転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



舅宅にいたら、電話回線の切り替えを勧める電話があった。

係「KDDIですが、奥様ですか」
私「いいえ」

この家の「奥様」は姑だ。私ではない。

係「は・・・、奥様ではないんですか」
私「違いますよ」
係「ではどなたですか」
私「家族の者です。それ以上、お答えする必要、ないと思いますけど?」

本題に入る前に、ちょっと話の腰を揉んでしまったが、
要は、通話料が安くなるから、KDDIのなんとかいう回線に変えろ、
という勧誘だった。

私「要りません」
係「いえ、あの、現在のお電話はそのままご使用頂けて、
 十月から、KDDIの割引サービスのほうを・・・・」
私「一切、必要ありません。お断りします」
係「では、登録を抹消させて頂きますので、お客様のお電話番号を」
私「今、あなたがかけて来られたでしょ」
係「2××-×45×ですか」
私「全然違いますよ」(本当に違う・爆)
係「ではお電話番号を仰って下さい」
私「お断りします」

私は普段、スマイル0円を地で行く人間だと自負しているが、
セールス、なかでもKDDIには、余分な愛想はしないことにしている。
なぜなら、私は過去四年間くらいに渡って、もう幾度も、
彼らには不愉快な思いをさせられているからだ。

百歩譲って、この会社の業務内容そのものは立派なのだとしても、
勧誘電話応対の係嬢のマニュアルは大変デキが悪いと思う。
塾経営をしていた頃だって、教室のいちばん忙しい時間帯にかけてきて、
今は仕事中だから困ると言っているのに聞き入れず、
延々と人の時間を取って同じ話をくどくどと続け、
断っても数ヶ月経つとまたかけてきて、本当に鬱陶しかったものだ。

だが、それはそれとして。
KDDI、曲がりなりにも電話会社のくせに、
自分のところの発信記録も管理してないのか?
私に電話番号を言わせようとするなんて、思いっきりアヤシくね?
きょうのアナタは本当にKDDI???

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某宝塚系掲示板で、某生徒さんのFC代表さんへというかたちで、
『真夜中に洗濯機を回すのは、うるさいからやめて。アパートなのに』
という苦情を書き込んだ人がいた。そうしたら、
『生徒さんのお稽古が早朝から夜中まであるんだから
それにつきあっているFC幹部の洗濯が夜中になっても仕方ないだろう』
という主旨のレスがつき、またそれに反論して、
『どういう事情があろうと非常識な時間に洗濯をするなんて、
近所迷惑もいいとこだ』
的な意見が相次ぎ、
『結局、一般常識として、何時頃なら洗濯機を使っても良いのか』
という話にまで発展していた(^_^;)。

だが私は個人的には非常に不思議なのだが、
隣家の洗濯機の音って、眠れないほど喧しいものなのだろうか!?

私も若い頃から、かなりどうしようもないアパートに住んだ。
学生下宿に居たときは間借りで、洗濯機は共同で廊下に一台あるだけ、
という状況だったから、確かに、これを夜中にがんがん回されたら、
結構、うるさかったかもしれない、とは思う
(尤も、学生は夜寝ているとは限らなかったし、不在も多かったから、
夜に洗濯してしまうほうがお互い無難だったのか、もしかして!??)。

だけど、それ以降は、築40年・家賃9800円・キノコと同居、
という究極の官舎に住んだときだって、隣の家の洗濯機の音なんて
聞こえるにしても「うるさい」と思ったことなどなかった。
かすかに、ゴゴゴゴゴ・・・、と響くから、
ああ、洗濯か、と思う程度で、あれなら夜中にやられても、
私は多分、全然気づかないで爆睡していたと思う。

しかし、世の中には様々なアパートがあるだろうから、
その掲示板に最初に書き込んだ人は、よほど条件の悪い物件で、
しかも隣(または上の階)の洗濯機と壁(または床)一枚隔てて
自分の布団を敷いているような状況なんだろうかな。
賃貸とは言え、私の想像もつかないような劣悪な住環境だって、
もしかしたらあるかもしれない、とは思う(^_^;)。

ちなみに官舎での洗濯機トラブルと言えば、圧倒的に、音より水だ。
前も書いたが、洗濯機置き場のない官舎というのがよくあって、
仕方がないから、こういうときは居間とか台所とか、
唐突な場所に無理矢理に洗濯機を設置し、風呂場から水を引くしかなく、
排水のほうも同様に延長ホースで風呂場まで引っ張ってするのだが、
このホースが外れたり、途中で漏れたりすることが結構あるのだ。

