転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



小3の娘が、社会科の宿題をやっていた。
単元は、交通安全か何からしく、プリントに、
『道路を歩いていて、どきっとしたことがありますか。どんなときですか』
と書いてあった。娘の答えは、
「こけそうになったとき」。
おまえ~~、それは、びみょ~~に違うだろ~~。

でも私だって娘のことは笑えない。
高校のとき、化学のテストで、
『塩化バリウムの水溶液に、硫酸を加えると、試験管の色はどう変化するか』
というのがあって、私は堂々と「透明のまま」と書いたことがあるのだ。
いや、私としては、それなりに熟慮の末、ひっかけ問題だと思ったのだ。
中身が何になろうと、試験管自体はガラスだから透明だ、と。

という話をしていたら、主人も同じような逸話を知っている、と言う。
大学の、自然科学分野の教養試験で、『核融合について述べよ』というのがあり、
ある学生が、水戸黄門について詳述した挙げ句、結論を、
「格さん、行きなさい(=Kaku, you go!)」とした、のだそうだ。

・・・それって、アナタ自身の体験談ではないの(^^ゞ。

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私がかなりヘーキで英語を使うので、
さぞや語学が出来るのだろうと誤解して下さる方が時にあるのだが、
実はここだけの話、私の英語は無茶苦茶だ。
私は帰国子女でもなければ、正規の留学経験もないし、
歩いていてガイジンから道を訊かれる事など一生無いような、物凄い田舎の出だ。

なのに分不相応な信頼を寄せられて「○○は英語でなんと言うの?」
等と尋ねられることがあって、大抵いつも途方に暮れる。
特に『ブタがブタをぶった』等の駄洒落を訳せと言われたり、
「『う~んマンダム』って英語だったらどう言うの?」
みたいなことを訊かれるのは、本当に困る。

下手なくせに平気で英語を使えるようになったのは、
かなり昔の話になるが、ひょんなことで、
四十日ほどNYで過ごさなくてはならなくなったのがきっかけだった。
エアコンも無い田舎から出てきて、いきなりマンハッタン。
毎日、鼻血の出そうな興奮状態だったが、
中でもエポックメイキングだったのが、初めて英語で電話をしたときのことだ。
チェロのマイスキーのリサイタルがあるのを偶然知って、
是非ともチケットを確保したいと思い、
エヴリー・フィッシャー・ホールに、街角の公衆電話から電話したのだ。
通じるかどうか大変心許なかったが、チケットが欲しい気持ちのほうが勝った。

案の定、世の中甘くないので、
ハローの直後から全然通じず交渉は恐ろしく難航し、
持っていたクォーター(25セント硬貨)を使い果たし、
一旦切って、近くの新聞スタンドに走ってお金を用意して、またかけなおし、
自分がさっきの電話の者だということを説明するのに、ゆうに5分は費やし、
およそ30秒に一度は、「わかりますか?」「大丈夫ですか?」
と先方のオペレーターに念を押され、挙げ句の果てには、
「あなたは本当に英語が話せますか?」とまで訊かれた。
でも結局、何十分にも及ぶ、すったもんだの末、
とうとう目的のチケットが手に入ったのだ。凄すぎる。
今考えると、よくぞ悪戯電話と間違えられなかったものだ。

結局、私が、このニューヨーク滞在で確かに身につけたものは、英語力ではなく、
「マイスキー」の「マ」の字でも、言わないより言ったもん勝ちだ、という確信と、
手を使うときはカバンを股に挟むという条件反射、のふたつだけだった。

帰国後、私の奇行が、田舎でしばらく評判になったことは、言うまでもない。

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「言うておくことがある」
と、姑はときどき、大変に改まった様子で私を呼ぶことがある。
私は「はい」と返事だけはすぐにするのだが、
大抵、皿洗いの途中だったり、掃除機をかけている最中だったりするので、
実際に姑のそばに行くまでには何十秒かはかかることが多い。すると、
「はい。なんでしょうか」
と私がベッドを覗き込んだときには、姑は
「修道学園の先生が、ええ天気じゃと言いよった」
などと、既に完全にトリップしてしまっていることがほとんどだ。
すぐに行かない私が悪いんだけど。すびばせんっ(^^ゞ。

