すーさんの山日記

山と釣りとテレマーク
八幡平の登山情報

ネパール・エベレスト街道トレッキング 10/23~11/3

2019-11-04 23:56:37 | ヒマラヤ/カラコルム

秋の恒例、ネパールトレッキングに行ってまいりました。今回はエベレスト街道をナムチェのちょい先のシャンボチェまで。

通常、エベレスト街道の起点となるルクラまでのフライトはカトマンズ離発着なのですが、現在滑走路の拡幅工事中で、国内線利用がかなり制限されており、ほとんどの人がカトマンズから東へ車で4〜5時間ほどのラメチャップからの離発着便利用となります。ご覧のような相当ローカルな空港で、セキュリティにはX線もありません。

荷物満載の双発プロペラ機は若干の不安感とともに離陸しましたが、操縦士と副操縦士の息ピッタリで無事ルクラ(2840m)の空港に着陸。

ルクラ到着翌日からトレッキングはスタート。カトマンズからのダイレクト便がほとんどないせいか、ルクラの街中にはトレッカーは例年より少なめ。

街道は、日本では感じることの出来ない雰囲気に溢れています。

ロバが導入されたここ数年、人力で荷物を運ぶポーターの数は徐々に減りつつあるように思えますが、融通の利く人力ポーターはまだまだ欠かせない存在。

高所では、ヤクと牛の交配種のゾッキョがメインの輸送力。ゾッキョ使いはゾッキョドライバーと呼ばれます。

昔ながらの石畳は急勾配。

最近、トレッキング時のパーミッションにかかる料金徴収システムが変わり、国立公園の歩道整備にお金がかけられるようになったと思われ、随所に新しい石畳が完成しました。

動物との出会いもあるエベレスト街道。今回はサルに遭遇。

モンジョの国立公園界でチェックを受けて、ボテコシ、ドゥドゥコシ、二股の吊橋を渡るとナムチェに向けての本格的な登りとなります。高度順応的にはこの標高差600mほどの登りで急がないのが肝心。

ゆっくり時間をかけてシェルパの里ナムチェ(3440m)に到着。時代とともに時の流れは速くなっていき、最近、若干時代に付いていけない自分に気づきますが、ここに来ると少しホッとします。

1953年にヒラリー卿とともにエベレスト初登頂を果たしたテンジン・ノルゲイ。ナムチェの丘に建つ銅像は、微妙に色が変わって赤っぽくなってました。昨日までのなんとなくはっきりしない天気から一転。エベレストが顔を出しました!

ナムチェからシャンボチェへの登りは時間は短いものの、急登続きで息が上がる。酸素も薄くなっていく。でも休み休み行けば大丈夫。

シャンボチェのエベレスト・シェルパ・リゾート(旧パノラマホテル)まで登ってくれば、エベレストがよーく見えますよ!

そして眼下を見下ろせば、2日間かけて歩いてきたドゥドゥコシ沿いの街道の集落も見えますね。

シャンボチェのエベレスト・シェルパ・リゾートは、先の大地震で大壁に亀裂が入ったりしたようですが、大事には至らなかったようです。

部屋の中はいたって快適。電気ストーブまで付いてます。サービス良すぎか?食事も美味しかったですね。

シャンボチェの滞在日は、ゴンラピーク(4028)に登り、クンデ、クムジュンをぐるりと回ってシェルパ族の文化にも触れる1日。エベレスト街道には、やっぱりヤクが1番よく似合う。

ゴンラピークは好展望の小ピーク。クンデ、クムジュンもよく見えます。故植村直己氏が、日本隊としてエベレスト初登頂を果たす前の冬、このクンデ、クムジュン界隈を登山靴履いて走り回っていたと言う、日本人にとっても馴染みの場所です。

現在、ナムチェからルクラまでのゴミ持ち帰り運動が行われています。写真の白い袋がそうです。1人1個持てば、かなりのゴミがルクラまで移動出来ます。我々の隊もご参加の皆さんに、快くご協力いただきました。 ・・・と言う感じに、気持ち良くトレッキングを締めくくり、ラメチャップ経由でカトマンズへ。

 

カトマンズに帰ってからは市内観光です。昨年までは、地震によりダメージを受けた文化財は、未だ修復中で足場が組まれたものがほとんどでしたが、今年は、足場が外されたものが多数見られました。

