すーさんの山日記

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八幡平の登山情報

2015秋 アンナプルナトレッキング 

2015-11-24 16:02:01 | ヒマラヤ/カラコルム

今春大地震のあったネパール。地震後、初めてのネパール入りとなりました。

移動中のカトマンズ市内の様子は、思ったほど瓦礫が少ない感じでした。ガイドによれば、地震の被害を受けた建物は、中世の古いものや無理に増築したもの、郊外の石積やレンガ積のものなど。とは言え、トレッキングスタッフの中にも、家を失っていまだ仮住まいの方もいて、復興は途上の段階だと思います。

今回の我々のトレッキングはアンナプルナ方面で、ネパールの中央。震源から離れており地震の影響を感じさせるものは皆無でした。むしろ、3ヶ月前から続くインドネパール国境封鎖による燃料不足のほうが深刻でした。新憲法下で、インド国境に暮らす人々の権利が十分でないとして、住民がデモやストライキを行い、それをインド政府も後押ししているということ。多民族国家ゆえ抱える問題も多くあり、問題解決もスピーディにはいかないようです。

ネパールのガスやガソリンは主にインドを経由して入ってくるので、インド国境を封鎖されるとたちまちネパールは燃料不足に陥ります。インド以外のもう一つのルートとすると中国からのルートも考えられますが、メインルート上にあるコダリの国境付近は、地震の際、大規模な土砂崩れが発生したため復旧に時間がかかっている状態。ネパールの燃料不足が解消するのは、もう少し先のように思います。

街中のレストランでは、ガスや灯油の調達もままならず、薪で調理しているところが多いようです。また、ガソリンもスタンド前に4日待ちが当たり前。ブラックマーケットの値段は通常の4~5倍当たり前。よって、市内を走る車は少なく交通渋滞はほぼ無し。その点では、時間通りに移動できるので良いんですけどね。。。。でも、例えば、東京で燃料が手に入らなくなったらどうでしょう?ガスもない電気もないと言ったら?薪で煮炊きできる術をネパール人はいまだに捨てていないからこそ、こんな緊急事態にも平気な顔していられますが、東京じゃ絶対無理。

地震の影響で観光やトレッキングに支障をきたすようなことはほとんどありませんが、問題は燃料不足。調理に時間がかかったり、飛行機の便数が減ったり、そういうほうが、これから解決しないといけない問題ですかね?もちろん、被災された方には、一日も早くちゃんとした家に住めるように、各方面からの援助が行き渡るよう、ネパール政府には期待したいところです。

そんなネパールですが、年々車が通れる道が奥へと伸びてます。今までならアンナプルナトレッキングの出発は、ナヤプル(1170m)というところでしたが、昨年からはさらに奥のキムチェ(1650m)まで道が繋がりました。ナヤプルから徒歩30分のビレタンティの橋も、ついに車両通行可能な頑丈なものになりました。一番最初に来た時は吊り橋だったんですけどね。隔世の感があります。