一度だけ、姑が「言うておくこと」を忘れなかったことがある。
そのとき姑は、私を見て、いきなり
「ハシモトさん!」
と呼んだ。そして、
「私の踊りの跡を継いで欲しい」
と厳かに告げたのだ。
私は舞踊の心得なんか全然ないし、っていうかそもそもハシモトではないのだが、
「舞踊界は派手だが、頑張って務めて貰いたい」
と厳粛に言われて、思わず、
「はい」
と言ってしまった。

姑の現役時代?を、私は直に見る機会はなかったのだが、
私が主人と結婚して何年か経つ頃まで、姑は随分熱心に新舞踊をやっていた。
名取り直前まで行った腕前だったようだ。
新舞踊にも流派がいろいろあるが、姑のは、
元気だった頃の本人の定義によると「ド演歌でやる、ヤ○ザ踊り」。
その中で、姑は、男役だった(^_^;。
これと紙一重のものが、ときどき、某宝塚バウホールで公演されているが、
見せて貰った姑の公演写真は、ちょっと違って、梅沢富美男の兄のよーだった(爆)。
フラワーフェスティバルとか、老人ホームの慰問など、
しょっちゅうお座敷がかかって、姑は年中、忙しく過ごしていたのだが、
「老人の慰問に来るもんが老人じゃ、ことにならん」
との舅のツルの一声で、結局、七十歳になった頃、引退した。

今、我が家には、訳のわからんド派手な男仕立ての着物に帯、羽織、傘、扇、
などが和箪笥三つ分は、ある。私はそれらを、どうしていいかわからない。
もはや二度と使うことは、ないのだ。売れるようなシロモノでもない。
長襦袢の要らない特殊な仕立てで、実用品ですらない。
ならば処分する、というのが最も合理的な対処の仕方だとはわかっているのだが、
私も道楽者の端くれとして、これらに込められた姑の想いが感じられ、
捨ててしまうということが、未だ、出来ずにいる。

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午後、ヘルパーさんが姑の昼食介助で一時間半ほど居てくれている間に、
近所のスーパーに買い物に行った。
所持金が175円だったので、まず郵便局に行ってお金を出そうとしたら、

『この通帳は お取り扱いできません』

またかよ~。
ほんの数ヶ月前にも、郵便局のカードも通帳もすべてが、
『お取り扱いできません』になったことがあり、
そのときは地銀も信用金庫もいっぺんに死んだので
「誰かが私を、陥れようとしている!」と青ざめたものだった。
全部再発行して貰ったのに、こんな短期間でまたもや駄目になるなんて、
やはり、フリーメーソンか、ニャントロ星人の陰謀ではなかろうか。

が、今回は幸い、何もかも一度にということはなく、
主人の口座の通帳が生きていたので、
そこから私の小遣いも合わせて引き出してやった。だって非常事態じゃないか。
ふふ♪となんだかトクした気分で買い物をし、
帰ろうとしたら携帯のメール着信音が鳴った。
余談だが今、私の着メロはアルベニスの「タンゴ ニ長調」だ。
私にはこれはハバネラのリズムにしか聞こえないのだが
タンゴとハバネラってどういう関係だったっけな?
・・・と、我ながら脳天気なことを思いながらメールを見たら、主人だった。
うげっ、もうバレたのか!?千里眼か!?

『テレビに出るから録画して。きょうはNHKが幹事だから夕方のニュースを』
さようでございますか(^_^;。
主人の職場では、ときどき、こういうのがある。
偶然、社会的関心を集めるような事件を担当したからテレビに映る、というだけだが、
出るとなると、録画せねばならない気分になるから不思議だ。

午後、四時を回った頃、舅が病院から帰ってきた。きょうは舅の検査日だったのだ。
舅「いや~、くったびっれた~。大学病院は、待たす待たす。やっとれんでよ」
私「あの待ち時間でよけい具合悪くなりますよね~」
舅「ほんま、ほんま。もちょっと、快適に待てるように工夫できんもんかの」
私「寝そべって出来るパチンコがあったらいいな、とか(^_^;?」
舅「くくくっ」

