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すーさんの山日記

山と釣りとテレマーク
八幡平の登山情報

能登半島ボランティア 6/10~6/21

2025-06-23 20:03:57 | Weblog

昨晩遅く能登半島から戻ってきましたが、昨日は、珠洲市で洪水警報が発令されたようで心配です。被害が少なくすむことを祈るばかりです。

今回もボラキャンすずにお世話になり、キャンプ生活をしながらのボランティア活動です。朝のミーティングを済ませたら、それぞの現場へ必要な機材を揃えて出発!

粗大ゴミに出すには気が引けるお仏壇は、処理に困っている方も多いはず。

ボラキャンすずでは、金属類をリサイクルすることで供養代を捻出し、ご供養の後、適切に処理しております。

輪島市町野町の真言宗岩倉寺は険しい山中にあり、境内に続く道路の復旧が目下の課題ですが、地元の有志を中心に奮闘中です。

1300年の歴史を持つ古刹ですが、昨秋の豪雨災害で裏山からの土石流でご覧の状態になってしまいました。

町野川上流部能登町柳田付近は、昨秋の豪雨災害時の被害が無かった訳ではないようですが、おそらく以前と比較した時の渓相の変化も少ないと思われ、魚影も確認出来ました。

毛鉤に反応を示すのはオイカワでした。口の小さいオイカワに対して毛鉤がデカくてなかなか釣り上げることが難しかったです。

珠洲市宝立にある浄土真宗妙厳寺。珠洲市にある寺社では、最大級の大きさではないかと思います。敷地もそれなりに広く、草刈りするのも難儀です。

今夏の公費解体が決まっていますが、防犯上の観点からも、綺麗に刈っておけば物取りも侵入しずらいと思います。

キャンプ場での交流も楽しみの一つ。

復興イベントの会場設営のお手伝いにも行きました。災害復旧から復興支援へのフェーズの移行期では、こう言うこともボランティアのお仕事。

輪島を舞台にした朝ドラ「まれ」で、主人公のお母さん役だった常盤貴子さんが度々能登半島に来ては活動をしておりますが、今回は一人一花プロジェクトで珠洲市飯田町の住民と一緒に花を植えました。

珠洲市正院町平床。震災により住民の流出が加速している奥能登ですが、田んぼの担い手も減少して耕作放棄地も増えています。一旦耕作放棄地となってしまえば、元に戻すのには相当の労力が要ります。地元に残り頑張っている方の応援もしたい。

機械で出来ないところを手植えでお手伝い。平坦地の少ない奥能登の山間では狭い田んぼも多く、手間がかかります。

今回は、災害ボランティアよりは、復興のお手伝い多めの11日間でした。

花鳥風月

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能登半島災害ボランティア 3/5~3/13

2025-03-14 16:51:10 | Weblog

3/6~3/12、ボラキャンすずにお世話になりながら、能登半島の災害ボランティアに行ってきました。

ヤブツバキが綺麗に咲いていました。2011.3.11から14年経ちましたが、その間、全国各地で毎年のように甚大な災害が発生しています。自然の猛威の前には、人間の作り上げたものなどいとも簡単に跡形もないぐらいに破壊され、流され、埋められ、多くの人命も失われていきます。

鉢ヶ崎にあるキャンプでは、まだ朝晩冷え込んでサラッと雪が降ることもありましたが、日に日に暖かさを感じるようになってきました。

公費解体が進み、更地が目立つようになり、発災直後の生々しさが薄れてきましたが、高齢化の目立つ仮設住宅の住民を見ると、この更地に新しい建物が立つことがあるのだろうかと思わざるを得ません。

インフラの復旧は、ペースは遅くても着実に進んでいます。

昨秋の豪雨災害では、甚大な被害の出た奥能登ですが、まだ復旧には程遠いところも多く残されています。風光明媚な曽々木海岸近くの真裏地区にある海楽荘もその一つ。

建物の内に外に多くの土砂がまだ撤去されず残されています。

豪雨でご主人を亡くしたお母さんのためにも、この土砂を取り除いて気持ちだけでも軽く出来たら良いなあ。地元の有志やボランティアによって、人力と重機を合わせて日々土砂の搬出に精を出す。

東北から九州から、全国から熱い仲間が集まってきます。

今回は写真洗浄会にもお邪魔して、お手伝いを少しばかりさせてもらいました。

自分を自分たらしめるものは記憶。その意味では、人生とは壮大な思い出作りの旅とも言えそうです。写真は、その時の記憶を呼び覚ますツールとして、あるいは記憶そのものと言っても過言ではありません。ほんのいっときでしたが、その思い出の保存に立ち会えて、ほんのちょっとでしたが、お役に立てたならこれ幸い。

