」というオジさんの咳き込みが響くのだ。
勿論、互いに窓は開けていないのに、だ。
これでも官舎ほどには筒抜けでない、というのが救いだが。

ということは。
私のほうの物音も、あの程度には聞こえている、と思うべきだろう。
ピアノのCDをかけて紅茶を飲んでいる、というあたりはまだ良いが、
「ふぁっくしょん!くしょん!!」とクシャミを不完全に連発したり、
「はははは!何言うてんねん!アホやホンマに!」と馬鹿笑いをしたり、
「♪僕が徹底的に 惚れてるあの娘が 
僕の脳味噌をじゃぶじゃぶ 洗ってる~んだ」
と突然歌い出したり、
………しては、いけないですか、やはり。

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今朝、起きてメールチェックしたら、清志郎仲間の某氏から
「ニュースをもう見られましたか?」。
なななんと、清志郎、まだ部分的にだけど(爆)、ついに復活!!!

昨日、ブッカー・T&THE MG'Sのブルーノート東京のライブで、
いきなりスティーブ・クロッパーに紹介され、
清志郎は、飛び入りでステージに上がり2曲歌ったそうだ。
凄い、さすがはBossだ、Godだ、清志郎!!
記事を見ると、その前日の19日には、
THE WHOの武道館ライブを聴きに行ったとも書いてある。
某所に目撃情報があったのは、正しかったのだな。

忌野清志郎が熱唱、復活ののろし(日刊スポーツ)
『左腸骨に転移したがんのため療養中のロック歌手忌野清志郎(57)が20日、都内のブルーノート東京で、復活ののろしを上げる歌を熱唱した。92年にバンドを組んでいた旧友、米国のR&Bバンド、ブッカーT&THE MG'Sのステージに、飛び入りで上がると、米国R&B歌手ウイルソン・ピケットの名曲「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を歌った。』

清志郎 治療は絶好調♪再び飛び入り熱唱も(Sponichi)
『喉頭(こうとう)がんが腰に転移し、7月から休業中のロック歌手忌野清志郎(57)が20日夜、東京・青山のブルーノート東京を訪れ、スポニチ本紙の取材に「まだ治療中だけど、どんどん良くなってるみたい」と順調に回復していることを告白した。休業後初のインタビューで「曲もいくつか書いている」と説明。ライブにも飛び入りし、またも闘病中にもかかわらずステージで歌った。』『病気の経過について「おかげさまで、どんどん良くなってるみたいで(がん細胞は)小さくなってるみたい」と説明。いまも「週1のペースで通院」しており「放射線治療は終わって次の段階。つらいところもないし、まずはしっかり治してから」。』

清志郎~~~!!
朝から最高だぜYeah!!

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いくら道楽者の私でも、2009年1月の予定はキツ過ぎる、
ということが、改めてわかってきた。
とにかく行きたい演奏会が短期間に重なり過ぎているのだ。

まず、まだチケットは発売されていないようなのだが、
1月16日(金)広島交響楽団 第285回定期演奏会に、
私がかねて贔屓にしているピアニストの三浦友理枝が客演し、
リストのピアノ協奏曲第1番を弾くことになっている。
さらに、1月23日(金)オーケストラアンサンブル金沢の広島公演
プログラムは私のためにあるかというオール・べートーヴェンで、
「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、交響曲第7番
(ソリストはアリス・紗良オット)。
このふたつを聴くため2週連続、平日夜に家を空けるのか!
というだけでも家族に対してかなりツラいものが、もともとあった。

だのに、11月のアタマの急展開で、事態は更に、
当初予想もしなかったとんでもないものになってしまった。
1月19日(月)イーヴォ・ポゴレリチ東京公演!!
なんで来るんだよ、こんなときに!!
ほかの演奏家の公演なら、「無理や」のヒトコトで諦めるしかない日程だが、
よりによって、ポゴレリチなのだ(泣)。
私としては、これは最優先で考える以外に、ないではないか。

ポゴレリチの来日がこんな急に決まるとは考えていなかったので、
私は実は、1月18日(日)ラン・ラン大阪公演のチケットを
既に購入してしまっていた。
やっとラン・ランが聴けるぞ!しかも日曜昼公演、なんて好都合!、
と、大喜びで買っていたのだ(T.T)。