などと、舅の部屋であぶらを売っていたら、
私は、うっかりNHKのローカルニュースをひとつ、見逃してしまった。うひょ~。
一時間後、もうひとつあったニュース番組に合わせ、私はスタンバった。
ビデオを標準にセットし、ニュースの頭から録った。

主人は出なかった(爆)

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12日にここで、中国語→日本語の自動翻訳を話題にしたが、
あれから私は、元の記事は、ポゴレリチの中国公演時のものではなく、
どうやら台湾公演のときのものらしい、と気がついた。
どうしてそう思ったかというと、あのときここに引用しなかった、
彼のディスコグラフィーの部分の訳文をあのあと丹念に読んでいたら、
次のような箇所があったからなのだ。

『あるPogorelich第1回の台湾リサイタルに来る時、
プログラムリストは調和を通じて並べることを数えるChopin、Ravel,
しかし当日の番組表は1枚の薄い紙をはさんで言っている
「プログラムリストは全面的に」を変える』

(つまり、ポゴレリチが初めて台湾公演に来たとき、
例によって演奏会当日にプログラムを全部変えると言って、
観客にはその旨を説明した紙を配布した、ということだな(^_^;)。

台湾は多言語国家で、共通語は北京語なのだそうだが、
これが中国大陸のものとは異なり、漢字は漢字でも「繁体字」と呼ばれる、
ある種の旧字体のようなものを使っていて、
中国の「簡体字」には出て来ない字がたくさんあり、
表現に関しても、いろいろと異なる点があるとのことだ。
多分、私が最初に使った自動翻訳サイトは、繁体字北京語に対応していなかったので、
読めない箇所が「1111」と伏せ字になり、残りの部分だけで訳したら意味が通らず、
「フン」「シナチク」になってしまったのだろう。
・・・出来ないなら、初めからそう言いたまえ。思いきり踊ってしまったじゃないか。

それにしても、後のほうで使った翻訳サイトのお陰で、
こうして台湾の北京語をまがりなりにも解読することが出来て本当に良かった。
この、役に立ったほうのソフトの訳文は、なかなか味があって私は好きだ。
たとえば、これも前回引用しなかった部分だが、
「新人演奏家が有名になる道」は、ひとつは著名演奏家に引き立てて貰うこと、
もうひとつはコンクールで優勝して名前を売ること、とした上で、
更に、次のように書いてあるのだ。

『近ごろ、またただ別の1種の成功への近道だけが現れるようで、
演奏家がいくらかあってセクシーなCD表紙をたたいて、
歌手がいくらかあって歌劇を演じる時脱いでと有名になって、
本当にだ…人の心は昔と異なる』

占領下に日本語を覚えた台湾人おじいさんと会話している気分だ(逃げ)。

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昔、毎年欠かさず、お盆は「ヤオン」、クリスマスは「ドブー館」に、
突拍子もない格好をして出かけていた時期があった。
RCサクセションがブレイクしてから十年弱の間、それが私の年中行事だった。
当時、私の髪は、普段から細かいツイストパーマで、
更にライブに行く前には、行きつけだった原宿の某美容室に寄って、
二時間くらいかけて髪を立てて貰っていたという、念の入れようだった。
本当に似合っているかどうか、なんて、全然頓着していなかった。
ただ、そうしたかったから、した。
若気の至りとは、まさに、こういうのを言う。

しかし、人間とは必ず成長もしくは変化するもので、
キヨシちゃんが親になり『象のババール』なんか朗読しちゃったりするようになった頃、
私のほうも、かつての、かなりな痴れ者からいっぱしの常識人に近づき、
やがて少なくとも表面的には、充分に更正できた。

いささかそれが行き過ぎ、このごろは、もう、ほとんどご隠居さんの心境で、
今どんなドラマがあるかとか、どういう歌が流行しているかとか、
どんな歌手やタレントが人気があるか等に、すっかりウトくなったくらいだ。
名前は知っているが、顔を見てももうひとつよくわからない、とか、
曲は聴いたことがあるが、題名と一致しない、などというのが実に多い。

先日も、ゴスペラーズを初めてちゃんとテレビで見て、
彼らのアカペラの素晴らしさに感嘆した挙げ句に、
「つまり、アレだな、うんと今時なダーク・ダックスだな」
と定義して、主人を唸らせた。

