転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夕べから頭が痛くて、朝になってもなおらず、
血圧を測ってみたら118/76という、
医師的には理想値、私的には異常値だった。
もともと高血圧の私は、135/90くらいのときが一番元気なのだ。
ということで、勢いがなく、午前中は昼寝した。
週末に姑が発熱していたのだが、今日のところはT園から連絡は無いし、
特別に困った事態にはなっていないのだろう、
と勝手に考えて、とりあえず、自分が先に休息を取ることにした。

目が覚めたら、午後1時過ぎで、さすがに頭痛もほぼなおっていた。
左の後頭部から肩にかけてが、いくらか鈍痛が残っていたが、
朝よりはずっと元気になった気がした。
それで、ラジオ『まいにちフランス語』『まいにちスペイン語』
を聞き流しながら、ひとりで昼食を取ったあと、
おもむろに、未だ納戸情緒の漂うマイ書斎に行った。

以前から決めていた、きょうの私の仕事は、
ここに収納されている「シルバニア・ファミリー」のハウスや家具を
全部出して整頓することだった。
娘が幼い頃に遊んだ玩具で、しばらく仕舞ってあったのだが、
このたび、小さいお嬢ちゃんのいる友人宅で使って貰えるかもしれない、
という話になったので、一体中身がどうなっているのか、
確認しておく必要があったのだ。

娘とシルバニアの関わりは、娘の3歳の誕生日以来で、
親戚から「赤い屋根のお家」をプレゼントされたのが始まりだった。
シルバニアは何年かごとにモデルチェンジをしているようなので、
当時と今とでは、ハウスや動物家族のラインナップが違うのだが、
娘がそのとき貰ったものは、いちばん大きなお家ではなくて、
ひとサイズ下の、可愛らしい間取りのものだった。
それに、りすの家族と、家具を何点か一緒に頂いた。
娘は勿論、大喜びだった。

そこからが、ひとりっこの特権で、
クリスマスだ、誕生日だ、盆の帰省だと、何かにつけて、
我々夫婦や、両家のじぃじ・ばぁば、それにサンタからも貰って
娘のコレクションはどんどん充実して行った。

シルバニアは、ドールハウスの企画なので、なんでも小さくて、
リカちゃんのシリーズより更に細かい小物がたくさんあった。
さすがに、鼻に詰めるたぐいの事故はなかったが、
娘が遊んだあと、ホチキスの針みたいなナイフとフォークや、
剥がしたバンドエイドみたいに見える子ウサギ用パンツなどが、
よく、畳の上に落ちていたものだった。
きょう出してみたら、小物は全部揃っていないところもあった。
私が無造作に掃除機で吸い込んだことも、きっとあったのだろう。

そういえば、私が自分の老眼に初めて気づいたのも、
シルバニアがきっかけだった。
あれは娘が8歳のときだから、すなわち私が38歳のときだ。
シルバニアのピザ屋か何かに並んでいた缶のラベルが、
私には全く読めず、娘には苦もなく読めた。
で、「まさか?」と眼鏡を外してみたら、ちゃんと見えた。
それで私は知ったのだ、私は、老眼が始まっているのだと。
薬の効能書や新聞の文字が読めるからと言って
威張っている場合ではなかった。
私は40前にして、確実に、小さな文字が読めなくなっていたのだ。

変なふうに、思い出深い品々を、眺めつつ格闘した午後だった。

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