転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



こちらに書くのが遅くなったが、7日(金)に、
姑がついに退院できた。三ヶ月弱の入院生活だった。

8月18日に呼吸困難で個人病院に入院し、誤嚥性肺炎と診断され、
発熱や炎症所見のおさまった9月3日に、胃瘻造設の手術を受けたが、
これが引き金となって、もともと胃にあった「びらん」から出血し、
9月いっぱいはその対応に追われてしまった。
胃からの断続的な出血と、発熱の繰り返し、
栄養源は点滴だけという状態で、姑は一時期かなり衰弱し、
貧血が進んだので輸血を複数回受けた。
9月は持久戦で、まさに体力の限界での闘いだったと思う。

落ち着いて来たのは10月に入ってからで、
胃の出血がなくなったので、まず一日に白湯200ml×3回から始め、
次に栄養剤を胃瘻から注入することが出来るようになった。
それに連れて、呼吸機能が良くなって酸素マスクが取れ、
尿量も安定して導尿の必要がなくなり、
栄養補給が順調に進んだので最後には点滴も不要になった。

発熱だけは断続的にあったが、残暑の毎日が終わって涼しくなると、
だんだんに平熱が維持できるようになったので、どうやら、
外気温に連動して発熱したり解熱したりしていたようだった。
・・・これから真冬になると、おばーちゃんは冬眠するのか(^^ゞ。

9月頃は低カリウム状態にもなり、話しかけても反応がなく、
痰を吸引されて不快な筈なのに、なんの意思表示もなかったが、
10月頃から、家族の顔を見ると笑顔でうなずくようになり、
言葉ははっきりしないまでも、声が出るようになった。
10月下旬には、吸入や吸引のとき眉根を寄せて顔を背けたり、
離床のリハビリのために体を起こすと、
「そがいに、起こさんで、ええよ」
と言うことも出来て、『戻ってきた』手応えがあるようになった。

11月4日の血液検査の結果が良好だったことから、
「医療の介入が必要ないところまで来た」
との主治医の先生のご判断で、退院が決まった。
退院直前の説明では、
「現時点では体調は安定しているので、施設の介助があるなら、
病院を離れても生活することは可能な状態と判断している。
慢性気管支炎だけは完全には取れないので、微熱が出るかもしれないが、
これも全身的に悪影響を及ぼすことはないと考えている。
今後も痰や唾液の誤嚥による肺炎を起こす可能性は常にあり、
その際には速やかに医療機関に搬送して治療を受ける必要がある」
ということだった。
この個人病院で今後また受け入れて頂けることになったので、
姑の状態にはこれからもよく注意し、早めの対処を心がけたいと思った。

ということで、7日の昼に、病院の皆様にお礼のご挨拶をして、
以前からお世話になっている特養T園の方に車で迎えに来て頂き、
姑はすっかり晩秋の風景になった街の中へ、三ヶ月ぶりに、出た。
ストレッチャーに寝たままだったが、姑は初めて病院を離れたのだ。
8月の入院のとき着ていた服は、当然のことながら夏服だったので、
この日は私が家から持っていった厚いズボンとセーターを身につけ、
ふくらはぎまである、ゆるゆるのソックスをはいてもらった。

T園に到着したら、園長さんや職員さんや看護師さんが出迎えて下さった。
二階の居室フロアに上がったら、ここでも介護職員さんが一斉に
「おめでとう~~!!」「おかえりなさ~い!!」
と姑を囲んで出迎えて下さり、姑は寝たままそれを見て、
ぱあっと満開になったような笑顔を見せた。
私はそれを見たら、もう、なんだか、やたらと涙が出て困った。
こんな明るい、元気な場所に、また帰ってくることが出来たのだ。

ばーちゃんは、偉かった。強かった。
80歳の、寝たきりの、細いおばあちゃんだけど、
苦痛があっても、誰のことも怒ったりせず、イライラもせず、
意識がはっきりしているときは笑顔さえ見せてくれて、
三ヶ月もの長い間、頑張ってくれたのだ。
勿論、病院の先生やスタッフの方々の適切な対処の御陰だと思うし、
待っていて下さったT園の方々の応援も大きかった。
私は病院の看護師さんが部屋に来て下さるたびにブツブツと訴え、
家ではT園のスタッフさんに電話でメソメソとよく愚痴った。
また、ここでもいろいろなことを書き殴って、
その都度、たくさんの方から、励まして頂いた。

皆様、本当にありがとうございました!
御陰様で、こうして、元いた場所に、帰ってくることが出来ました。

そして、ばーちゃん、立派だったぞ~~!!!偉いっっっ!!!

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