だったら18日に大阪でラン・ランを聴いて、そのまま一泊し、
翌日は大阪から東京へ移動しポゴレリチを聴けば、日程も順序も最高、
・・・と独身時代の私ならむしろこの事態を歓迎したと思うが、
今の私の境遇で二連泊など、どう考えても許されない(涙涙)。
ポゴレリチを聴いたあと広島に日帰りは不可能だし、
かと言って、一旦ランランのあと大阪日帰り・翌日出直して東京、
というのだと、あまりにも交通費が無駄過ぎる。

・・・そーいえば、このうえ、ヴァレンティーナ・リシッツァ
1月に日本に来る
って、誰か言わなかった(T.T)??

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きょう一番嬉しかった記事は、これだ!

どんちゃん画報100号記念インタビュー(地味変)

『どんちゃん画報』というのは、清志郎ファンクラブの会報で、
その100号発行記念としてのインタビューが、ほんの数日前、
11月14日に行われたとのことだ。
で、その写真が公式サイトにUPされていたのだ。
あわせて2009年カレンダーの撮影もあったそうだ。

私は勿論、以前から会員なので、
『清志郎が新しく書き下ろしたイラストの100号記念携帯クリーナー』
が会員には送られてくるという記述にも期待が高まった。
思えば、RCサクセションのファンクラブがなくなって
清志郎単独のファンクラブになって、会報が100冊目か・・・。
実家で探したら第1号から、結構、残っているのではないだろうか。
途中、結婚したり転居したりで途切れた時期もあるのだが、
独身時代のは丹念にファイルしておいたはず。
・・・親に勝手に処分されていなければいいのだが(爆)。

ああ、清志郎の元気そうな様子、相変わらずの笑顔が、
本当に嬉しかったよぅ(涙)。

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特養T園に行った。
姑は、きょうはさっぱりした顔つきで、
私を見ると例によってニコニコと笑ってくれて、
ベッドに寝たままではあったが、体調は良さそうだった。
血圧、体温ともに問題ないと職員さんも仰った。

園の内科の先生がいらっしゃる日だったので
検査結果をもとにお話をして下さったのだが、
今の姑の状態は、良いとは言えないが、
慌てて入院せねばならないような、気管支炎や肺炎などではない、
とのことだった。

炎症反応はじめ、血液検査には基準値から多少外れる項目があり、
基礎疾患があることを考えると、今後、「急変」に類する事態は
可能性としてはいつでも有り得るから、覚悟はして欲しいと言われた。
浮腫や呼吸困難、脳梗塞発作等、いろいろ考えられるそうだ。

しかしそれは、今から入院して徹底的に治療すれば完治するとか、
たくさん手を打っておけば将来の悪化が防げる、というものではなく、
逆に、入院治療の苦痛が本人の心身の負担になる可能性もあるので、
できるところまで、このまま、慣れた生活環境の中で見守っていく、
という方針でどうだろうか、とのことだった。

それについては、特養は病院とは違うので、設備もないし、
法的な制約のため、注射や点滴が即座に出来ないこともあるし、
緊急時の対応は、病院には明らかに劣るということを理解して欲しい、
とも言われたので、勿論、承諾した。
そうした事情は、仮に家族が自宅で看取るとしても同じことだし、
それどころかT園ならば、家で我々だけで右往左往するより
遙かに的確な対応をして下さることは確実だった。

家族として、T園の先生のお話に全く異存は無かった。
もとより、昔のおばーちゃんのように元気になれることなど
単純に期待していたわけではなかったし、
どんな手段を使っても一日でも長く、とだけ望んでいたのでもなかった。
我々が願っているのは、積極的で厳密な治療ではなく、
姑の生活が穏やかに、快適なものになれば、ということのほうだった。

今の私の希望は(多分、主人も同じだと思うが)、
できるだけ苦痛のないように、そして、その上でならできるだけ長く、
おばーちゃんの「ニコニコ」が、ずっと続くように、ということだ。

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さすがにどの文法事項も二度目なので、
4~9月までの最初のクールよりは、今回のほうが
動詞の活用もよく覚えたし、数詞もわかるようになった。

