八幡平にある旧松尾鉱山と言えば、最盛期(昭和28~33年頃)には東洋一の産出量を誇る硫黄鉱山で、人口1万7千人、近代設備も整う「雲上の楽園」と言われるほど栄華を極めたのであります。
しかし時が経ち、石油精製の過程で硫黄が取れることが分かると、各地の硫黄鉱山は閉山に追い込まれていき、ここ松尾鉱山も例外に漏れず、昭和47年に閉山。60年間の鉱山としての役割を終えたのです。
当時の社宅アパートは、木造のものは消防の火災実験として燃やされ残っていません。今、ここに廃墟として残されているものは、すべて鉄筋コンクリートのアパートです。
閉山から43年の時を経て、コンクリートはひび割れ、剥がれ落ち、少々危険です。
往時は、華やかであったであろうエントランスのガラスも一枚残らず割れている。誰か面白半分に割ったものと思われます。
今ではウサギぐらいしか歩かない廊下も、たくさんの子どもたちが駆け回って遊んでいたかもしれない。
43年と言う歳月は、建物の中に木が生える年月とも言える。当時4歳の子どもにも白髪が生えてくる。
窓枠が欠落した向こう側の景色には、今、建設中の地熱発電プラントから朦々と白煙が上がっている。左側には露天掘りの跡が見える。
鉱山が始まる前の八幡平って、どんな景色だったのか?地熱プラントが動き始めたら、どうなるのか?
誰かが押したスイッチも、今、誰も押す人はいない。
当時は最先端でも、今は廃墟。負の遺産だ。
誰がやったのか、当時使っていた食器や粉ミルクの缶が整然と並んでいた。
ちょっと洋風な折りたたみのちゃぶ台。43年経っても、所々に感じる生活感。
誰かが履いてた白いパンプス。
当時は、病院、映画館、小、中、高校もあったんです。
屋上から見える景色。多くの人がここに生活していた。
長い年月をかけて、崩れ、朽ち、埋もれていくのか?それとも立ち続けるのか?
ご覧のように、閉山したからと言って、それで終わりではないのです。こうのような廃墟群を残し、今でも1日あたり2,600トンの強酸性の鉱毒水を24時間体制で処理しなければならないのです。それにかかる費用は年間5億数千万円とのこと。5億と言えば、岩手県だって腹が痛まないわけがありません。しかも、何時までやらなきゃいけないんでしょう?
今の世の中を見てると、過去の失敗が生かされてないし、まったく反省もしてないとしか思えてなりません。
こんな負の遺産はもう要りません。
初めてコメントします。
御在所で松尾鉱山関係の写真集などを見ました。
まさに、壮大な廃墟で負の遺産ですね。
昔、北上川が黄色く濁っていて、がっかりしたことがありました。
あれも、この廃液だったようです。
過去の失敗から学ばない国と国民になったようだと思います。
まさに今、過去の失敗に学ばないと、とんでもないことになりかねないと思いますね。
中和処理を始めてからは、水も澄んでそのような魚が釣れなくなりました。
いつまで続くのか負の遺産の処理費用私らの税金なんですよね~!
それにしても雪降りませんね~
今シーズンは、怪我してるのでスキー履けるか怪しいですが見かけたら声かけますのでよろしくです。
具合はいかがでしょう?
私の郷里は東山(現一関市)です。
子どもの頃、大船渡線に乗って一関に行く際に、川崎で北上川を越えるのですが、鉄橋から見下ろす北上川がいつも黄色味を帯びていたような記憶があります。
結局、たかだか60年稼働しただけの鉱山の鉱毒水の中和処理をいつまで続けるか分からないんですからね。「あの頃は良かったね。」と懐かしむ前に、過去の失敗から学んで欲しいと思います。とくに大企業の社長さま、政治家の先生さま。
雪がなかなか降りませんが、まあ、時期になったら滑れるようになるでしょう。早く良くなると良いですね。