転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私がかなりヘーキで英語を使うので、
さぞや語学が出来るのだろうと誤解して下さる方が時にあるのだが、
実はここだけの話、私の英語は無茶苦茶だ。
私は帰国子女でもなければ、正規の留学経験もないし、
歩いていてガイジンから道を訊かれる事など一生無いような、物凄い田舎の出だ。

なのに分不相応な信頼を寄せられて「○○は英語でなんと言うの?」
等と尋ねられることがあって、大抵いつも途方に暮れる。
特に『ブタがブタをぶった』等の駄洒落を訳せと言われたり、
「『う~んマンダム』って英語だったらどう言うの?」
みたいなことを訊かれるのは、本当に困る。

下手なくせに平気で英語を使えるようになったのは、
かなり昔の話になるが、ひょんなことで、
四十日ほどNYで過ごさなくてはならなくなったのがきっかけだった。
エアコンも無い田舎から出てきて、いきなりマンハッタン。
毎日、鼻血の出そうな興奮状態だったが、
中でもエポックメイキングだったのが、初めて英語で電話をしたときのことだ。
チェロのマイスキーのリサイタルがあるのを偶然知って、
是非ともチケットを確保したいと思い、
エヴリー・フィッシャー・ホールに、街角の公衆電話から電話したのだ。
通じるかどうか大変心許なかったが、チケットが欲しい気持ちのほうが勝った。

案の定、世の中甘くないので、
ハローの直後から全然通じず交渉は恐ろしく難航し、
持っていたクォーター(25セント硬貨)を使い果たし、
一旦切って、近くの新聞スタンドに走ってお金を用意して、またかけなおし、
自分がさっきの電話の者だということを説明するのに、ゆうに5分は費やし、
およそ30秒に一度は、「わかりますか?」「大丈夫ですか?」
と先方のオペレーターに念を押され、挙げ句の果てには、
「あなたは本当に英語が話せますか?」とまで訊かれた。
でも結局、何十分にも及ぶ、すったもんだの末、
とうとう目的のチケットが手に入ったのだ。凄すぎる。
今考えると、よくぞ悪戯電話と間違えられなかったものだ。

結局、私が、このニューヨーク滞在で確かに身につけたものは、英語力ではなく、
「マイスキー」の「マ」の字でも、言わないより言ったもん勝ちだ、という確信と、
手を使うときはカバンを股に挟むという条件反射、のふたつだけだった。

帰国後、私の奇行が、田舎でしばらく評判になったことは、言うまでもない。

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