転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



8月11日現在の進行状況
墓掃除墓参り
舅宅の草取り掃除盆提灯の準備
髪を切ること
頼山陽史跡資料館 特集展『頼山陽の書』鑑賞(7月29日まで)
・映画『ヘルター・スケルター』鑑賞

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昨日は、休暇に入った主人と二人で、お盆の行事を果たすために出かけた。
まずは西区の舅姑のお墓に寄って、掃除をし、花を新しいものに換えた。
いつもは静かな墓地だが、さすがにお盆休み期間中の土曜日とあって、
昨日はお寺の駐車場も満杯で、ひっきりなしに人が出入りしていた。
舅姑の両隣のお墓も、普段は花の無いことがよくあるが、
昨日は既に真新しいお花が供えられ、お線香もあげてあった。
「うちがたは、まだかいの」
と舅が待ちかねて、言っていたような気がした(^_^;。
お待たせしまして、すみませんでした<(_ _)>。

次は、佐伯区内の舅宅まで行った。
着いてすぐ、家じゅうの雨戸をあけて、風が通るようにしたのだが、
やはり家を使わないことが続いていたので、空気がよどんでいる感じで、
戸棚の奥のほうなど、なんと、カビが若干、見えていた(T_T)。
この家の維持の仕方も、もっと考えないといけないなと思った。
まあ、理想としては、来年娘が下宿して家から居なくなったら、
私ももう少し時間ができるから、定期的に舅宅に来て、
存分に掃除をし、独りで宿泊して過ごしたい、と思っているのだが。

それはともかくとして、昨日は、いつものお寺の若院さんが、
法要のために夕方来て下さることになっていたので、
それまでに庭をなんとかせねばと、主人と二人で奮闘した。
玄関まわりから、車庫、それに門を出たところの道路まで、草を抜いて、
箒で掃いて落ち葉や砂を綺麗にし、ゴミは袋に詰めて縁の下に並べた。
それから家に入って、一階部分だけは全部掃除機をかけ、
仏間にエアコンを入れ、仏壇を飾って、座布団を並べた。
スギちゃんのようなノースリーブ姿で作業し、汗だくになり、
終わったら腰に手を当ててリボD一気飲みしないと、やってられなかった。

学校で模試を受けていた娘も、法要の時間までにはなんとか舅宅に到着し、
無事、午後4時過ぎに若院さんをお迎えして、お盆の法要をすることができた。
お経のあと、若院さんはいつも短い訓話をして下さるのだが、
昨日は、最近の世情は理不尽なことが多い、という話題から、
『怒りは、自分を正当化するための麻薬のようなもの』
という、若院さんが尊敬なさっている方の言葉を引用してお話して下さった。
怒ると、人間は往々にして己を省みることができなくなり、
自分の言っていることが実際以上の正義であるかのように錯覚する。
その状態は、更なる怒りを呼び、自分から新たな怒りの材料を探し求め、
いっそう怒りの状態に拍車をかけることになる。
そのような怒りの連鎖の中にいるときには、人は我知らず自分に陶酔し、
その状態から脱却することが、ますます困難になる……。

確かに、怒りそれ自体は、ごく自然な感情で、否定すべきものではないが、
芸術活動ならともかくも、社会的に何かを主張しようとするときには、
主観的な怒りからは、とりあえず距離を置かなくてはならないだろう。
怒りにまかせて罵倒し、「敵」を叩いて自説を正当化しようとすると、
その言動は、本人及び怒りを共有する一部の人にとっては快感には違いないが、
それ以外の人から見れば、迫力はあっても妥当性は感じられないだろうし、
ましてや、意見を異にする人を説得することは、到底不可能だろうと思われる。
思うにまかせないことが多いときほど、これは心がけなくてはならない。
心がけてすぐ、自分を制御したり怒りから自由になったりはできないけれども、
その方向の努力だけは、忘れないようにしたいものだと思った。

……というわけで、今年もなんとか、お盆の法要を終えることができた。
若院さんもお元気そうで、私たちも家族揃ってこの日を過ごすことができ、
ありがたいことだと昨日は思った。
しかし、そういうケンキョな感謝のあとに言うのもナンだが、
この行事のために、私は前日の10日の夕方から大忙しだった。
お花とお供え物(果物と和菓子)を買いに行き、
お寺さんにお渡しするお布施と、家族の人数分のお数珠とお線香を用意し、
ゴミ袋や電池、作業用軍手、ガムテープ、ヒモ、等々をバッグに詰めて、
作業後には着替えをしなくてはならないから、肌着も適切なものを考えて選び、
更に、水とお茶とリポDを冷蔵庫で冷やしておいて直前に荷物に入れる、
という算段をした。
旅行荷物さながらの分量になった。
勿論、法要のお願いやタクシーの予約をするのも、私の仕事だった。

舅宅が既に無人になって久しいものだから、
普通の家なら常備されているものすら、揃っていない状態になっており、
そこへ行って作業するには、準備の段階からなかなかシンドいものがあった。
私の育った実家は、ヨソもんには容易に暗記できないほどの人数の親戚がいて
(あまりに閉鎖的で狭い村で、村民のほぼ全員がどこかで親戚だから)、
盆だの正月だのというと、「しがらみ」を絵に描いた状態だったものだが、
婚家は婚家で、係累がなさすぎて、気楽とは言え、
若干、困った状態に陥っているのだった。
まったく、自分の人生が極端から極端に走っていることを実感した。

そうそう、ひとつ、忘れないうちに書いておかなければ。
昨日、主人と一緒に庭掃除をしていたら、舅宅の箒が一本、壊れた。
経年劣化のため、付け根がパッキリ折れるかたちで破損したので、
ちょっともう、買い直す以外にない状態だった。
次回行くときには、箒を新しく買って持っていかなくてはならない。

舅があの家で煙草を喫わなくなってから、既に7年ほど経っているのに、
舅宅は未だに、昔の煙草の匂いがたちこめていた。
玄関のドアを開けただけで、この匂いはハッキリしていて、
「じーちゃん家だな~……」
という感慨があった。
……のは、まあ良いのだが、これが何にでもすぐウツるので弱った(^_^;。
いつものことなのだが、舅宅から帰って来ると、
持って行ったものにも私たち自身にも、煙草的な匂いがウツっていて、
我が家のように、煙草の匂いがもともと全然ついていない場所まで来ると、
途端に、その独特の匂いが、自分や持ち物から立ち上って来るのがわかるのだ。
四半世紀に渡って焚きしめた煙草の残り香・移り香は、全く凄いものだった。
というわけで、きょうは、家族全員のシャツもズボンも下着も何もかも、
朝から大量に洗濯している(^_^;。

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