ボラキャンすずとしての取り組みの一つに仏壇回収があります。家屋の解体と同じように解体ゴミとして出すには忍びない。回収した仏壇のリサイクル出来る部品をお金に換えて、お坊さんに魂抜き供養してもらった後、然るべき方法で専門家に処理されます。

この地域では、涅槃団子という習慣があり、3月に入った週末に餅つきをするそうで、週末は餅つきラッシュでした。今回は、キャンプ場近くの蛸島地区の仮設住宅に身を寄せる皆さんと餅つきする機会に恵まれました。せっかくですから珠洲の皆さんに、一関のくるみ餅やずんだ餅もご賞味いただこうと、浜のおばちゃんたちにもお手伝いいただきました。

一関の餅文化にどっぷり浸りながら育った私です。餅をつくのも返すのも任しとけ!

わっしょい!わっしょい!餅つきが始まると自然と人が集まってきて、お手伝いの輪が広がる!これが餅つきの持つパワーなのだと、改めて餅つき文化の中で育ったことを誇りに思うのでした。

今回初めて、大谷を越えて真浦に抜ける隆起した海岸沿いに作られた迂回路を通りましたが、急峻な崖から崩れ落ちた大岩の量もさることながら、この通過している場所がそもそも海だったということに驚きです。

昨秋から継続的に作業に入っている粟倉医院の現場もかなり整ってきました。2トンダンプで土砂捨て場を何往復もしましたが、ゴールが見えてくると嬉しいものです。

午前の診察を終えて、午後から作業を開始する先生。重機の操作もかなり上手くなってます。

O先生と幼馴染Hさんの案内で、鈴屋地区の上流部へ初めて行ってみましたが、9月の豪雨からほぼ手付かずのところばかりです。相当な被害です。

山肌が大きく抉られているところが多数あり、治山対策も早期対応が求められる。

奥能登復興への道のり半ば。まだ多くの助けが必要です。

 

いつもどこかで (2022 仙台 LIVE)

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能登半島より友来る 2/14

2025-02-15 20:29:10 | Weblog

昨年は度々能登半島の災害ボランティアに行ってきましたが、ボラキャンすずで出会った方々には、学生の時の部活のような利害抜きの関係があると感じています。そんなボラキャンすずの仲間の中でも、選りすぐりの濃いメンバー皆さんが、珠洲から15時間かけて遠路遥々八幡平まで来てくれました。

それに応えるべく、八幡平を満喫し、さらには今までやったことのない新しい体験をしてもらいたいと、テレマークのステップソールで近所の林へ歩いて行って、イグルー作りにチャレンジです。私にとっては日常の新雪歩きも皆さんには新鮮なこと。「ラッセルって何?」と言うレベルから「ラッセル泥棒」を知るに至る。

イグルー作りは段取りとチームワークですが、そこは普段から災害ボランティアの最前線で活動しているメンバーです。ちょっと要点をかいつまんで教えるだけで、勝手にバランス良く動いてくれます。流石です。ブロックは薄くて長い方が良い。

冬山登山において雪洞を掘って一晩を過ごすことは、広く認知された方法ですが、積雪量が無いと雪洞は掘れません。そんな時、イグルーなら雪のブロックが作れる量があれば良いんです。イグルー作りは攻めの姿勢も大事です。いかにして手前に迫り出して重ねられるかで、屋根の高さも変わります。

ブロックを乗っけていった端から、新雪を外側にかけていきます。ペタペタ押し付けなくても勝手にくっついていき、強度が増し隙間も塞がります。外から見たら、かまくらにしか見えませんが、

出来上がった内部から見上げれば、この通り。上手に積み上げることが出来ました!流石ボラキャンすずのチームワークです。仕上げは雪から溶かしたお湯でコーヒー飲んで〆。

雪山登山の雪洞に変わるものでもあり、単純に雪遊びのアクティビティとしても十分楽しいイグルー作り。能登の子供達にもやらせてみたいねなんて話もありました。ホントそう。

遠路ありがとうございました。皆さんからエナジーをもらいました!

