原発問題に触れるのは本当に久しぶりです。
エネルギーという極大かつ複雑な問題に対いて、ろくに知識もないまま
“今と将来”をごちゃ混ぜに語る時間軸のない原発の是非を問うことに疑問を感じ
「今はとりあえず出来得る限りの安全対策を施した上で経過を見ながら
止むを得ずそのまま使用しましょう」という“日和見主義”に立ち位置を置いて
この雑学のテーマを終了したのが11か月前のことでした。
今でも震災で16万人、原発事故で20万人の方が避難生活を余儀なくされていますが
死者・行方不明者は1万8千人で、これは全て震災によるものとされています。
日本の総人口は1億2千万人なのですから
震災による死者・行方不明の割合は0,015%、原発0
避難されている方の比率は震災により0,13%、原発により0,17%
合計でも僅か0,3%に過ぎないことになります。
この程度の犠牲により、残り99,7%の人々の暮らしを左右する
エネルギー政策を変える必要がなぜあるのか、と疑問を呈する専門家が現れています。
また、10年前は年間8千人を超えていた自動車事故の死者数は
ここ数年で4千人台に減少しているとはいえ、毎年確実にこれだけの死者を生みだす自動車は
死者が出なかった原発よりはるかに危険な存在なのになぜ存続論を交わさないのか、という
何とも不思議な論法を持ち出して「原発擁護」を叫ぶ人さえも目にしました。
こうした特異かもしれない個人的意見はともかく、代表選、総裁選で明らかになったように
経済界が経済の衰退を理由に原発の必要性を公然と口にし出したことも
また、米国が地球温暖化の面から「原発0」政策を危惧する話もニュースで取り上げられたりして
ようやく震災直後の怖いとか可哀そうという扇情的な「即時原発0」の騒動を脱し
将来の日本のエネルギーに対する国民の方向付けを決める
冷静かつ実現可能な論議が始まりつつあることは確かなようです。