足場が外されれば、やっぱり、こうして文化財の中でゆっくり時間を過ごしたいカトマンズ市民なのです。

ご参加の皆様、ありがとうございました。

 

アルパインツアーサービス

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラパタール・エベレストBCトレッキング ネパール 11/10~12/1

2018-12-03 22:05:42 | ヒマラヤ/カラコルム

 11/10~12/1はネパール・エベレスト街道の最奥・カラパタールとエベレストBCまでトレッキング。

まずはカトマンズからルクラまでは飛行機で30分。ルクラではすぐに移動せず、まず高度に体を慣らしてから、翌日トレッキング出発です。

街道筋の人々の生活を垣間見ながら、ゆっくりペースで歩いていきます。

トレッキング中は何度も吊り橋を渡る機会がありますが、ナムチェへの急登が始まる手前の吊り橋はやはり特別。ここを渡ると、いよいよ3000m台へ突入するので、気が引き締まります。

急坂が続いた後にナムチェの街並みが見えるとホッとしますね。

ナムチェからシャンボチェのエベレストビューホテルを目指す。なかなかの急登で息も上がります。。。

世界各国のトレッカー集うエベレストビューホテルのテラス。エベレストもほんの一瞬顔を出してくれました。

イエティーヘッドで有名なクムジュンのゴンパ。歴代の僧侶たちが目を通したであろう古いお経がたくさん収納されている。

標高が上がるにつれ、乾燥させた牛糞が燃料としての重要度が増す。

タンボチェあたりから、天気が好転の周期に入った!エベレストもよく見えるようになる。

パンボチェ手前の古いチョルテンとアマダブラムはベストマッチ。 

昨年は確認出来なかった故加藤保男のオーバーミトン。今年は持ち主に会えて良かったあ。。。

もうすぐ4000mと言うところのパンボチェ。天気が好転の周期に入ったとは言え、パンボチェを過ぎると、ゴラクシェプまでエベレストは一旦隠れてしまう。

ディンボチェ手前の峠。4000m台に突入すると、呼吸が一気に苦しくなる。休み休み歩く。

ディンボチェでの滞在では高度順応で裏の小ピークへ登る。ディンボチェで上手く順応出来れば、この先も上手くいく。

小ピークの途中から谷を俯瞰する。

ディンボチェからロブチェへ向かう平坦な道。左にタウツェ、チョラツェを仰ぎ見ながら。各国のトレッカーがカラパタールを目指して、ファイナルステージ。

トゥクラ峠を越えると、国境の山々がいよいよ近づいてくる。

ロブチェを暗いうちに出発し、最大の難所チャングリ氷河を日の出とともに越える。アップダウンのある氷河横断は5000mを超えるところでは、本当にしんどい。

ゴラクシェプまでくればカラパタールも近い。近いのだが、5000mを超えると酸素は下界の半分で、一歩がなかなか前に出ない。

プモリから伸びる支稜線のコブがカラパタール。プモリがすぐそこにある。

朝早く出発した甲斐もあり、一点の曇りもないお天気。しかし、エベレスト山頂には雪煙が上がる。8000mの上空にはつねに強風が吹いている。

カラパタール山頂付近からクンブ氷河を俯瞰。

翌日はエベレストBCまで。クンブ氷河サイドモレーン上をアップダウンの連続。

我々にとっては最終目的地でも、エベレストを目指す登山家にとってはスタート地点。恐れ入ります。。。ポストモンスーンの登山はもう終わっているので、BCにはテントは一つもありません。

用が済んだら、さっさと降りる。高所の鉄則。世界から押し寄せるトレッカーのため、ヤクは毎日荷揚げの日々。ありがとう。

ペリチェからのアマダブラム。ここではいつも雲が茜色の染まる。

往路では雲が多くエベレストは隠れがちでしたが、復路は晴天続き。

ナムチェまで降りてくれば、呼吸も気分も楽になる。

2000m台まで降りてくれば、空気の濃さ暖かさが格段に変わる。普段は酸素の有難味なんて感じることはないが、高所トレッキングを終えて高度を下げてくると痛感です。ありがたや。ありがたや。

