こういう日だからこそ、松尾鉱山跡に出かけてみました。
アスピーテラインからは松尾鉱山のアパート群が見えますが、それ以外のものというのはなかなか目にすることもありません。今日はアスピーテラインからは目にすることもできない山神様を祀る神社を参拝。松尾鉱山時代から続くものです。
今となっては、参拝する方もほとんどいないと思いますが、注連縄は新しいものがかけられていました。社の前に佇む立派な狛犬や、大きな鳥居は往時の繁栄ぶりをうかがわせるものがあります。狛犬は何を見続けてきたのか?
戦後の高度経済成長を支えた鉱業は昭和40年代に入って軒並み閉山に追い込まれ、ここ松尾鉱山も例外にもれず、昭和47年に閉山。当時の建物で残っているのは、コンクリート製のこのアパートのみ。もはや遺跡と言っても言い過ぎではありません。
取り残されたアパートも、物理的な力を受け、化学的な変化を持って、徐々に崩壊していきます。
興隆を極めた時代を知る人も少なくなり、記憶は薄れ、徐々に埋もれていく運命にあるのか?
7号棟へ列41号室。
ろ列。「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」という具合に階段入り口に表示。
「いろはにほへどちりぬるを
わがよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみじゑひもせず」
未来を暗示していたかのような。
たかだか40年ほど前までは、この地にも人の営みがあった。
共同浴場へ続く階段。
当時の最先端を行く水洗トイレも完備されていた。
コンクリートで出来た頑丈な建物も、いずれ朽ちていき埋もれていく。当時、こんな未来を想像していた人が果たしていたか?
竹製のストックが落ちていた。当時は、ここから多くの国体選手が輩出されたという。
この窓越しに見える景色は今のそれとは、まったく違うものだったはずだ。
一家団欒を照らした電球が灯ることもない。
次第に植物に覆われ最終的には深い地層に埋もれていく。
結局、時代の流れに逆らうことは出来ないんですね。
どこまでも続く右肩上がりの経済成長しか見えなかった時代のバベルの塔か?
1万7千人とか住んでたら出るゴミの量も相当な量だったと思います。
なんなんですかね。朽ちたものの出すエネルギーって言うんでしょうか?考古学者ってのは、そういうものに魅了されるんでしょうね。土の中からこんな遺跡が出てきたら、未来の考古学者はこれを何と理解するのか?
当初松尾鉱山病院として建てられた建物は、鉱山閉山の後に学習院によって買い取られ学習院松尾校舎として、多くのご子息ご令嬢が野外活動を通して思い出を作った場所なのです。平成17年に閉鎖され、今では記念公園という形ですっかりさら地なっています。
コンクリートでは塞ぎきれないものがあり、コンクリートは永遠ではなく、いずれ朽ちて埋もれていくということか。
5年経ちました。当時のことを思い、現在を思い、明日を思い。黙祷。
黙祷させてください