今回のスペイン語の講座はブエノスアイレスが舞台なので、
南米スペイン語表現がたくさん紹介されている。
同時に、登場人物の中にはスペイン出身という設定の人もいるので、
スペインのほうに特徴的な表現も出てきて、
「これはスペインで主として使われる」
「これは南米に多い表現」
というふうにその都度、指摘される。
・・・私自身はとてもじゃないが、使い分けどころのレベルではないが。

*************

スペイン語を学習するようになって私は、
「アルゲリッチ」というのはスペイン語の発音ではないな、
と今更感じるようになって、ググってみたら、
やはり彼女の姓は、標準的なスペイン語の発音では
「アルヘリチ」だとわかった。
しかし彼女は「アルゲリッチ」という発音が気に入っており、
これに決めているのは本人の意向だということだった。
さらに、彼女の祖先はスペインのカタルーニャの出であり、
カタルーニャ語では「アルジェリーク」と発音されるのだそうだ。

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毎日、実にたくさんのスパム・メールが来るのだが、
たまに、インパクトのあるものや、目を引く着想のものもあって、
削除する前にタイトルだけでもマトモに読んでしまうことがある。

先月は、連続的に送られて来たもののひとつに、
信じられないかもしれないけど私はチンパンジーです
というのがあった。あまり熱心なので、開いて読んでみたのだが、
メールによると、このチンパンジー嬢は二年ほどの訓練の末、
『亜人である大阪人』と同レベルの知能になり
こうしたメールが打てるまでになったそうだ。
人間としてはブサメンな貴男も、サルの世界ではイケメンだから、
自信を持って下さい、私とチャットしましょう、と。

面白いことに娘の友人の話では、これの男バージョンも存在しており、
信じられないかもしれないけど僕はチンパンジーです
と言い、キミはイケモンキーだから、と誘うメールがあったそうだ。
私がお見合いオバさんであったなら、
この、おサル同志を引き合わせてあげたいと思ったことだろう。

すると、ほどなくして、今度は、
ほぼサルでもできる軽作業で副収入が月10万円~
というメールが送られてきた。
さっきのチンパンジーふたりにピッタリなお仕事ではないか。
なんだか、ことごとくワタシには部外者感が漂うのであった。

さて、洋の東西を問わず、
くだらんことを考える人間というのは同じようなもので、
脱力させられるスパムメールは英語でも送られてくる。
ここしばらくは大統領選挙関連ネタが結構あった。

大統領、撃たれる!
ミシェル・オバマ、死
ミシェルの甘いピンクな欲望
こんなもん、色めき立って開いて読むヤツがいるものだろうか。
まるで英語版の東スポやんか。『日付以外は全て誤報』ってか。

だが先日、こんなワタシでも真面目にギョっとしたのは、英語で
あなたの運転免許証を拾得しています
というメールが来たときだった。
げっっ。私が免許証を落とした一件を知っていたのか?
現物は既に警察から返して貰ったんだけど、
あのとき広島中央警察署の担当者が言っていた、
「名乗らずにこの免許証を警察に届けた人」って、おまえか?
ガイジンとは思わんかったが、何かワルサをしやがったんじゃあるまいな?

その数日後には
きみの恥ずかしい写真があるよ
という英文メールも来た。アタシの恥ずかしい写真・・・。
我が恥の多い人生の中でも最も恥ずかしかった出来事と言ったら、
やはり、耳鼻科の炭酸ガスレーザーで鼻粘膜を焼いた帰り道、
自分が鼻血を出していることを知らずに上司夫人に挨拶した
・・・とゆー・・・・。ねえ・・・・。

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ポゴレリチの、2002年以降(日本では2005年以降)の演奏会に接して、
「変わってしまった」「駄目になった」「深い悲しみに沈んだままだ」
等々と言う人が少なくないと私は感じている。
勿論「今のほうが良い」「面白くなった」「何かを断ち切れたようだ」
という感想も一方にはあるが、評価はともあれ、
CDに記録されている95年以前のポゴレリチと、今のポゴレリチとでは、
かなり印象が違うというのは多くの人の認めるところだろう。