そして、我々のトレッキングを支えてくれるスタッフにも感謝。

毎日、文句も言わずよく働いてくれました。

現地スタッフの存在なしでは、長期のトレッキングは成り立ちません。感謝。感謝。

下山後は市内観光。ネパール大地震からの復興は、着実に前に進んでいます。

場所によっては、足場が外されたところもあります。

外国からの支援もあり、現場では多くの方が修復作業に従事しています。

どんだけ時間がかかるのかと思われていた文化財の修復作業は、思いの外スピーディに進んでいるように感じました。

ネパールでは、いろんなところに神がいて、みんなを見てるよ。

ほら、見られてる。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンナプルナ・ダウラギリパノラマトレッキング 3/23~3/31

2018-03-31 22:46:20 | ヒマラヤ/カラコルム

3/23~3/31でネパールのアンナプルナエリアのトレッキングに行ってきました。

年々、奥へ奥へと車が入れるようになり、日程も短縮され、トレッキングは便利になる反面、今までじっくり歩きながら通ったところもスピード感をもって、砂煙を巻き上げ。。。ああ、ネパールのこんな山奥まで、資本主義経済の枠組みの中に取り込まれてしまうのか?これ以上開発が進まないでほしいと願うのは、旅行者の勝手なノスタルジーと言えばそれまでのこと。

トレッキング初日はキムチェ(1650m)からスタート。

歩みを緩めれば、住民の造作の成果にも感嘆の目を向けられる。速ければ良いというもんでもなかろう。

トレッキング初日はガンドルン(1950m)のロッジに着いた後、雷を伴った雨でしたが、夕刻にはアンナプルナサウスが雄姿を現す。

聖山マチャプチャレ。魚の尻尾という意味。

翌朝はすっきりと晴れわたり、アンナプルナサウスからヒウンチュリの吊尾根もくっきりと。初日のロッジはこんなロケーション。

トレッキング2日目のお昼はバイシカルカ。バイシは水牛、カルカは放牧地という意味ですが、普通の牛しかいませんでした。この辺りの標高まで上がってくるとシャクナゲも本格的に咲いてきます。白いのはタムシバに似た花。

シャクナゲの開花も本格化して、シャクナゲトレッキングもこれから!と思ったら、雨が降ってきました。シャクナゲは日本のものからは想像も出来ないような太さ。まあ、それなりに雨も降るというものです。

2日目の宿泊地タダパニ(2650m)は、とても狭いエリアにロッジがギュッと密集してます。ハイシーズンには飛び込みでの宿泊はなかなか厳しいものがあります。

3日目はアップダウンの激しい1日。3000mのデウラリ峠へ向けての登りが今日の核心。

峠裏手の丘に登れば、ダウラギリが望まれる。霞やすい春の昼の時間帯に山が見えるとはラッキーなこと。

デウラリ峠を下りて行けば、眼下に満開のシャクナゲ林。

3日目の宿泊地ゴラパニ(2895m)へ向け下る。山全部シャクナゲ!

シャクナゲの向こうにダウラギリ!今年はちょうど良い時期に当たりました。

シャクナゲは3種類ほどあります。

場所によっては、張り巡らされたシャクナゲの根の間を縫って。

翌日は、早朝、真っ暗い中を出発して1時間20分ほどで、好展望で知られるプーンヒル(3194m)へ。世界各国から大勢のトレッカーが訪れます。ここ数年、中国人トレッカーが増えましたね。

初詣帰りの明治神宮のような。。。でもシャクナゲ満開。

プーンヒルを往復した後、4日目の宿泊地ヒレ(1500m)へ。シャクナゲもさることながら着生ランもこれまた見事。あちこちに咲いてました。

街道筋での出会いもまた楽しみ。ターザンごっこで遊ぶ子ども。めんこいね。

放牧へ向かう羊の群れにも遭遇。イライラせずに待ちましょう。日本人とネパール人の時間の流れ方は明らかに違う。

ウレリからティルケドゥンガの石段の下りは、長くつらい。。。

ジープ道はウレリまで完成。バスはヒレまで入って来れます。ですが、最終日はヒレからナヤプルまで歩いて。

ナヤプル手前の昔ながらの吊り橋も懐かしく。

ナヤプル(1070m)は、ちょっとしたものならけっこう揃うぐらいの商店街。前夜の雷雨で、路面が濡れていて埃が立たず良かったですね。

バスでポカラまで移動し、飛行機で30分でカトマンズ。

半日市内観光ではモンキーテンプルことスワヤンプナートへ。

震災から2年。倒壊した建造物の復旧作業も少しずつですが進んでいます。

被害の大きかったダルバール広場もスピード感はありませんが、各国からの援助により復旧作業が進められています。

ダルバール広場にある生き神様クマリの館。上の写真の中央、黒っぽい建物です。

今回は久しぶりにクマリのご尊顔を拝することが出来ました!こちらの窓から10秒ほど顔を出してくれましたが、残念ですが写真撮影は禁止されています。

9日間と短いツアーでしたが、内容ぎっちり、お天気まあまあ、シャクナゲ満開。ご参加のみなさん、ご満悦だったのではないでしょうか?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネパール・カラパタール&エベレストBCトレッキング 10/24~11/14