 

James Taylor & Carole King - You've Got A Friend (BBC In Concert, 11/13/71)

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謹賀新年 2025

2025-01-01 17:04:45 | Weblog

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

昨年は1月1日の能登半島地震から始まり、7月酒田の豪雨、9月には能登を豪雨が襲い、度々災害ボランティアへ向かいました。能登半島、酒田トータルすれば、1ヶ月近い日数を災害ボランティア活動に従事しました。

今年は、そう言う災害が起きないことを願うばかりですが、災害列島日本において、地震、水害、火山噴火、何が起きるか分かりません。行政も災害時の対応力を上げるとともに、民間のボランティア活動がもう少し敷居が低くなるような法整備も必要かと思います。民間の力なくては、災害からの復興はありえないと、現場で痛感しました。

そして、日本人の多くが、困っている人を見たら、そっと手を差し伸べてあげる優しい心を持った民族になることを願います。

能登半島地震から1年。震災で命を亡くされた方々のご冥福をお祈りするとともに、1日も早い復興を祈念いたします。これからも、復興を見届けたいと思います。

 

お知らせしているところではありますが、今シーズンでテレマークスキースクールRASU-Tの看板を下ろします。今年のGWで、スクール活動もガイド活動もお終いです。特別扱いもいたしません。来年以降は一切スクール活動もガイド活動もやりません。必要な方は、今シーズン中に正規の手続きの上お越しください。

最後まで、どうぞお付き合いください。何卒よろしくお願いいたします。

 

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2024.11.23~11.29 能登半島災害ボランティア

2024-12-05 14:14:14 | Weblog

先月、豪雨災害直後に能登半島にボランティアに行ってからの再訪です。

輪島市町野町の豪雨災害は特に甚大で、いまだに大量の土砂瓦礫が処理されずにいます。

町野町のスーパーもとや。被災地の支援物資の補給拠点になっていて、今回、私が能登半島を去る日に営業再開を果たしました。

粟倉医院の大石先生は町の復旧活動に尽力されており、ボラキャンすずもそのお手伝いで、バックホーで大量に堆積している泥の除去を行なっています。

2tトラックで泥捨て場に何往復もします。

被災地に咲く花に希望の光を見出す。

普段は穏やかに流れる町野川。震災で緩んでいた地盤に大量の降雨で山側から大量の土砂が流入し、被害が甚大なものになりました。

ボラキャンすずの朝のミーティング。ボラキャンすずが抱える案件は多く、被害が大きかった町野町のまちなじボラセンへも派遣。

能登町にあるケロンの小さな村。ここの水車小屋も豪雨災害で大きく傷ついてしまいましたが、多くの人の協力で、水車が回る日も近いと思います。村長夫妻には、手作り玄米パン、カレーやらご馳走になり、大変良くしていただきました。

輪島市三井も被害が大きかった。

床下の泥出しは、泥を出す前の養生が重要。

床を剥がせるとこは、床を剥がし根太をしっかり養生してから。

床を剥がせないところでは、開口部から作業場所まで匍匐前進。

厚く堆積した泥を水害前の地面が出るまで綺麗に処理します。その後、消毒して、乾燥させ、竹炭を敷き詰めて・・・というような工程を経て、床を張り直し、元の生活に戻れます。前回泥出ししたお宅の半分が、元の生活空間に回復しており、目頭が熱くなってしまいました。

鉢ヶ崎キャンプ場からの南方面の蛸島。

宇出津港。 能登の海は水が本当に透明。

晴れれば、富山湾越しに剱立山連峰が遠望出来る。

地元の世話焼き人の林さんに手ほどきを受け、海釣り初心者の我々もグレの爆釣!釣ったお魚は、キャンプの晩の食卓に上がりました。

全国から個性豊かな人たちが集い語らう夜の時間は貴重です。日頃、山関係の偏った人間関係の中にどっぷり浸っていると、当たり前と思うこともそうじゃない。知らないこともたくさんある。違う業種、違う地域、違う考え。みんな違って当たり前。毎日勉強になるし、楽しいね。

ボラキャンすず、小林さんを中心に素晴らしいチームワークです。

 

2024.11.23~11.29 能登半島災害ボランティア

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酒田災害ボランティア 10/18

2024-10-19 18:04:15 | Weblog

10/18昨日は、八幡平から日帰りで酒田の災害ボランティアへ行ってきました。

象潟の道の駅ねむの丘へ到着する頃はまだ夜明け前。満月浮かぶ日本海に、月明かりの道が水平線の彼方まで続く。

象潟漁港の向こう、鳥海山の山の端が色づき始める。八幡平から酒田へ通うのも楽じゃないと、酒田方面からお越しいただくテレマークスクールの生徒さんのご苦労を思う。

酒田市の災害ボランティアセンターで作業前のブリーフィングと班分けをした後、依頼主さんのお宅へ向かい、床下からの泥出し班と災害ごみの選別ゴミ出し班に分かれての作業でした。