トレッキングはキムチェからスタート。旅のスタートも奥へ奥へと進んでいく代わりに、途中の景色は足早に過ぎ去っていきます。

初日は2時間ほどでガンドルン(1950m)。アンナプルナ名物秋の桜が満開です。

ガンドルンからはアンナプルナサウス(7219m)がちょろっと顔を出してくれました。トレッキング前半はややガスが湧くお天気。今年は例年より気温高めということ。

山岳展望もトレッキングの楽しみではありますが、人々の暮らしぶりを垣間見ながら歩くのもまた楽しい。

アンナプルナのトレッキングと言えば、シャクナゲの巨木の森。ガンドルンからゴレパニの間は、欝蒼としたシャクナゲ林が続きます。

日本のシャクナゲからは想像も出来ないような巨木となります。3月の下旬ともなれば、暗赤色の花をいっぱいにつけ、そりゃ見事なもんです。

カラフルなおみやげが並ぶタダパニ(2650m)。ガンドルン、タダパニ、ゴラパニ、タトパニ、今回宿泊した場所すべてでWIFIが繋がってました。いまやほとんどの宿に標準装備といった感じ。なんと言うか、繋がることの良し悪し。20年も前の若い頃、ヒマラヤ周辺を一人でほっつき歩いていた時分には、一旦日本を離れれば、なかなか日本の情報は入って来ないし、国際電話だって高くてそうそうかけらない。自分がこれから行きたい場所がどうなってるかも、行って見なきゃ分からない。現地での情報収集のため、旅行者同士の密接な繋がりが出来たし、先入観なしに現地の生活に溶け込めたように思います。

馬やロバには、一頭ずつマスクのような袋をかけてやって、トウモロコシや麦を混ぜたものを食べさせます。「草だけじゃ満足しない!美味しいものを食べさせないと働かないぞ!」と馬が言ってるとか言ってないとか。

ネパール人がよく使う背負いかごは「ドッコ」と言います。特別な技でもなく、普通にみんな作れます。身の回りにある素材を上手く利用しながら、お金がなくても生きていけます。日本人はお金がないと生きていけない。家族や地域で支えあって、多少不便な生活でも生きていける社会と、便利さを求め欲にかられ大切な時間をお金に縛られ、お金の支払いに追われて生きていく社会。

奥へ奥へと車が通れるようになっていますが、ヒマラヤの山岳地帯ではいまだ家畜による運搬の重要度は変わりません。

ヒマラヤの氷河が麓の生活を潤し、ヒマラヤ周辺の大地に多くの人々が暮らすことを可能とします。

メインはゴラパニ(2850m)から1時間半ほどのプーンヒル(3194m)からの展望です。各国からたくさんのトレッカーが集まってきます。

夜明け間近の空に聖山マチャプチャレ(6997m)のシルエットも浮かび上がってきます。

難攻不落のダウラギリ(8167m)。サンスクリット語で「白い山」。日本語なら白山。フランス語ならモンブラン。

皆、朝日が上がってくるのを待ち構えています。こういう場所に来て、太陽が山の端から姿を現すのを見るにつけ、普段、太陽に感謝する気持ちを忘れがちな自分を反省します。

アンナプルナサウスの左奥にアンナプルナⅠ峰(8097m)もわずかに頭を出しています。大地と大地がぶつかり合って、約5000万年の時を経て8000mの高まりとなったヒマラヤ山脈。我々の感覚からすれば、5000万年なんて気の遠くなるような時間ですが、地球の歴史46億年と比べたらそう長くもない。人間の一生なんて地球の歴史に比べたら、瞬きしてる間に終わってしまうほど一瞬なんです。

山は神聖なる場所。それは、どこの国に行っても同じです。

人々の暮らしの側に神聖なるヒマラヤがあって、麓の畑に収穫をもたらします。

最終日は段々畑の間を歩くトレッキング。緩やかに時が刻まれるネパール。お金の支払いに追われることもなく、着ているものは多少薄汚れいても、人々の顔には幸せを感じる。

山脈の隆起よりも川の侵食スピードが勝ったため、ヒマラヤ山脈を貫いて流れるカリガンダキ川。最終目的地はカリガンダキ川沿いの温泉地タトパニ(1190m)でした。温泉と言っても、日本のような温泉をイメージすると、ちょっとガッカリすると思いますが、設備は不十分でも、そこに湯が沸き温まれるだけで十分幸せじゃないんですか?

と無事トレッキングは終了。こういう場所を歩くことで、日本のことも改めて見直すことが出来ますね。

今回、トレッキング中、日本人と会うことはほとんどありませんでした。とくに日本人の若者は皆無。若者が世界を見に行けないのか、あるいは行かないのか?そういうことが経済的に出来なかったり、日々の暮らしに追われ、そういう発想自体持ち合わせない?

いずれ、若い時にしか出来ないことが出来ない世の中って、どうかしら?

 

レッスンのスケジュールもチマチマ更新してます→RASU-T

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