自然公園保護管理員の仕事が終わった後は、ネパールのトレッキングでした。
ネパールの震災後、エベレスト街道を歩くのは初めてでしたが、街道筋の復興は目に見える範囲では順調なようでした。
写真は、sherpa foundationのサポートで、倒壊家屋の再建が行なわれているところ。世界各国からの支援も届いていました。
ナムチェの下を流れていた川は以前よりも整備されました。時間により噴水が勢い良く水を噴き上げています。
とは言え、まだあちこちに地震の爪痕が見受けられます。
インド大陸がゴンドワナ大陸から分離し、ユーラシア大陸と衝突することで5000万年という歳月をかけて隆起したヒマラヤ山脈。
年に7cm程度のスピードで北上するインドオーストラリアプレートが、現在もヒマラヤ山脈を押し上げています。造山活動が続く限り、今後も地震と付き合っていかなけばならないのでしょう。
エベレスト街道は生活のための道。古から続くチベットとの交易路でもありました。現在も街道筋の生活のため、ヤク、ゾッキョ、ロバなどが荷を運びます。もちろん人力も健在。我々はそんな生活道を歩かせてもらうわけです。
道というからには整備も必要です。来る度に人の手により、人も家畜も歩きやすくなっていきます。
そんなエベレスト街道を20年以上も整備しているという齢80を越えるおじいさん。街道を通る方の寄付によって道が整備されています。表情から頑な意志が感じられました。そしてその意志を受け継ぎ、支えているのが若い奥さん。
今日もドネーションボックスを担いで、道の整備に向かって行きました。寄付を募ってやっていますが、決してお金目当てでは、こんなこと出来ません。これは強い意志です。私もかくありたいと思う次第。
そして街道筋の中でも被害の大きかったクムジュンでは、村のチョルテンの再建叶い、カトマンズからデューリンポチェをいう高僧が招かれ、開眼供養のプジャが盛大に行われているところでした。
イエティーの頭の毛皮が安置されていることで知られるクムジュンのゴンパは、再建に向け急ピッチ。本堂には入れませんが、イエティーの頭の毛皮は拝観できます。
トレッキングを終えてからはカトマンズ市内の観光。被害の大きかったボダナートもやっと修復が終わり、ちょうど開眼供養のプジャがこちらでも行われていました。
大勢の僧侶が笛太鼓を鳴らし、経を唱える。
日々の暮らしの中に祈りがあり、心の安寧がはかられる。
生活のすぐそばに、「死」を感じさせる場所がある。日本では「死」が、どこか遠いところへ行ってしまい、生活から隔離され、「死に対しての拒絶」ばかりが目につくようになった反面、命の重さが軽くなってしまったように思う。
エベレスト街道の復興のスピードに比べると、カトマンズ盆地の復興は遅れがちという感じ。しかし、こういう歴史的建造物はまだ良いほうなんでしょう。ちょっと裏へ入ったり、田園地帯へ向かえば、まだ避難所やブルーシートの仮住まいで生活を余儀なくされている人たちが大勢いるとのこと。
しかし楽観的雰囲気が感じられるところが、やはりネパール。
古い町並を歩いていると、つねに神様の目線に晒される。
人間は見られていると感じることで、規律を守ろうとする習性があるようです。犯罪抑止にも一役買っている形の神様たち。
こういう神様たちに見守られながら生活するネパールの人たち。
入り口の隅の小さな彫刻にも神様。
優しく微笑みかける神様。
神様へのお供え物が絶えることはありません。門前の供物屋のマリーゴールドはいつでも色鮮やか。
寺に日常あり。スマホ片手の若者たち。
確かに地震で傷ついた。しかし市民は案外弱くない。
神様はすぐそばにいる。
古都カトマンズは確かに傷つき、甚大な被害に見舞われました。復興にはまだ多くの時間を費やす必要がありそうです。
しかし、人々の暮らしの中には希望の光が差しているように感じました。