作業が終わって帰る時に、依頼主の息子さんは声を詰まらせて感謝の言葉をおっしゃってました。何処に助けを求めれば良いのか分からない人が相当数いると、今回思いました。

今日はボラキャンすずの関係者の方々と一緒に作業しました。皆さん、肩の力が抜けて、現場でも良い仕事をしてくれます。

作業後には、使った道具をみんなで綺麗にします。

泥出しに欠かせない一輪車の保有台数も半端ない。

豪雨災害発生からもうすぐ3ヶ月にもなろうかというのに、まだボランティアの手を必要としている方々が、まだ大勢います。専門的な知識とか技術とか無くったって、やる気があれば老若男女誰だって役に立ちます。

酒田市災害ボランティアセンター

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スケッチツアー@群馬栃木の山 10/8~10/10

2024-10-11 19:00:33 | Weblog

10/8~10/10の3日間、山里寿男先生とそのお弟子さんたちと、群馬栃木を巡るスケッチツアーのお手伝いをしてきました。

今回のお題は谷川岳、日光白根山、男体山という名だたる山ですが、天気予報は芳しいものではなく、ただのグルメツアーになってしまうかと危ぶまれましたが、ミラクル連発でしっかり枚数も描いていただけました。

初日は、天神平から雲間から顔を覗かせる谷川岳を描いて、次の日は丸沼高原のゴンドラ山頂駅まで上がり日光白根山。

ゴンドラ山頂駅にあるレストランのご好意で、室内で絵を描かせてもらいました。雨もポツポツ気温8度で、お客もまばら。今日の売り上げの半分ぐらいはこのグループの食事代だったかも?

丸沼から金精峠を越えると、湯ノ湖と男体山のスケッチポイント。紅葉には少し早いですが、お天気の好転の兆しを逃してはいけない!

光徳牧場の光徳の丘からは、男体山から大真名子小真名子がよく見えるスケッチポイントですが、手前の牧場の建物や柵を入れ込んで描くのが難しい。難しい課題ですが、暗くなる寸前まで熱心に男体山と向き合いました。

中禅寺湖畔のホテルが予約が取れず、真っ暗ないろは坂を日光の駅前のホテルまで一旦下山。JR日光駅の駅舎がレトロな良い感じ。

最終日は第2いろは坂の途中にある明智平でスケッチ。可愛らしいロープウェイに乗って5分もかからず到着します。晴れていれば華厳滝、中禅寺湖、男体山をいっぺんに納めることが出来るのですが、男体山はお隠れになってます。

徐々にガスが下がってきて真っ白になってしまい、今回のスケッチ終了。あまり予報が芳しくない中、枚数も描けたし、皆さんご満悦。

〆は中禅寺。詳しくはリンク先をご覧いただければよろしいかと思いますが、立木観音で有名で、坂東三十三観音霊場の第十八番札所ともなっており、784年開山の古刹です。中禅寺湖に行ったことのある方でも、中禅寺に行ってことのない方もいらっしゃるでしょう。せっかくですから今回は、スケッチツアーご参加のお弟子さんたちにも参拝していただきました。参拝が終わる頃には男体山のご尊顔を拝することも出来ました。

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能登半島災害ボランティア 9/27~10/3

2024-10-04 19:57:50 | Weblog

またまたボラキャンすずにお世話になって、能登半島の珠洲輪島でボランティア活動してきました。

能登半島地震の復興も遅々として進んでいない中、今回の豪雨災害。6月に比べると公費解体が進み、更地になったところも増えましたが、ほとんど変化を感じないところもあります。

地震による土砂崩れの爪痕もあちこちに見られる中、線状降水帯で集中豪雨が能登半島を襲えば、今回のような結果になるのは必定。

震災後の山の倒木類もほぼ放置されている状態では、上流から夥しい数の流木が流れてきてもおかしくありません。メインの珠洲道路沿いにも大量に堆積しているところもありました。

震災関連の瓦礫置き場(通称ジャンボリー)は、6月時点では稼働し始めたばかりでほとんど集積されていませんでしたが、建材瓦礫がうずたかく積み上げられていました。公費解体が始まって、町の辻々の瓦礫も撤去され、更地も増えてきました。

水害の泥出し以外にも屋根のブルーシート掛けのお手伝いも今回初めてやりましたが、土嚢袋を持って梯子の往復はしんどかった。

水害の泥出し作業で一番面倒なのは、床下の泥出し。床板をはがし、泥を出し、乾かし、消毒して、また板を張って・・・と手間がかかります。頭数が必要なのは、特にこういう床下の泥出しです。