2017-11-15 16:46:26 | ヒマラヤ/カラコルム

急遽行くことになったネパールトレッキングでしたが、無事に帰国しました。

ざっと振り返ってみてみます。

クムジュンのゴンパに奉納されているイエティの頭の毛皮は、博物館的な展示方法となりました。今までのようにドネーションボックスに寄付を入れると、ちらっと見せてくれるほうがどこか霊験あらたかな気がする。

今回は、午後からはチラチラと雪が舞うような日が続きました。ですが、雪景色のタンボチェもなかなか良い。

雨季開けが遅かった今シーズン。午後はあまり良いお天気とは言えませんでしたが、朝はスッキリ。山もよく見えました。

ディンボチェからのアマダブラム。午後はガスの中。

ディンボチェからのカンテガ(左)とタムセルク(右)。6000m級の山ですが、立派な山容です。

ディンボチェ(4300m)では十分な薪は得られません。牛糞を乾燥させてストーブの燃料とします。

夕方になれば、放牧から帰ってくるヤク。

ゴラクシェプからプモリの下にあるカラパタール(5565)mを目指す。外国からの多くのトレッカーが目指す最終目的地であり今回の最高地点。

カラパタールには11時到着。エベレストはガスに隠れる寸前。ギリギリセーフ!全員登頂できました。

ヌプツェから登る朝日。朝日が上がる直前の寒いこと。。。

エベレスト街道トレッキングは生活に触れる旅でもあります。また来たくなる理由はそこにある。

下山後はカトマンズの文化に触れる。寿命を全うしたものは、家族に看取られあの世へ旅立つ。

灰と少しばかりの骨となり、すべて川へと流される。死んだ後、何も残らない。墓もない。

大地震で損壊激しい寺院群も、復旧が進む。

気の遠くなるような作業が、まさに始まったばかりという建物もある。外国の援助なしでは、この国の文化財の復旧はありえない。

つっかえ棒が外れる日のはいつの日か?

祈る気持ちに老若男女関係なし。ネパールにはたくさんの神様がいて、人々を見守っている。

娘たちと牛。首都の景色です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エベレスト街道をタンボチェまで

2016-11-28 18:34:40 | ヒマラヤ/カラコルム

自然公園保護管理員の仕事が終わった後は、ネパールのトレッキングでした。

ネパールの震災後、エベレスト街道を歩くのは初めてでしたが、街道筋の復興は目に見える範囲では順調なようでした。

写真は、sherpa foundationのサポートで、倒壊家屋の再建が行なわれているところ。世界各国からの支援も届いていました。

ナムチェの下を流れていた川は以前よりも整備されました。時間により噴水が勢い良く水を噴き上げています。

とは言え、まだあちこちに地震の爪痕が見受けられます。

インド大陸がゴンドワナ大陸から分離し、ユーラシア大陸と衝突することで5000万年という歳月をかけて隆起したヒマラヤ山脈。

年に7cm程度のスピードで北上するインドオーストラリアプレートが、現在もヒマラヤ山脈を押し上げています。造山活動が続く限り、今後も地震と付き合っていかなけばならないのでしょう。

エベレスト街道は生活のための道。古から続くチベットとの交易路でもありました。現在も街道筋の生活のため、ヤク、ゾッキョ、ロバなどが荷を運びます。もちろん人力も健在。我々はそんな生活道を歩かせてもらうわけです。

道というからには整備も必要です。来る度に人の手により、人も家畜も歩きやすくなっていきます。

そんなエベレスト街道を20年以上も整備しているという齢80を越えるおじいさん。街道を通る方の寄付によって道が整備されています。表情から頑な意志が感じられました。そしてその意志を受け継ぎ、支えているのが若い奥さん。

今日もドネーションボックスを担いで、道の整備に向かって行きました。寄付を募ってやっていますが、決してお金目当てでは、こんなこと出来ません。これは強い意志です。私もかくありたいと思う次第。