「あっ(T.T)!!」
と気づいたときには、もう遅い。部屋の中は水浸し。
更に、自分ちで漏らさなかった日も、安心してはいけない。
上の階の洗濯機排水漏れで天井から何かが滴ってくる、
ということだって、充分に起こり得るのだ。
最上階の部屋じゃないから雨漏りの心配はせんでええだろう、
などと、決して油断してはいけない。
官舎生活では、いつだって、天井を過信してはならない
(例の極太毛糸もしばしば天井から降って来るし)。

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14時からアステールプラザにて、美輪明宏主演『黒蜥蜴』を観た。
今年最高の収穫だった
これほど素晴らしい舞台芸術を私はほかに知らない。
これを観られたのだから死んでもいい、
と思えるほどの舞台に、本当に久しぶりに出会えた。

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はげ  


主人と娘は、肉を食べない。
ヒンズー教徒だからではなくて、純然たる偏食だ。
なので私は毎晩、夕食のメインを何にしようかと頭が痛いのだが、
きょうは、娘の下校を迎えに行ったついでにスーパーに寄ったので、
そこで魚を買って、煮付けにすることにした。

その買い物の最中に、娘が訊いた。
娘「今晩、なぁに?」
私「はげ(カワハギ)を煮ようかと思って」
娘「わ~い、はげ、はげ♪」

と、このとき、娘の背後にいた中年の男性が突然、
はじかれたように振り返った。
はげ、の一言に反応したとしか思えなかった。
だが、男性の頭にはふさふさとした頭髪があった。

私「(もしかして、それ、ヅラ・・・・(^_^;)?)」

男『知っとったんけ、ワレ!
私『な、何をですか!?
(@小林まこと「1・2の三四郎2」より)

と、男に詰め寄られ、戸惑う私、という図が、
一瞬、私の脳裏に浮かんで、消えた。

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貴、八百長疑惑告白(ZAKZAK)

うちが契約しているプロバイダのトップページのニュース欄では、
この件の見出しが『貴、兄弟対決は“八百長”』となっていた。
それを読んで私は、てっきり、今回の花田一族の確執劇が「ヤラセ」だ、
という意味だと思った。

だって、13日の日本テレビ「ニュースプラス1」に貴乃花が出演した折り、
そのギャラが1000万円だったというのを今朝ネットで読んだばかりで、
それだけの報酬があれば、大衆の喜びそうな確執劇のひとつやふたつ、
熱入れて演じて見せるだろうな~と私は変な方向で納得していたからだ。
幾ばくかの真意はあるとしても、兄を罵倒して見せているのは基本的に、
貴乃花のパフォーマンスかと私は勝手に理解していたのだ(^_^;)。

私はプロレスファンから出発し、一時期、相撲も好きだったのだが、
こういう、ファンとしての出自のせいか、「八百長」と聞いても、
「ふーん」というくらいにしか思わない。
初代タイガーの佐山じゃないけど、こういうのを告発したい人が時々出現して
ちょっとした騒ぎを起こしているが、これは結局、良い結果になるのかな?

ちなみに、プロレスの話になってしまうけれど、
主人は、昭和48年、新日本プロレス旗揚げ時に、
「猪木&坂口」対「カール・ゴッチ&ルーテーズ」に大興奮したことと、
昭和58年、蔵前国技館での、テリー・ファンクの引退試合に
感動して大泣きしたこと、のふたつを、今でも激しく悔やんでいる。
そーだよね、いくら往年の名レスラーで鳴らした人たちだとは言え、
当時既にルーテーズ組はおじーさんで、猪木や坂口の敵ではないことくらい、
冷静に考えたらわかる筈だし、
テリー・ファンクに至っては、あれからも何度も引退試合した挙げ句に、
今でもやっぱり現役だし(爆)。

私は楽しむために格闘技に対してお金を払っているという自覚があるので、
八百長かどうかなんて、どっちでもいい、という考えだ。
それより、見ていて我を忘れるほど面白かったかどうかのほうが重要な訳で。
退屈な「本物」よりも、胸躍る「作為」の方が私にはずっと価値がある。
だけど、相撲はこれまでのところ、全部ガチンコだということになっているし、
現職の親方の発言が発端では、これから大騒動に発展するのかもしれない。
ちょっと注目される(^_^;)。

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ネットサーフィンして遊んでいたら、とあるBlogで、
自動翻訳は笑える、という話題が出ていた。

