転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「おふくろさん」解禁!森 川内氏遺族と和解(スポーツニッポン)
『今年4月に死去した作詞家の故川内康範さん(享年88)からヒット曲「おふくろさん」の歌唱禁止を通告されていた歌手森進一(60)と川内さんの遺族らが1日までに話し合いを持ち、歌唱が許されることになった。』

この騒動が一連のアングルではないか、
という主人の指摘を、私なりにとても気に入り、面白がっていたのだが
歌封印アングル(2007年3月02日))、
実につまらない決着がついてしまい、私は勝手にとてもがっかりした。

せっかく長く使えそうな設定だったのに。
お約束の、吉幾三だって参戦しかけていたのに。
川内康範が亡くなったら、もう誰もこれを活用できなかったのか。

結局、双方にとって全然いいところなしで終わってしまった。
これだからシロウトは駄目なんだ(--#)。
なんも、面白いことがなかったぢゃないか。単なる騒ぎ損だった。
ちとは、プロレスの伝統的手法に学んで欲しかった(--#)。

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朝から小室哲哉タイホでテレビが騒いでいて、
ネットに接続したらまたこの話ばかりだった。
かつて栄華を極めたヒトが不幸になるのは、そんなに面白いか。
私は小室ファミリーのファンだったことは一度もないが、
凋落していい気味だと言わんばかりの論調は不愉快だ。

だいたいが、アーティストと呼ばれる人たちは、
芸術の才能だけが問題なのであって、
タイホされようが実刑食らおうが、その人の作品には無関係、
と私は昔から思っている。
人格や素行に問題があった(かもしれない)と知ったからと言って、
それで芸術作品の価値にまで傷がついたように考えるのは愚の骨頂だ。
私は、作品なり演奏なりに感銘を受けたなら、
それを生み出した人が、社会的にどういう人物であるかを一切問わない。

逆に、芸術の才能が完全に枯渇してしまったならば、
その人は、もはやアーティストとしての存在価値はない、と思う。
どれほど心正しい見事な人物であったとしても、だ。
尊敬に値する立派な人物が、並みかそれ以下の作品しか生み出せない、
ということがあったとしても、不思議でもなんでもないのであって、
そういう人間をアーティストとして尊重する必要は全くないと思う。

ということで、私は、きょうはもう途中から、
「小室」で始まるニュースは、ちゃんと読まなくなったのだが、
ただひとつ、小室氏が昨今は生活費に困り、
食べるものにさえ不自由していた、という文脈で、、
『食事はオリジン弁当、ハンバーガー、ピザのローテーション』
と紹介されていた箇所だけは、ちょっと目を引かれてしまった。
食べ物の好き嫌い皆無・調理するのは大嫌い、な私からすると、
実に羨ましいラインナップだと思えたからだ(爆)。
それで御飯が済んだことになるなんて、
私にとっては、あり得ない、天国のような生活ではないか。

だが、それ、コレステロールとか中性脂肪の問題を無視するとしても、
実際にやったら、かえってお金かかるんでね???
私がどんなに料理が嫌いでも食事の支度をするのは、
家族の手前や栄養バランスの問題もあるが、
何より、外食や出前ではお金が続かないからというのが第一だぞ??
どうも、納得できない記述だった。

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