が、フジテレビ系ドラマ『プライド』には、ちょっと注目している。
これに限って、忘れかけていた青春の血が呼び覚まされる。
何を隠そう、私はこのドラマの主題歌に、めちゃめちゃ詳しい。
だって、フレディ・マーキュリーの『Born to love you』なんですもの。
それから、『ホンダ モビリオ』の CM曲も、QUEENのヒット曲『Killer Queen』だ。
聞こえて来ただけで全部一緒に歌えてしまう。おばちゃんは凄いだろう。
私がトレンドについて語れるなんて、絶えて久しく無かったことだが、
今、これらを含むQUEENのベスト盤『Queen Jewels』が大ヒットしている。

なんていうか、大昔に着たスーツが大好きで大事に取っておいたら、
偶然、また流行が巡ってレトロが注目され、
着ても全然おかしくなくなっちゃった、ラッキー♪、
・・・みたいな気分だ(^_^;。

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姑の骨粗鬆症は、実は相当キている。
整形外科でレントゲンを撮って貰ったのだが、
「これは、痛い腰ですね~」
と先生に感嘆されてしまった。
正常な腰椎は、正方形に近い真っ白な骨が等間隔に並んだ像になるのに、
姑のは、既に骨自体が、境界も定かでないぼんやりしたものになっていて、
しかもそれぞれが不規則なかたちをして、ところどころ写っている状態だった。

積極的な治療は、残念ながら無いのだという。
年齢的な問題や、寝たきりという状況などを考え合わせると、
骨粗鬆症が起きてくることは無理もないので、かくなるうえは、
骨を丈夫にする注射を、10回なり20回なりをワンクールとして週1回打ち、
家では毎日1回、カルシウムの吸収を助ける薬を飲んで、
今後定期的に、骨密度を測って経過を見る、ということになるらしい。
それでも、中には、治療成績の良い人もいる、と言われたので、
ならとりあえずワンクールやってみるか、・・・と私は消極的に同意した。

姑は、くしゃみをしても、腰が痛いという。
姑「痛いんよ~。骨が折れるかと思う」
私「痛いですね~。困りましたね~」
姑「おとうちゃんが、ひどう叩いたせいなんよ」
私「え……」
姑「投げ飛ばしたんじゃけ」
私「はぁ(叩いた、んじゃなく……(^_^;)」
姑「どーーーん!いうてね」
私「…………」
姑「私は、ぐるっと回って、腰から落ちたんじゃけね」

私の脳裏に、姑を、ワンハンド・ボディスラムで投げる舅の姿が浮かんだ。

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ポゴレリチは96年に北京と上海を訪れたことがあって、
そのときの中国語の記事が、今でもウェブサイト上で読める。
タイトルは『鋼琴家Ivo Pogorelich』。
なんか、アチョーっ!って感じですかね。

で、知らない外国語を読むなら、毎度お馴染みの自動翻訳。
やはり何が書いてあるのかはファンとして真面目に気になり、
まずは、比較的まともそうな中国語→英語で行ってみた。

『□the fierce good □heart □caused him □□□
in order to not to surmount with □
,in 1977, He meets □the shade □life old □Alice Kezeradze』

なんだか伏せ字が多くて、凄くヤバそーな感じ?
空所に適語を入れよ、ってな問題が学校ではよく出たっけ。

仕方がない。やっぱりダイレクトに、日本語に訳して貰うか。
多少の空所補充があっても、日本語ならなんとかなるだろうし。
ってことで、中国語→日本語を選択してみたら。

『フン 11のにしきの 11 フは 11に流浪する-- アオイ Ivo Pogorelich』

見出しが、いきなりコレかよ。
フン、って何、フン、って?『アオイ』って、もしもし!?