1996年2月までの「イーヴォ・ポゴレリチ」は、
事実上「二人でひとり」だった、と私は思っている。
名義と体現者はポゴレリチだったけれども、演奏そのものは、
師であり夫人であったアリス・ケジュラッゼとポゴレリチとが、
共同で作り上げたものだったからだ。

その共同作業の内容がいかなるものであったかは、
外部の者には知りようもないことだが、
何であれ、ポゴレリチが独りだったなら、
あの時期の演奏はあり得なかった。
それは95年録音のCD「スケルツォ」のブックレットに、
『これはアリス・ケジュラッゼとイーヴォ・ポゴレリチが
協力して行った最後の録音である』
と書かれていることからも窺い知ることができる。

94年5月のアメリカの『アンバサダー・レポート』という記事には、
『ケジュラッゼ女史こそ専制君主である』
という主旨の批判が掲載されていたことがあった。
ポゴレリチは傀儡であり、絶対的な権力はケジュラッゼにある、と。
それ自体は、悪意に満ちた誹謗中傷と取ることも出来ると思うが、
良くも悪くも、演奏家としてのポゴレリチの一挙手一投足に、
アリス・ケジュラッゼが強い影響を与え続けていると、
誰もが感じていたことは事実だろう。

こうしたことを考えると、夫人を失ったことにより、
それまでの「イーヴォ・ポゴレリチ」から、
重大な部分が消え去ってしまったのは間違いない。
90年代までのポゴレリチが好きだったのに、という人の多くは実は、
もしかしたら、彼の中のケジュラッゼ的な部分が好きだった、
という可能性があるのではないかとさえ、私は想像している。

*************

これは日本でしか通用しない例えなのだが、私は、
「イーヴォ・ポゴレリチ」は「藤子不二雄」のようなものだった、
という仮説を、ここ数年、立てている。
アリス・ケジュラッゼ存命中の「イーヴォ・ポゴレリチ」の演奏は、
共作時代(もしくは名義を分けなかった時代)の「藤子不二雄」で、
我々は、作品として出来上がったもの(=演奏)の
どの箇所がどちらの手によるものであるかを意識しなかった。
彼を支えているのがケジュラッゼ女史であることは知っていたけれども、
彼のピアノの、どの部分がケジュラッゼ由来のものであるかなど、
聴き手はいちいち考えず、気づくこともなく、聴いていたのだ。

それが、彼女が亡くなり、2002年に復帰してからのポゴレリチは、
完全に独りになり、彼女の影響から自由になった。
それは藤子不二雄で言えば安孫子素雄が我々の前に現れたようなもので、
皆が看板であると思い込んでいた『ドラえもん』がそこにはもう無かった。
かわりに『魔太郎』などのダークなものだけが色濃く残り、
前面に押し出され、遠慮なく追求されるようになった。
それは『ドラえもん』を信じ切っていた人には受け入れ難いものだった、
・・・と私は考えている。

今のポゴレリチは、ヨーロッパのマスコミが書きたがるような、
悲嘆にくれた・傷ついた状態でもなく、混迷のただ中にあるのでもなく、
ただ彼の中にもともとあったものが、ケジュラッゼ女史の手を経ずに、
拡大されて現れた姿ではないかと私は想像しているのだ。

2006年8月、ドイツの新聞Die Weltの取材に答えてポゴレリチは、
ケジュラッゼを失ったことにより、自分は、
それまで宝石のような助言を与えてくれていた人を突然なくしたが、
『同時に自分は芸術上、多大な自由を得たとも感じた』
と語っている。
『アリスは常に私を形作り、研ぎ澄ました。日々ナイフを研ぐように』。

そのような彼女を失い、ポゴレリチは否応なく、
彼女なしでやって行かねばならなくなった。
それには、長年、ケジュラッゼ女史の力で封印されていたものを
解き放つほかなかったのではないかと思う。
彼女の力で形成されることのなくなったポゴレリチは、
ときに、聴き手の期待や理解を超えたところへと暴走する。

アリス・ケジュラッゼを欠いた以上、
彼が以前の「イーヴォ・ポゴレリチ」に戻ることなど、
もはや全く考えられないと私は思っている。
そして、その結果が何になるのか、彼がどこへ到達するのか、
――評価は、我々と以降の聴き手とに、委ねられることになる。