そして街道筋の中でも被害の大きかったクムジュンでは、村のチョルテンの再建叶い、カトマンズからデューリンポチェをいう高僧が招かれ、開眼供養のプジャが盛大に行われているところでした。

イエティーの頭の毛皮が安置されていることで知られるクムジュンのゴンパは、再建に向け急ピッチ。本堂には入れませんが、イエティーの頭の毛皮は拝観できます。

トレッキングを終えてからはカトマンズ市内の観光。被害の大きかったボダナートもやっと修復が終わり、ちょうど開眼供養のプジャがこちらでも行われていました。

大勢の僧侶が笛太鼓を鳴らし、経を唱える。

日々の暮らしの中に祈りがあり、心の安寧がはかられる。

生活のすぐそばに、「死」を感じさせる場所がある。日本では「死」が、どこか遠いところへ行ってしまい、生活から隔離され、「死に対しての拒絶」ばかりが目につくようになった反面、命の重さが軽くなってしまったように思う。

エベレスト街道の復興のスピードに比べると、カトマンズ盆地の復興は遅れがちという感じ。しかし、こういう歴史的建造物はまだ良いほうなんでしょう。ちょっと裏へ入ったり、田園地帯へ向かえば、まだ避難所やブルーシートの仮住まいで生活を余儀なくされている人たちが大勢いるとのこと。

しかし楽観的雰囲気が感じられるところが、やはりネパール。

古い町並を歩いていると、つねに神様の目線に晒される。

人間は見られていると感じることで、規律を守ろうとする習性があるようです。犯罪抑止にも一役買っている形の神様たち。

こういう神様たちに見守られながら生活するネパールの人たち。

入り口の隅の小さな彫刻にも神様。

優しく微笑みかける神様。

神様へのお供え物が絶えることはありません。門前の供物屋のマリーゴールドはいつでも色鮮やか。

寺に日常あり。スマホ片手の若者たち。

確かに地震で傷ついた。しかし市民は案外弱くない。

神様はすぐそばにいる。

古都カトマンズは確かに傷つき、甚大な被害に見舞われました。復興にはまだ多くの時間を費やす必要がありそうです。

しかし、人々の暮らしの中には希望の光が差しているように感じました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネパール・アンナプルナトレッキング 4/7~4/17

2016-04-18 20:34:59 | ヒマラヤ/カラコルム

4/7~4/17はネパール・アンナプルナトレッキングでした。ネパールの大地震から約1年。トレッカーも徐々に戻ってきて、インド国境封鎖も解かれ燃料問題も解決に向かい、ネパール暦の正月を迎え、あちこちで盛り上がっていました。

しかし、そんなタイミングでの熊本の大地震。頻発する余震で心労も絶えないと思いますが、被災された方には、心からお見舞い申し上げます。

ネパール大地震では、まったく被害がなかったアンナプルナ方面ですが、大地震以前よりトレッカーは少ない。

しかし、山は相変わらずそこにある。年数ミリの隆起をしながら。

今回のコースのメインでもあるプーンヒルからの絶景に、多くのトレッカーも懸命にシャッターを押す。

毎回我々のトレッキングのお世話してくれるシェルパたち。心優しき男たちです。

春のアンナプルナ方面と言えば何と言ってもシャクナゲ。ですが時期的に少し過ぎた感もあり、出発前はあまり期待していませんでしたが、どうしてどうして、結構な咲きっぷり。

