ポゴレリチは96年に北京と上海を訪れたことがあって、
そのときの中国語の記事が、今でもウェブサイト上で読める。
タイトルは『鋼琴家Ivo Pogorelich』。
なんか、アチョーっ!って感じですかね。
で、知らない外国語を読むなら、毎度お馴染みの自動翻訳。
やはり何が書いてあるのかはファンとして真面目に気になり、
まずは、比較的まともそうな中国語→英語で行ってみた。
『□the fierce good □heart □caused him □□□
in order to not to surmount with □
,in 1977, He meets □the shade □life old □Alice Kezeradze』
なんだか伏せ字が多くて、凄くヤバそーな感じ?
空所に適語を入れよ、ってな問題が学校ではよく出たっけ。
仕方がない。やっぱりダイレクトに、日本語に訳して貰うか。
多少の空所補充があっても、日本語ならなんとかなるだろうし。
ってことで、中国語→日本語を選択してみたら。
『フン 11のにしきの 11 フは 11に流浪する-- アオイ Ivo Pogorelich』
見出しが、いきなりコレかよ。
フン、って何、フン、って?『アオイ』って、もしもし!?
『(河南省からでて安徽省に入り江蘇省より海に至る川の名の 11逃げ隠れる
111111柱 111111穏やかせ不吉騒ぎ耕 111111 1111束
111111アミンの発する酵の 1111バリウムの 11礼拝しメッキ
111111うずくまるヴ』
この際、もう意味は問わないヴ。
だけど全然、ポゴレリチの話じゃないみたいなんですけど!?
あ、でも次にようやくポゴちゃんの名が。
『Pogorelich いつも 11弧の 高くそびえる
1111の霜や雪の真っ白な 11の褐色 (こぶのみずのとの 11モウの
111111はるかに遠ごパターン 11唱え読(あてこする)む』
うぅむ。1111とか言う文字列は、なんだろう。やっぱり伏せ字か。
『Chopin Ravel 11はぱ虫 11下痢の下痢の
1111弧を唱え読(あてこする)む 111111のシナチク』
『11の清らかな 111111のアオイの 11バルブは おい お父さん』
かなり危険そうな話題を振っておいて、「おい お父さん」って。
『お父さん11の智謀の 11は迭いを担う 四角ぇパターン
111111を残す芸妓を引っ掛ける』
相変わらず邪魔っけな1111、それに謎の「お父さん」。
ちょっとエセ江戸っ子も入って、結論は、女遊び。
挙げ句の果てに、最後の一行にぽつりと書かれていた言葉は。
『1111は許す』
許せるか!!!
********************
しつこい私は、このあと、また別の翻訳サイトを探した。
ああ、この熱意がどうして勉強や仕事に発揮されないのか。
そして、ついについに、まともな翻訳が出現した。奇蹟だ、これは・・・!
(「まとも」のレベルが既に相当、甘くなっていることは言うまでもない)
例の、中国語の記事に書かれていたのは、まず、ポゴレリチその人の描写だった。
『若い時好んで毛皮(革)付きの服を着て、ブランドの服装の代弁者になった;
身長は6尺、うわべの傑出している人を越えて洒脱で、
外見が似た女子中学校の孫に参加する人が嫁さんを行う;
非常に能弁で、とても少なく訪問を受け入れる;
傲慢な態度で世に名を知られて、国連の親善の大使を担当して、
世界各地で慈善のコンサートを催して貧乏人を助ける….』
途中で一度道に迷いロリコンになりかかっている箇所が意味不明だが、
あとはだいたい意味の通った文章で、なんのことを言っているか、わかる。
『ひとりで、この全部を兼ね備えているとは、なんと多面的な』
という調子で、ポゴレリチは紹介されている。
『11歳の時に思いが叶って得意げにモスクワの音楽の学校に着く。
ただ1つの別に不思議ではない小さい役だけ、
強烈な勝ち気な心がしかし彼に絶えず練習するように駆り立てる』
よくわからないけど苦労したという・・・。
『1980年後で有名になって、はでに立ち回って人気をとって、
道理に背いて、したい放題をしてなど評語が影が形に添うように仲が良くて
低音部を強めるために勝手に増加する8度、誇張の速度の強弱の対比は彼の登録商標』
そ、そういう言い方も出来るのね・・・・、
と、そこはかとない納得が(^_^;。なんだかミもフタもない言い様だけど。
勝手に増加する8度、というのはオクターブ下の音のことだろうかな。
それにしても、「登録商標」って(悶絶)。
しかし、かなり調子良く行っているようでも、そこはやはり自動翻訳。
『Pogorelich彼が固まって1首の歌を精錬して
作曲家の楽思を使用するのだと思っている「姿を変えて復活する」(お父さんき)』
『彼の自分の話は言ったのがとても謙虚だ、しかし多く人がすでに矢も盾
中隊Prokofievの未亡人は夫が耳にすることができなかったを悲しみ惜しむ
Pogorelichの解釈(お父さんせ)。』
う~ん、やっぱり二種類ばかり、「お父さん」は居たのだった。
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