そうだった、私もかつて、随分と、
各種自動翻訳サービスを利用させて貰ったものだ
最近はとんとご無沙汰していたのだが、この自動翻訳というものには、
どうやら笑いのネタが無尽蔵に隠されているようで、
今後ともこの分野は追求していきたいとの思いを新たにした。

で、今回のネットサーフィンで出会った上記Blogに、
笑える翻訳例としてあげられていたのが、まず、これだ。
アジアカップ公式HP

もとのページは全部中国語なので、
これは自動翻訳サービスでWEB翻訳を施したあとの日本語ページだ。
記事の日本語に、なんとなく妙な味わいがあるのは、まあ、良い。
「シナチク」だったり「しかしか」だったりしないだけ、
この翻訳の出来は大変よろしいと言うべきだろう。
問題は、スクロールしていくと出て来る、選手一覧。

久保竜彦選手の日本名欄に『久保のカメの彦』と書かれている
以下、小笠原満男選手の日本名の欄には『小笠原はまったく男性だ』、
羽生直剛選手の日本名は『羽生はちょうどまっすぐにする』、
藤田俊哉選手に至っては『藤田は美しい』(爆)。
日本語の漢字名を、無理矢理に中国語読みして意味を取ろうとすると、
こんなことになってしまうのでしょーか!?

また、これもネットで見つけた例なのだが、
infoseekの自動翻訳サイトの「中国語→日本語」のコーナーでは、
「我要(私には必要です)」という中国語を入力しただけで、
豚肉を2キロとベーコンを300グラムください
という日本語訳が出て来るのだそうだ。

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某宝塚系掲示板を読んでいたら、『舞台は観たいし拍手もしたい』、
という話から、『頭にセットできるオペラグラスが欲しい』
という話題になり、賛同者が何人か続いていた。

わかる。確かにそうなのだ。
舞台まで距離がある場合、よく観るためにはオペラグラス必携だが、
ずっと構えていると少なくとも片手がふさがるので、
そのほかのこと(例えば拍手や手拍子)が全然できない。
以前も私のヅカ仲間が、
オペラを仕込んだメガネが欲しいわ
と発言していたことがあった(^^ゞ。

だが構造的なことを考えてみると、オペラグラスには多分、
対物レンズと接眼レンズとが、なくてはならないし、
しかも像を拡大したり反転させたりするための装置も必要で、
どうしてもかなり立体的なかたちになってしまうはずだ。
すると、友人が言うようにメガネ型オペラグラス、
というほどコンパクトなものは、現在の構造のままでは実現不可能で、
巧くいってもゴーグルか、水中メガネくらいのものにはなりそうだ。

こんなもんを、皆が喜んで購入したらどうなる。想像すると凄い。
どんなにお洒落しても、オペラグラスを頭にセットした段階でオシマイだ。
これひとつで、誰も彼も総マジレンジャー状態。
最前列からでも平気でオペラを使っていたアナタ、
たかこさんから私が見えない位置には、座りたくないわ
などと言っていたアナタ、
さぁ、オペラを取るか、たかこさんを取るか!?

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道楽仲間に教えて貰ったのが、これ。

あなたがつぶやく最期の言葉

生年月日と性別に始まる、いくつかの質問に答えていくと、
自分が最期につぶやく言葉とそのときの状況が判定される。

私は、推定年齢88歳で、娘一家に看取られ、
先に逝った夫のことをぼんやりと思い浮かべながら、
今まで本当にありがとう』と言うそうだ(^_^;)。
歳も歳なので、風邪をこじらせて、・・・が死因らしい。

ちょっと恥ずかしい台詞だな~。
とっても良い言葉ではあるんだけど(ぽりぽり)。
なのに、そこはかとないリアリティがあって、たまらん(^^ゞ。
『娘一家』だとか(息子一家じゃなく)、『先立った夫』とか。

私は、このリアリティにつられ、つい、いろいろなことを思った。
私が88歳までも生きてしまったら、娘はほとんど還暦だ。
介護が負担になって娘のほうが青息吐息になってないかな。
私自身は、三十代で介護生活に入ったからこそ、なんとかなっている、
という面がかなりあるので、60歳手前の娘は大丈夫かな(^_^;)。
あ、いや、そうか、そもそも私だって、88歳くらいまで頑張らないと、
自分のほうの親たち四人ともを見送ることが出来ない、
って可能性もある訳か・・・。