『(河南省からでて安徽省に入り江蘇省より海に至る川の名の 11逃げ隠れる
111111柱 111111穏やかせ不吉騒ぎ耕 111111 1111束
111111アミンの発する酵の 1111バリウムの 11礼拝しメッキ
111111うずくまるヴ』

この際、もう意味は問わないヴ。
だけど全然、ポゴレリチの話じゃないみたいなんですけど!?
あ、でも次にようやくポゴちゃんの名が。

『Pogorelich いつも 11弧の 高くそびえる
1111の霜や雪の真っ白な 11の褐色 (こぶのみずのとの 11モウの
111111はるかに遠ごパターン 11唱え読(あてこする)む』

うぅむ。1111とか言う文字列は、なんだろう。やっぱり伏せ字か。

『Chopin Ravel 11はぱ虫 11下痢の下痢の
1111弧を唱え読(あてこする)む 111111のシナチク』
『11の清らかな 111111のアオイの 11バルブは おい お父さん』

かなり危険そうな話題を振っておいて、「おい お父さん」って。

『お父さん11の智謀の 11は迭いを担う 四角ぇパターン
111111を残す芸妓を引っ掛ける』

相変わらず邪魔っけな1111、それに謎の「お父さん」。
ちょっとエセ江戸っ子も入って、結論は、女遊び。

挙げ句の果てに、最後の一行にぽつりと書かれていた言葉は。

1111は許す
許せるか!!!


********************


しつこい私は、このあと、また別の翻訳サイトを探した。
ああ、この熱意がどうして勉強や仕事に発揮されないのか。
そして、ついについに、まともな翻訳が出現した。奇蹟だ、これは・・・!
(「まとも」のレベルが既に相当、甘くなっていることは言うまでもない)

例の、中国語の記事に書かれていたのは、まず、ポゴレリチその人の描写だった。
『若い時好んで毛皮(革)付きの服を着て、ブランドの服装の代弁者になった;
身長は6尺、うわべの傑出している人を越えて洒脱で、
外見が似た女子中学校の孫に参加する人が嫁さんを行う;
非常に能弁で、とても少なく訪問を受け入れる;
傲慢な態度で世に名を知られて、国連の親善の大使を担当して、
世界各地で慈善のコンサートを催して貧乏人を助ける….』

途中で一度道に迷いロリコンになりかかっている箇所が意味不明だが、
あとはだいたい意味の通った文章で、なんのことを言っているか、わかる。
『ひとりで、この全部を兼ね備えているとは、なんと多面的な』
という調子で、ポゴレリチは紹介されている。

『11歳の時に思いが叶って得意げにモスクワの音楽の学校に着く。
ただ1つの別に不思議ではない小さい役だけ、
強烈な勝ち気な心がしかし彼に絶えず練習するように駆り立てる』

よくわからないけど苦労したという・・・。

『1980年後で有名になって、はでに立ち回って人気をとって、
道理に背いて、したい放題をしてなど評語が影が形に添うように仲が良くて
低音部を強めるために勝手に増加する8度、誇張の速度の強弱の対比は彼の登録商標』

そ、そういう言い方も出来るのね・・・・、
と、そこはかとない納得が(^_^;。なんだかミもフタもない言い様だけど。
勝手に増加する8度、というのはオクターブ下の音のことだろうかな。
それにしても、「登録商標」って(悶絶)。

しかし、かなり調子良く行っているようでも、そこはやはり自動翻訳。
『Pogorelich彼が固まって1首の歌を精錬して
作曲家の楽思を使用するのだと思っている「姿を変えて復活する」(お父さんき)』
『彼の自分の話は言ったのがとても謙虚だ、しかし多く人がすでに矢も盾
中隊Prokofievの未亡人は夫が耳にすることができなかったを悲しみ惜しむ
Pogorelichの解釈(お父さんせ)。』

う~ん、やっぱり二種類ばかり、「お父さん」は居たのだった。

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昨日の『白い巨塔』を見て、疑問に思ったことがあった。

判決で「『助かりたいなら手術』と言い切った財前は独断的で、
患者に対する充分な情報提供をしなかった」ように言われていたが、
私の印象では、初診を受け持った里見助教授がそもそも、
「治療は手術だ、是非とも財前に」
という決めつけ方をしていたのでは?という気がする。
この点についての反省は無いのか。