ボラキャンすずには、プロのボランティアみたいな方から小学生まで、老若男女いろんな人が全国から集まってきます。今回は県内在住の親子とも作業しましたが、お二人ともよく働いていました。お子さんは小学生以上のパフォーマンスで私もずいぶん助かりました。厚く堆積した土砂を出して綺麗にするところまで。

ビニールハウス内の泥出しは灼熱地獄の作業でしが、熱中症にならないようにこまめに休みをとりながら。依頼主さんにも重機でお手伝いいただきながら、最終的にハウス内に排水用の溝を切るところまでやって喜んでいただきました。依頼主さんとお話しさせてもらうことも、精神的なボランティアになってるのではないかと思います。

今回の水害で道路が寸断されたお宅では、荷物を担いで歩いてアプローチ。どんな状況でもきっちり仕事をこなすボラキャンすずのメンバーには、頭が下がります。毎日、勉強させてもらいました。

ボランティアの最終日は、床下からのハードな泥出し案件でした。泥出し作業を終えて帰る時には、目を潤ませ深々と何度もお辞儀をするご夫婦に、こちらもグッとくるものがありました。床上浸水、床下に30cmの泥の堆積。これが心折れずにいられましょうか。
震災で家を失って、やっと仮設住宅住まいが始まって、今回の水害で浸水したところもありました。これが心折れずにいられましょうか。
 
いろんな支援の形があります。物資の支援、お金の支援、観光、地場産品の購入。でも今一番必要なのはマンパワーだと思います。スピード感が重要です。そのためにもボランティアに参加しやすいように、行政のサポートも必要です。制度的な問題もあると思います。これだけ災害が多発するする昨今、ボランティアの頭数を集めるための法整備も急がれることかと思います。

 

森山直太朗 弾き語りベストアルバム 泣いてもいいよ Music Video

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IBCラジオ『おかえりSONGS』収録 8/23

2024-08-23 21:00:02 | Weblog

本日は、IBCラジオ『おかえりSONGS』の収録。大黒森管理協同組合の理事長として行ってきましたが、村松文代アナの聞き上手におだてられ、組合のことからテレマークのことドラゴンアイ、現在行っているふるさと納税クラウドファンディングでの八幡平エリアの登山道整備プロジェクトのことまでペラペラ喋ってしまいました。オンエアは来週8/27(火)の夕方17:45~18:00です。
村松文代アナはとっても素敵な方でした。

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軍隊手帳 8/15

2024-08-15 23:33:00 | Weblog

終戦記念日は亡父の誕生日です。大正九年生まれ、生きていれば104歳ですが、私が二十歳の時に亡くなっているので30年以上経ってます。なので、大人になってから父と話したことがありません。

父の遺品の軍隊手張です。第2次大戦まで日本には徴兵制がありましたが、一般人でも必要に応じて召集されれば、戦地に赴かなければなりません。出征した後は、常にこの手帳を紛失せず携行せよと記載されております。

父は昭和十九年に24歳で招集され、博多から釜山に渡り、満州に赴きました。昭和十九年と言えば、中国の南方地域に戦力を移動せざるを得ない状況であり、昭和二十年の終戦の前年、戦況悪化の一途を辿る中、何を思い戦地にいたのか?戦争とはどういうものなのか?全く聞いたことがありません。喋りたくなかったのでしょうか。

軍隊手帳によれば、生きて国に帰れないことを前提とし、遺言を準備しておけ、遺骸が帰ることはないと思え、というような内容。帝国軍人としての心構えは、かくも非情なものだったのですね。

昭和二十年日ソ不可侵条約を破棄し、ソビエトが対日宣戦布告、樺太、千島列島、朝鮮、満州国に侵攻。父がどのタイミングで大陸から引き上げてきたかは分かりません。昭和二十年の3月まで任務にあたっていた記録はありますが、それ以上のことは分かりません。

鈴木家で言えば、たった一代前のことです。そんなに昔のことでは無いはずなのに、自分の記憶から薄れていくのも悲しいことです。お国のためと言って多くの若者が戦地で亡くなり帰ってこなかった。多くの一般人も戦火に巻き込まれた。世の中に良い戦争なんて無い。

自分にとっての一番至近距離で感じた戦争は、パキスタンのペシャワールで訪れたアフガン難民キャンプですが、劣悪な環境下のあの臭いが、今でも思い出されます。

「岸壁の母」二葉百合子、92歳歌声健在なり

父は、夏になるとこのレコードをかけて聞いてましたね。大陸から帰って来れなかった人たちが、どれほどいたことか。

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