春先は霞がかり、午後になると山は霞んで見えなくなりますが、こんだけシャクナゲが咲いていれば文句無し。

ネパールのトレッキングは山を眺めるのみならず、そこに暮らす人々の生活を覗くことも楽しみです。彼らの生活には、動物がすぐそばにいます。

奥へ奥へと車道が伸びていますが、いまだに家畜の運搬力も頼りにしてます。

そしてまた人力のポーターの存在もトレッキングには欠かせないところです。スポット的にやればちょっとした臨時収入になります。

カトマンズやポカラといった都市部ではレンガ積みの家がメインですが、山に来ればヒマラヤ隆起の置き土産である割れやすい堆積岩が重宝します。

最近ではトタン葺きが増えましたが、昔ながらの家の屋根はスレート葺き。トレッキング終盤に宿泊したシーカ村。

ちょうどネパール暦の新年を迎え、着飾った村人が学校の校庭に集まってお祭り騒ぎです。

楽団が盛大に民族音楽を奏でたり、たいそうな賑わいでした。

勇猛果敢で知られる傭兵のグルカ兵。シーカ村からも多くの若者が傭兵として、インド軍やイギリス軍とともに戦います。

途中から雨が降り出し、やや不満げの娘たち。 

トレッキングが終わってからは、カトマンズ盆地の古都バクタプル見学。

ちょうど正月のお祭り騒ぎで、賑わいを見せるバクタプルの旧王宮広場。倒壊の恐れのある建物にはつっかえ棒がしてありますが、地震後、初めて訪れましたが、思ったよりも古い建物が残っていて、少しホッとしました。

街の裏手を覗けば、まだ瓦礫の山。

ですが、ネパール国民は明るくたくましく生きています。

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015秋 アンナプルナトレッキング 

2015-11-24 16:02:01 | ヒマラヤ/カラコルム

今春大地震のあったネパール。地震後、初めてのネパール入りとなりました。

移動中のカトマンズ市内の様子は、思ったほど瓦礫が少ない感じでした。ガイドによれば、地震の被害を受けた建物は、中世の古いものや無理に増築したもの、郊外の石積やレンガ積のものなど。とは言え、トレッキングスタッフの中にも、家を失っていまだ仮住まいの方もいて、復興は途上の段階だと思います。

今回の我々のトレッキングはアンナプルナ方面で、ネパールの中央。震源から離れており地震の影響を感じさせるものは皆無でした。むしろ、3ヶ月前から続くインドネパール国境封鎖による燃料不足のほうが深刻でした。新憲法下で、インド国境に暮らす人々の権利が十分でないとして、住民がデモやストライキを行い、それをインド政府も後押ししているということ。多民族国家ゆえ抱える問題も多くあり、問題解決もスピーディにはいかないようです。

ネパールのガスやガソリンは主にインドを経由して入ってくるので、インド国境を封鎖されるとたちまちネパールは燃料不足に陥ります。インド以外のもう一つのルートとすると中国からのルートも考えられますが、メインルート上にあるコダリの国境付近は、地震の際、大規模な土砂崩れが発生したため復旧に時間がかかっている状態。ネパールの燃料不足が解消するのは、もう少し先のように思います。

街中のレストランでは、ガスや灯油の調達もままならず、薪で調理しているところが多いようです。また、ガソリンもスタンド前に4日待ちが当たり前。ブラックマーケットの値段は通常の4~5倍当たり前。よって、市内を走る車は少なく交通渋滞はほぼ無し。その点では、時間通りに移動できるので良いんですけどね。。。。でも、例えば、東京で燃料が手に入らなくなったらどうでしょう?ガスもない電気もないと言ったら?薪で煮炊きできる術をネパール人はいまだに捨てていないからこそ、こんな緊急事態にも平気な顔していられますが、東京じゃ絶対無理。

地震の影響で観光やトレッキングに支障をきたすようなことはほとんどありませんが、問題は燃料不足。調理に時間がかかったり、飛行機の便数が減ったり、そういうほうが、これから解決しないといけない問題ですかね?もちろん、被災された方には、一日も早くちゃんとした家に住めるように、各方面からの援助が行き渡るよう、ネパール政府には期待したいところです。

そんなネパールですが、年々車が通れる道が奥へと伸びてます。今までならアンナプルナトレッキングの出発は、ナヤプル(1170m)というところでしたが、昨年からはさらに奥のキムチェ(1650m)まで道が繋がりました。ナヤプルから徒歩30分のビレタンティの橋も、ついに車両通行可能な頑丈なものになりました。一番最初に来た時は吊り橋だったんですけどね。隔世の感があります。

