今度、仕事で四川省大雪山脈のトレッキングに出かけるにあたって、久し振りに本棚から引っ張り出して読んでみた。
ミニヤコンカのピークにアタックをしかける松田と菅原。しかし、悪天候と高山病で登頂をあきらめた2人に待っていたのは、より困難を極める下山だった。
それに追い打ちをかけるような無線の故障。山頂直下から交信が途絶え、もはや誰もが2人の生存の可能性が無いと判断し、登山隊は撤収。しかし、彼らは生きていた。彼らは仲間を信じて下山するが、仲間はもういない・・・。
下山途中、松田は菅原と離れてしまう。松田は19日間朦朧としながらも、凍傷に痛む足を引きずりながら下山し、麓に住むイ族の男達に奇跡的に助けられる。しかし、菅原は後の遺体捜索隊に発見される。
1982年の出来事である。当時はすごくセンセーショナルな報道がなされたことを今でも覚えている。
成功例から学ぶことは多い。しかし、失敗例、このような遭難事故から学ぶことはもっと多い。遭難はミステイクの積み重なりで起こる。そのミステイクが多ければ、甚大な事故になってしまう。
そして、この2人の生死を分けたものは何だったのか?最後は、「生きようとする気持ち」だったんじゃないんでしょうか。生と死を分ける局面で、私はこういう気持ちをもち続けることが出来るのか?