元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

親の期待

2014-02-11 | 実生活

ノートを前にして何を書こうか逡巡している時、万年筆の場合、キャップを開けたままだとペン先が乾きかけてしまい、書き始めにインクが出ないことがよくありますので、その場合はボールペンやペンシルを使う方がいいのだと思います。

万年筆で書く場合、頭の中で何を書こうか考えて、内容を煮詰まって、気持ちが盛り上がってから一気に書くということになります。

バスを待っていたり、歩いている時に書く内容について考える段階で万年筆で書くという行為が始まっているのだと考えると、万年筆で書くことは、考えるという楽しい行為をもたらしてくれるものだと、当たり前のことかもしれませんが、思い当たったりします。

それが楽しくて私はずっと万年筆を使っているし、ホームページやブログにいつも何か書いたものを公表して、仕事の一部としている。

自分で設定した締め切りに追われる生活だけど、書くことや書くことについて考える作業を仕事にすることができていることは恵まれているし、少なからずそれを読んでくださる方がおられることはとても有り難いことだと思っています。

自分が唯一好きなのかもしれないと、若い頃に思った書くことを、こんな形で続けることになるとは思ってみなかったけれど。

母は私に祖父の跡を継いで医者になって欲しいと思っていたけれど、私はそんな言葉にいつも反発していた。その前に成績がとてもついていけなかったけれど。

母が勉強しなさいと言えば言うほど、私は鉛筆を手に取らなくなった。

母を喜ばせたいと子供心に思うこともあったけれど、やはり長続きしない、重度の勉強嫌いだった。

でも本を読むことは好きで読んでいて、それを母も喜んでくれたので、自分の好きなことと、母が喜んでくれることが一致して嬉しかった。

母の期待を裏切り続けて、高校の頃には自分の息子の在りのままを受け容れるしかないと諦めさせてしまったことに、今では申し訳なかったと思っている。

子供がいるとどうしても自分の夢のようなものを託してしまって、いろいろ期待するのが親心なのかもしれない。

でも私は自分の息子に対して自分の夢のようなものを押し付けるようなことはしたくないと、反発心をいつも持っていた子供の時の気持ちを思い出して思う。

私は自分の夢を自分で叶えようとすることで精一杯で、息子にそれを託す余裕がないのかもしれないけれど、息子の人生は自分のそれとはまた違うものなので、いくら親でもそれを押し付けることはできない。

息子も、そして私が大切に思っている同じくらいの齢の若い子たちにも、時間がかかってもいいから、自分の人生を自分で見つけて、楽しみながら、苦労して、自分の力で精一杯生きて欲しいと思います。