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(本文と無関係だが、きょうはクリスマス・ツリーを出したので、
その写真を、一応。記事カテゴリーも写真ゆえに『インテリア関連』)

私は自分がサイトを持っていることを、主人に言っていない。
このブログの存在も、mixiのことも、
殊更に私から主人に説明したことはない。
と言って、別にひた隠しにしているわけでもない。
気づかれても特に困るようなことはないが、
積極的に知って貰いたいこともないので話していない、という感じだ。

主人は基本的にポゴレリチにも忌野清志郎にも和央ようかにも
尾上菊五郎にも美輪明宏にも小倉久寛にも小浜逸郎にも
フー・ツォンにもチョムスキーにも巻上公一にも(以下略)
関心が全くないので、私とは興味の対象を共有していない。
彼もネットをやるが、好きなものはグルメと野球と漫画で、
あとはニュース関連サイトを主に閲覧しているようで、
彼が何かをググっても私のサイトがヒットすることはないようだ。
だから拙サイトなんて眼中にないのかな。

私が何を書いているか、知ったうえで泳がせているのなら
主人はなかなか度量の広い男性だと言うべきだろう。
一方、私のネット活動について、もし全く気づいていないのだとすると
このヒトは、テッテー的に抜けているのか、
はたまた、妻に対して既に関心が全くないということなのか(爆)。

まあ「夫にバレたので、あぼーん」という事態は、
今更、ありませんけどね。

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昨日、ポゴレリチ来日公演チケットの会員先行予約が始まった。
あとで友人関係に尋ねたら、電話ではなかなか繋がらなかった人も、
案外すんなり買えたと言っていた人も両方あったが、
私の場合は、ネット予約で、ほぼ12時ちょうどに予約画面に入れた。
が、ブロック指定をして「次へ」をクリックしたら、
途端にオチてしまって、びっくりさせられた。
それで前画面に戻って入り直したら、二度目はなんとかなった。

私は11月7日の夜中に、某氏の情報でポゴレリチ来日決定を知り、
その時点ではカジモトイープラスのトップページにもまだ出ていなかった
(『カジモト・イープラス会員限定先行受付カレンダーは こちら』という
小さいボタンから入れる会員向けページに密かに載っていただけだった)から、
その某氏の情報は、恐らくどこよりも早いもののひとつだったはずだ。
それからたったの一週間でチケットが発売開始になった。
カジモトイープラスの会員か、よくよくのポゴレリチ・ファンか、
日頃から大変熱心にチケット関連サイトをチェックなさっている方、
くらいしか、この来日のことは未だにご存知ないのではないかと思う。

・・・ともあれ、昨日はそういうことで昼からさんざん盛り上がり、
テンションも血圧も心拍数もアゲていたところへ、
特養T園から電話があり、姑が発熱していると知らされた。
入院中から痰が多く微熱がよく出ていたことは
私からも話してあったし、病院からの書類にも書かれてあったはずだが、
昨日はその範疇を超えて38度1分になったということだった。

ガ━━Σ(゜Д゜|||)━━ン!!

急なことは何もないが、ともかくお知らせだけ、
とT園の看護師さんは仰って下さったので、
昨日は夕方から出かけることは思いとどまり、
今朝、主人と一緒に姑のところへ行った。

姑は幸い、きょうは微熱になり、よく眠っていた。
看護師さんの話では、今朝も園の内科の先生が診て下さり、
胸の音は悪くないからこのまま点滴で様子を見よう、
と仰ったとのことだった。
血液検査の結果が週明けに出るので、それを待つことになるが、
今の状態なら入院までは考えなくて良い、とも言われた。
それで私は改めて火曜日に先生から説明を受けることになった。

おばーちゃんの今後の病状によっては、
私が1月に東京まで行くことは難しいかもしれない。
しかしそれは、今から思い煩っても仕方がないし、
なるようにしかならないので、そのとき考えようと思っている。
勿論、おばーちゃんも、誰も彼も問題なく元気で、
私が意気揚々と東京に出発できるようにと願っているけれども、
美輪様の「正負の法則」じゃないが、結果的に何が良いことなのかは、
今からあれこれ考えてもわからないから、
現時点で、いちばん必要なことをいちばん大事にしようと思う。

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