舅が食道癌患者だから、私なりに治療法については調べたし、
病院側からなされる説明についても、少しはわかるつもりだ。
私は『白い巨塔』を見ながら、佐々木が外来でCTを撮ったあたりから、
どんな理由で、治療方針が手術と決まるのだろうかと興味を持っていた。
なぜなら、今や食道癌治療は、内科的に放射線と抗ガン剤の併用を行うことで、
手術に相当する治療成績をあげており、侵襲の大きい外科的切除よりも、
内科的治療が新たな注目を集めていることを知っていたからだ。
佐々木の病期は初期という設定で、選択の幅がある筈だったから、
手術に向かうには、それなりの根拠が要る、と私は思っていた。

なのに、この里見は、
最先端の医療に携わる大学病院の助教授であり、
しかも破格に優秀な内科医という設定がありながら、
いとも簡単に「手術だ」と判断した。
なぜ自分の専門である内科的治療をもっと探求しなかったのか。
更に言えば、内科的治療を行った後それでも成績があがらなければ、
外科的に切除することを考える、という順序も可能だし、
術前化学療法という選択だってある。
にも関わらず里見は、診断がつくやいなや、外科にまわした。
「手術が最善。財前は優秀な外科医だ。安心して任せて下さい」
的な言い方で患者を励まし、内科的治療についてはろくに説明もせず、
外科に渡した張本人は、里見だったのだ。

放射線・抗ガン剤より手術の適応だ、というやりとりが、
里見と財前の間で一応なされていたが、それは勿論、患者には説明されなかった。
少なくとも、うちの舅のときは、
外科医が手術の詳細を、内科医が抗ガン剤・放射線治療の見通しを説明し、
選択は結局、患者本人がしたものだったのに。

検査段階で懸念が出てきた時に周囲の助言を容れなかったという点では、
財前はいささか独善的で医師としての誠実さを欠いたと思うが、
術前説明のことをそれほど責められるべきだとは、私には思われなかった。

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佐伯区の自宅の二階を盛大に整理していたら、
タイトルのない古いビデオを、主人が発見した。
再生してみると、元気だったときの姑が和服を着て映っていた。
画面は、どこかの和室で、姑ほか何人かが、緋毛氈の上で、
向かい合わせに正座し、順に杯で日本酒を頂いていた。

私「結構なお点前、でもないし、三三九度でもないし」
夫「誰かの見合いかな、……いや、違う、おばさんばっかりや」

姑はよく仲人をしていたから、その関連の映像かと思ったが、
主人の指摘通り、そこにいるのは中年以上の年齢と思われる女性ばかりだ。
皆、訪問着だか付下げだかを着て、とても厳粛な様子だ。

私「きょうだい固めの杯、って感じ(^_^;)?」
夫「おふくろ、なんか秘密結社にでも入っとったんかな」

中央にしつらえられた舞台というか一段高くなったところに、
ひとり、皆より地位の高そうな女性が座っている。この人も和装だ。
そしてこの人の背後に、飾り付けがしてあった。
飾りと言っても、紅白のテープを鴨居に沿って等間隔にバルーン型に止めつけたもので、
しかも途中にエアコンがあって邪魔になったらしく、
テープの一部は、やむなく、エアコンの下部を通っている。

夫「どーでもええ飾りやな」
私「………(^_^;」
夫「『準備するの、大変だったでしょう、おほほほほ』ってその場で言ってさ、
家帰ってから『まー、誰がしたんかね、不細工な飾りじゃった!』って言ったろうな」

やがて、その中央の女性に花束が贈られ、挨拶があり(聞き取れない)、
一同、拍手。何か、この真ん中の女性に関する、お祝いの式典だったようだ。

と、俄に予期せぬことが起こった。
その中央にいた女性はすっくと立ち上がると、さささ、と舞台下手側にハけ、
扇を取り出したかと思うと、ぶん!と思い切りよく足を踏み出し、踊り始めたのだ。
それは、武原はんでもなければ、井上八千代でもなく吾妻徳穂でもなく、
言うなれば梅沢富美男の世界。だってBGMが演歌(爆)。

私は、まざまざと思い出した、姑が一時期、新舞踊に凝っていたことを。
画面左に居た姑も次第にそわそわし始めた。
彼女もまた帯に挟んだ扇を取り出そうとしている。
姑が立ち上がろうとした刹那、主人がビデオを止めた。
「観んで、ええ」と彼は切り捨てるように言った。

ちぇ。
姑がどんなふうに男踊りをしていたか、見たかったのにぃ。

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