トレッキングはキムチェからスタート。旅のスタートも奥へ奥へと進んでいく代わりに、途中の景色は足早に過ぎ去っていきます。

初日は2時間ほどでガンドルン(1950m)。アンナプルナ名物秋の桜が満開です。

ガンドルンからはアンナプルナサウス(7219m)がちょろっと顔を出してくれました。トレッキング前半はややガスが湧くお天気。今年は例年より気温高めということ。

山岳展望もトレッキングの楽しみではありますが、人々の暮らしぶりを垣間見ながら歩くのもまた楽しい。

アンナプルナのトレッキングと言えば、シャクナゲの巨木の森。ガンドルンからゴレパニの間は、欝蒼としたシャクナゲ林が続きます。

日本のシャクナゲからは想像も出来ないような巨木となります。3月の下旬ともなれば、暗赤色の花をいっぱいにつけ、そりゃ見事なもんです。

カラフルなおみやげが並ぶタダパニ(2650m)。ガンドルン、タダパニ、ゴラパニ、タトパニ、今回宿泊した場所すべてでWIFIが繋がってました。いまやほとんどの宿に標準装備といった感じ。なんと言うか、繋がることの良し悪し。20年も前の若い頃、ヒマラヤ周辺を一人でほっつき歩いていた時分には、一旦日本を離れれば、なかなか日本の情報は入って来ないし、国際電話だって高くてそうそうかけらない。自分がこれから行きたい場所がどうなってるかも、行って見なきゃ分からない。現地での情報収集のため、旅行者同士の密接な繋がりが出来たし、先入観なしに現地の生活に溶け込めたように思います。

馬やロバには、一頭ずつマスクのような袋をかけてやって、トウモロコシや麦を混ぜたものを食べさせます。「草だけじゃ満足しない!美味しいものを食べさせないと働かないぞ!」と馬が言ってるとか言ってないとか。

ネパール人がよく使う背負いかごは「ドッコ」と言います。特別な技でもなく、普通にみんな作れます。身の回りにある素材を上手く利用しながら、お金がなくても生きていけます。日本人はお金がないと生きていけない。家族や地域で支えあって、多少不便な生活でも生きていける社会と、便利さを求め欲にかられ大切な時間をお金に縛られ、お金の支払いに追われて生きていく社会。

奥へ奥へと車が通れるようになっていますが、ヒマラヤの山岳地帯ではいまだ家畜による運搬の重要度は変わりません。

ヒマラヤの氷河が麓の生活を潤し、ヒマラヤ周辺の大地に多くの人々が暮らすことを可能とします。

メインはゴラパニ(2850m)から1時間半ほどのプーンヒル(3194m)からの展望です。各国からたくさんのトレッカーが集まってきます。

夜明け間近の空に聖山マチャプチャレ(6997m)のシルエットも浮かび上がってきます。

難攻不落のダウラギリ(8167m)。サンスクリット語で「白い山」。日本語なら白山。フランス語ならモンブラン。

皆、朝日が上がってくるのを待ち構えています。こういう場所に来て、太陽が山の端から姿を現すのを見るにつけ、普段、太陽に感謝する気持ちを忘れがちな自分を反省します。

アンナプルナサウスの左奥にアンナプルナⅠ峰(8097m)もわずかに頭を出しています。大地と大地がぶつかり合って、約5000万年の時を経て8000mの高まりとなったヒマラヤ山脈。我々の感覚からすれば、5000万年なんて気の遠くなるような時間ですが、地球の歴史46億年と比べたらそう長くもない。人間の一生なんて地球の歴史に比べたら、瞬きしてる間に終わってしまうほど一瞬なんです。

山は神聖なる場所。それは、どこの国に行っても同じです。

人々の暮らしの側に神聖なるヒマラヤがあって、麓の畑に収穫をもたらします。

最終日は段々畑の間を歩くトレッキング。緩やかに時が刻まれるネパール。お金の支払いに追われることもなく、着ているものは多少薄汚れいても、人々の顔には幸せを感じる。

山脈の隆起よりも川の侵食スピードが勝ったため、ヒマラヤ山脈を貫いて流れるカリガンダキ川。最終目的地はカリガンダキ川沿いの温泉地タトパニ(1190m)でした。温泉と言っても、日本のような温泉をイメージすると、ちょっとガッカリすると思いますが、設備は不十分でも、そこに湯が沸き温まれるだけで十分幸せじゃないんですか?

と無事トレッキングは終了。こういう場所を歩くことで、日本のことも改めて見直すことが出来ますね。

今回、トレッキング中、日本人と会うことはほとんどありませんでした。とくに日本人の若者は皆無。若者が世界を見に行けないのか、あるいは行かないのか?そういうことが経済的に出来なかったり、日々の暮らしに追われ、そういう発想自体持ち合わせない?

いずれ、若い時にしか出来ないことが出来ない世の中って、どうかしら?

