転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



二子山親方が亡くなって、若貴兄弟の確執の話題が
メディアで何かと取り沙汰されているようだ。
私だって、大関貴ノ花の活躍に胸踊らせた世代の人間だから、
この件については、関心もあるし、いろいろと思うところもある。
しかし、結局のところ、よそ様のおうちの内情などは、
私ごときにわかろう筈もない、ということは承知しているので、
一般人のおばちゃんとして、今は、ただ、静かに、
亡き親方のご冥福をお祈りしたいと思う。

ところで、ここからが例によって不謹慎な話なのだが(^_^;)、
今朝ほど某2ちゃんを読んでいたら、
『テレビで皆、勝治のことを先代若乃花、先代若乃花と言っているが
先代若乃花は間垣なわけだが
と書いてあって、私は悪いと思いつつ結構、笑ってしまった。
確かにそうだ、ひとり飛ばしてはいけない、
花田勝治氏は先々代だ(^_^;)。

実は、間垣親方には私は大変申し訳ない思い出がある。
この話は今まで他の場でも書いたことがあるので、
一部の方は既にご存じだとは思うのだが、
結婚前、主人とつきあっていた頃、彼の住んでいた部屋で、
ふたりしてテレビで大相撲中継を観ていて、
『先代若乃花(間垣親方)が現役時代、
消化器官の出口付近の病で、大変、難儀されていた』、
という話題になり、やたらと盛りあがってしまったことがあったのだ
(私はこれでも、かつては先代若乃花関のファンだった。だから詳しい)。
確か、そのときの取り組みが、当時の若ノ花(花田勝氏)で、
若乃花繋がりで話が広がってしまったのだったと記憶しているが、
すみません、人様のお気の毒なご病気のことを話のネタにして。

そして、主人はその日の帰り道、私を送って来たとき、
博多駅付近の路地で私にプロポーズをし、
「あんな話題であそこまで盛り上がる女性は今まで居なかった」
的なことを言って、結婚しようと言ってくれたのだが、
そのとき、偶然だけどヒ○ヤ大黒堂が目の前だった(爆)。
私は別に、死ぬまで相撲取りのケツの話をしていたい訳ではなかったが。

このいきさつが、友人知人(の一部)の間でさんざんにオヒレがつき、
聞くところによると、主人のプロポーズの言葉は、
「僕たちに息子が生まれたら、名前はぢろうにしようね」
だったということになっているようだが、
勿論、そんな事実は無かったことを、
私は、今あらためてここに明記しておく。

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