今の親たちのことを思えば、できるだけ長生きして貰いたいし、
自分だって老人になるまで生きたいし、若死には勿論無念だが、
子供の側が、心身の余裕を持って、充分なかたちで親を送る、
というのがひとつの幸せだと私は思っているので、
88歳というのは、いささか、好きになれない数字ではあった(^^ゞ。

ちなみに、このサイトを教えてくれた友人の判定結果は、
酔っ払いながら“みんな死んでしまえ”と言う
というものだったそうだ。
なんだか、随分と格好いいじゃないか(^_^;)。
陽性の酔っぱらいが最期にこんなこと言ったら、なかなかイイと思う。
ダイジョブ、みんな死ぬからね、人間の致死率は百パーセントだからね、
と、もし私がそのときまだ生きていたら、言ってあげよう(爆)。

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主人と私は、簡単に言うと見合い結婚だったのだが、
その、実際的な仲人さんだった、紹介者の奥様が、
いよいよご高齢になられ、少々、認知症が始まっておられる、
ということを、先日、実家のほうから漏れ聞いた。

こちらが転勤つづきだったせいもあり、もうここ何年かは、
全くお目にかかっていないのだが、考えてみたら、
我々が結婚してからでも既に十年以上経っているので、
あの奥様だってそれだけお歳を召されたということなのだなと
改めて、月日の流れを実感させられてしまった。

認知症と言っても、このかたの場合はとても軽いもののようで、
お体もどこも悪いところはなく、近くなら外出も可能で、
日常は猫ちゃんと二人暮らし(?)で穏やかにお過ごしのようだ。
息子さんご夫婦が同じマンションの上の階にお住まいなので、
今のところは、別世帯を維持しながら見守っていらっしゃるらしい。

母の話だと、この奥様は最近では、来客があると、
「どうぞどうぞ。お風呂に入って下さい
と大変にこやかに、浴室へと案内なさっているそうだ(^_^;)。
ごく親しい間柄ならともかく、用事で訪ねたおうちで、
いきなり入浴をすすめられたらかなり困惑する人が多いだろう(^^ゞ。
私自身は、割とこういう面では付き合いの良いほうなので、
多分、この奥様に案内されたら、御言葉に甘えて脱衣場に行きそうだが、
しかし、全部脱いでしまったところで突然、奥様の気が変わって、
「まあっ!あなた、誰ですか!うちのお風呂で!」
と今度は責められる、なんて展開があったりすると、
そりゃちょっと困るかもな~(^^ゞ。

いや現に、うちのおばーちゃんで、今までそういうのがよくあったのだ、
姑「よしこさん、じゃんけんしましょう!」
私「は、じゃんけんですか(^^ゞ」
姑「ほうよ。じゃん、けん、・・・・」
私「ぽーん!!
姑「うぁ!びっくりした。あんた、何しよるん!?
とゆーのが・・・・・・・・・・。

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老眼  


最近、老眼が進んで来たみたいで、目が見えなくて困る。

私はもともと、0.1に遙かに届かない、ひどい近視だ。
11歳のとき父親から風疹をうつされたのを機会に、視力が下がった
(関係ないんじゃないかと眼科医はみんな言うのだが(^^ゞ)。
それで、中学生くらいからずっと、
普段は近視用につくったメガネまたはコンタクトで
視力を調節して生活している。
が、どうもここ数年、この状態では近くが見えない、
ということをたびたび、意識するようになった。

近視の人は老眼にならないという俗説がある。
水晶体が、常に正常より厚い状態になっているために、
視力を矯正しなければ近いところだけは見える筈だという理屈だ。
ところが、私は、近視の程度も上記のように並大抵ではないので、
メガネさえ外せば手元が見えるというほど、話は簡単ではない。
裸眼となると、今度は、目の前5センチくらいまで近づけないと、
文庫本の文字など読めたものではないのだ。

先日、某銀行に行ったときなど、コンタクトをしていたので、
渡された書類がかなり読みにくくて困った。
で、思いついて、銀行備え付けの老眼鏡をかけてみたら、
なんとまあ、よく見えたこと。感動もんだった。

ということで、私は今、老眼鏡が欲しい、と思っている。
だが、考えてみると、私はどういうメガネをつくれば良いのだろう?
いわゆる、ひとつのレンズで遠近両用というヤツか?
それとも、読書用に老眼専用のメガネをつくれば良いのか?
更に、コンタクト装用時の視力に合わせた老眼鏡も要るのでは?
100円ショップで売っている、あの実にテキトーな老眼鏡じゃ駄目か?

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