転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



毎日、実にたくさんのスパム・メールが来るのだが、
たまに、インパクトのあるものや、目を引く着想のものもあって、
削除する前にタイトルだけでもマトモに読んでしまうことがある。

先月は、連続的に送られて来たもののひとつに、
信じられないかもしれないけど私はチンパンジーです
というのがあった。あまり熱心なので、開いて読んでみたのだが、
メールによると、このチンパンジー嬢は二年ほどの訓練の末、
『亜人である大阪人』と同レベルの知能になり
こうしたメールが打てるまでになったそうだ。
人間としてはブサメンな貴男も、サルの世界ではイケメンだから、
自信を持って下さい、私とチャットしましょう、と。

面白いことに娘の友人の話では、これの男バージョンも存在しており、
信じられないかもしれないけど僕はチンパンジーです
と言い、キミはイケモンキーだから、と誘うメールがあったそうだ。
私がお見合いオバさんであったなら、
この、おサル同志を引き合わせてあげたいと思ったことだろう。

すると、ほどなくして、今度は、
ほぼサルでもできる軽作業で副収入が月10万円~
というメールが送られてきた。
さっきのチンパンジーふたりにピッタリなお仕事ではないか。
なんだか、ことごとくワタシには部外者感が漂うのであった。

さて、洋の東西を問わず、
くだらんことを考える人間というのは同じようなもので、
脱力させられるスパムメールは英語でも送られてくる。
ここしばらくは大統領選挙関連ネタが結構あった。

大統領、撃たれる!
ミシェル・オバマ、死
ミシェルの甘いピンクな欲望
こんなもん、色めき立って開いて読むヤツがいるものだろうか。
まるで英語版の東スポやんか。『日付以外は全て誤報』ってか。

だが先日、こんなワタシでも真面目にギョっとしたのは、英語で
あなたの運転免許証を拾得しています
というメールが来たときだった。
げっっ。私が免許証を落とした一件を知っていたのか?
現物は既に警察から返して貰ったんだけど、
あのとき広島中央警察署の担当者が言っていた、
「名乗らずにこの免許証を警察に届けた人」って、おまえか?
ガイジンとは思わんかったが、何かワルサをしやがったんじゃあるまいな?

その数日後には
きみの恥ずかしい写真があるよ
という英文メールも来た。アタシの恥ずかしい写真・・・。
我が恥の多い人生の中でも最も恥ずかしかった出来事と言ったら、
やはり、耳鼻科の炭酸ガスレーザーで鼻粘膜を焼いた帰り道、
自分が鼻血を出していることを知らずに上司夫人に挨拶した
・・・とゆー・・・・。ねえ・・・・。

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ポゴレリチの、2002年以降(日本では2005年以降)の演奏会に接して、
「変わってしまった」「駄目になった」「深い悲しみに沈んだままだ」
等々と言う人が少なくないと私は感じている。
勿論「今のほうが良い」「面白くなった」「何かを断ち切れたようだ」
という感想も一方にはあるが、評価はともあれ、
CDに記録されている95年以前のポゴレリチと、今のポゴレリチとでは、
かなり印象が違うというのは多くの人の認めるところだろう。

1996年2月までの「イーヴォ・ポゴレリチ」は、
事実上「二人でひとり」だった、と私は思っている。
名義と体現者はポゴレリチだったけれども、演奏そのものは、
師であり夫人であったアリス・ケジュラッゼとポゴレリチとが、
共同で作り上げたものだったからだ。

その共同作業の内容がいかなるものであったかは、
外部の者には知りようもないことだが、
何であれ、ポゴレリチが独りだったなら、
あの時期の演奏はあり得なかった。
それは95年録音のCD「スケルツォ」のブックレットに、
『これはアリス・ケジュラッゼとイーヴォ・ポゴレリチが
協力して行った最後の録音である』
と書かれていることからも窺い知ることができる。

94年5月のアメリカの『アンバサダー・レポート』という記事には、
『ケジュラッゼ女史こそ専制君主である』
という主旨の批判が掲載されていたことがあった。
ポゴレリチは傀儡であり、絶対的な権力はケジュラッゼにある、と。
それ自体は、悪意に満ちた誹謗中傷と取ることも出来ると思うが、
良くも悪くも、演奏家としてのポゴレリチの一挙手一投足に、
アリス・ケジュラッゼが強い影響を与え続けていると、
誰もが感じていたことは事実だろう。

こうしたことを考えると、夫人を失ったことにより、
それまでの「イーヴォ・ポゴレリチ」から、
重大な部分が消え去ってしまったのは間違いない。
90年代までのポゴレリチが好きだったのに、という人の多くは実は、
もしかしたら、彼の中のケジュラッゼ的な部分が好きだった、
という可能性があるのではないかとさえ、私は想像している。

*************

これは日本でしか通用しない例えなのだが、私は、
「イーヴォ・ポゴレリチ」は「藤子不二雄」のようなものだった、
という仮説を、ここ数年、立てている。
アリス・ケジュラッゼ存命中の「イーヴォ・ポゴレリチ」の演奏は、
共作時代(もしくは名義を分けなかった時代)の「藤子不二雄」で、
我々は、作品として出来上がったもの(=演奏)の
どの箇所がどちらの手によるものであるかを意識しなかった。
彼を支えているのがケジュラッゼ女史であることは知っていたけれども、
彼のピアノの、どの部分がケジュラッゼ由来のものであるかなど、
聴き手はいちいち考えず、気づくこともなく、聴いていたのだ。

それが、彼女が亡くなり、2002年に復帰してからのポゴレリチは、
完全に独りになり、彼女の影響から自由になった。
それは藤子不二雄で言えば安孫子素雄が我々の前に現れたようなもので、
皆が看板であると思い込んでいた『ドラえもん』がそこにはもう無かった。
かわりに『魔太郎』などのダークなものだけが色濃く残り、
前面に押し出され、遠慮なく追求されるようになった。
それは『ドラえもん』を信じ切っていた人には受け入れ難いものだった、
・・・と私は考えている。

今のポゴレリチは、ヨーロッパのマスコミが書きたがるような、
悲嘆にくれた・傷ついた状態でもなく、混迷のただ中にあるのでもなく、
ただ彼の中にもともとあったものが、ケジュラッゼ女史の手を経ずに、
拡大されて現れた姿ではないかと私は想像しているのだ。

2006年8月、ドイツの新聞Die Weltの取材に答えてポゴレリチは、
ケジュラッゼを失ったことにより、自分は、
それまで宝石のような助言を与えてくれていた人を突然なくしたが、
『同時に自分は芸術上、多大な自由を得たとも感じた』
と語っている。
『アリスは常に私を形作り、研ぎ澄ました。日々ナイフを研ぐように』。

そのような彼女を失い、ポゴレリチは否応なく、
彼女なしでやって行かねばならなくなった。
それには、長年、ケジュラッゼ女史の力で封印されていたものを
解き放つほかなかったのではないかと思う。
彼女の力で形成されることのなくなったポゴレリチは、
ときに、聴き手の期待や理解を超えたところへと暴走する。

アリス・ケジュラッゼを欠いた以上、
彼が以前の「イーヴォ・ポゴレリチ」に戻ることなど、
もはや全く考えられないと私は思っている。
そして、その結果が何になるのか、彼がどこへ到達するのか、
――評価は、我々と以降の聴き手とに、委ねられることになる。

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