 

レッスンのスケジュールもチマチマ更新してます→RASU-T

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11/12~12/1 ネパール・カラパタール登頂ツアー

2014-12-02 20:07:53 | ヒマラヤ/カラコルム

ネパールから帰国しました。

ルクラからエベレスト街道を再奥まで行って戻って20日間という長丁場で、最高所5565mと体調管理も難しいツアーでしたが、無事に終了出来てホッとしてます。

お天気はまあまあ。多少雲が湧く時もありましたが、それゆえに空にアクセントがつく。ナムチェとコンデリ。

ディンボチェからのローツェ。

ヌプツェの奥にエベレスト。カラパタール山頂は-10℃を下回る寒さでしたが、お天気は最高。

世界のてっぺんには、やはり神様がいると思いたくなります。

今回の目的地はプモリ支稜のコブといっても良いカラパタール(5565m)です。いつ来てもヘロヘロです。

ペリチェの夕暮れ。ここには診療所がありますが、そもそも東京医大の先生たちが立ち上げました。こういうところに診療所があるって、本当に心強いんです。

最近のアマダブラムは、難易度が高いらしい。今年は5名死亡。

クムジュンのゴンパは毎回訪れるところ。

目的はこれ。イエティの頭の毛皮です。昔は、タンボチェやパンボチェにもありましたが、焼失や盗難で、現在拝観出来るのはここだけ。

近い将来、イエティを近くに感じることが出来るようなトレッキングに出たい。「調査隊」のような堅苦しいものではなく。今回、いろんな話を聞くうちに、その存在を近くで感じてみたくなりました。

 

トレッキングは、我々を支えてくれるスタッフの存在が欠かせません。サーダーが現地スタッフを取りまとめ、シェルパたちが我々の身の回りの世話をしてくれます。

 

最近はテントを張ってのトレッキングもなくなり、昔に比べると仕事量は若干減った感はありますが、それでもよく働いてくれます。

 

毎日の食事は、イモトのマナスル登山でも腕を振るったコック長によるもの。

 

キッチンのスタッフたちは朝から晩までよく働いてくれました。

 

みんないい子たちです。

 

文句も言わず毎日笑顔を絶やさず、元気いっぱいでした。

 

荷物を運ぶのはゾッキョドライバー。

そして寝袋専門で運んでくれたポーターのおじさん。

13名の日本人に対して、これだけの現地スタッフのサポートがありました。本当にありがとう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しばし不在です

2014-11-09 15:31:20 | ヒマラヤ/カラコルム

11/12からネパール・カラパタール登頂ツアーに出かけます。

ちょっと不在にします。

何度も出したり入れたりしながら、やっとこさパッキングを終え、荷物を成田まで送りました。

旅のおともは、海外のトレッキングで大活躍のパタゴニアもブラックホール・ダッフルです。生地が丈夫で、ある程度の防水性も確保され、とても信頼できます。ネパールのトレッキングでは、荷物はゾプキョやヤクが運ぶので、けっこう手荒な扱いを受けますが、それでもしっかり耐え抜いています。

ネパールトレッキングに出かけられる方で、荷物をポーターさんやゾプキョが運ぶ場合には、このようなダッフルバックをご用意ください。

また防水生地でないバックの方は、中身をビニール袋で包むなど内側でしっかり防水処理しましょう。

 

しばし不在にしますので、メールの返信、ブログの更新等は、滞りがちになると思いますが、ご了承ください。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古都バクタプル

2013-11-26 22:04:28 | ヒマラヤ/カラコルム

アンナプルナレッキングが終わって、カトマンズに戻ってきた午後は、カトマンズ盆地の東に位置するバクタプル観光。

バクタプルの旧王宮広場。多くの観光客で賑わっていますが、そこはあえてカットしてみると、まるで中世にタイムスリップしたよう。

天高く聳えるヒンドゥー寺院。一頃に比べたら、カトマンズの空もだいぶキレイになった。青い空にレンガの壁。ネパール的。

目にも鮮やかな民芸品を売るお土産屋。たまにはひとつ買って帰ろうかなって思いますが、なかなか決断出来ず。

ネパールのおじさんたちは、どうしてこうも哲学的な表情をするのか?私が歳をとったとしても、こうはいかない。。。

昨年ぐらいから、中国語の看板が激増!高級デジタル一眼レフカメラをもった中国人観光客が半端じゃない!

いまや、日本語ガイドじゃ食えないって、中国語勉強中の日本語ガイドが増えてるとか。。。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする