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( 朝鮮新報 2012-01-25 11:36:07 )

2012-01-25 | 投稿
黄生誕100周年で回顧の集い、「李舜臣」演じた義手の名優


【平壌発=金志永】

 戦後、「義手の名優」として一世を風靡した舞台俳優がいた。朝鮮初の人民俳優、黄。彼の生誕100年に際する回顧の集い(11日、国立演劇劇

場)が開かれ、文化相や芸術団体の責任者、多くの俳優らが参加した。朝鮮では昨年11月にも舞踊家・崔承喜の生誕100周年に際して記念行事が催さ

れた。最近、朝鮮の芸術分野では、往年のスターたちが残した業績を称え、それを創作活動の手本とする風潮が広まっている。


(主席の期待に応え朝鮮初の人民俳優、黄)


黄は解放前、ソウルの名門劇団だった「青春座」で俳優として活躍。その後、「アラン劇団」を結成し、団長を務めた。

黄の俳優人生には、2つの大きな転機があった。

1948年4月、平壌で開かれた南北朝鮮政党・社会団体代表者連席会議に南の文化人代表として参加した黄は、会議終了後、「平壌に残り、人民の

ための俳優として活動したい」という意向を金日成主席に伝えた。解放後、革命家たちの影響を受け、米軍統治批判の一翼を担う「進歩的芸術」の分野

で働いた黄は、当時、ソウルでは演劇活動をできない状況にあった。

金日成主席は、黄が俳優として心置きなく活動できるように、ソウルにいる家族を呼び寄せるなど、さまざまな措置を講じたという。

黄は、主席の期待に応え、一連の名作を世に送り出した。

演劇「抗争の歌」「白頭山」「李舜臣将軍」や翻訳劇「外科医クレチェト」(ロシア)などで主役を演じ、映画「春香伝」には、悪徳官僚の卞府使役で

出演した。「崔鶴信の一家」「われらの村」などの舞台も演出した。

黄の俳優人生に変化をもたらした、もう一つの出来事は、朝鮮戦争だ。南下する人民軍部隊に随行し、戦線慰問工作隊のメンバーとして活動した彼

は、ソウル、仁川、月尾島などで数十回の公演を行ったが、その後、小編隊に網羅され、敵の空襲で右腕を失うことになる。この事実を知った金日成主

席は、戦線司令官に電話をかけ、人民軍最高司令官の車で黄を緊急後送することを指示した。

ソウルで手術を受けた黄は、主席が講じた措置により外国に行って義手を付けた。38歳の時だった。戦後、黄は、以前と変わらぬ活動を続けた。

金日成主席は、戦後の復興事業を指導しながらも、黄の舞台を観覧し、彼を励ましたという。


(総書記の遺訓に沿って 演劇「李舜臣将軍」で李舜臣を演じる黄)

黄は朝鮮初の功勲俳優、人民俳優の一人であり、最高人民会議代議員であった。

1958年からは教育文化省次官を務めながら、舞台に出演し、演出も行った。

「男らしい体格、円熟した演技、民族的情緒が溢れる話術、魅力的で独特な声…」

生誕100年に際し、労働新聞は黄の「人並みはずれた才能」について、こう記した。

しかし、1950年代の観客たちは、黄の演技に、才能以上のものを見ていたという。ある老俳優は、「片腕を失い、あれほど優れた人物形像を成し

遂げた俳優はいない」と語った。

演劇「李舜臣将軍」の主役を演じた時、思いがけなく義手が落ち、劇場内が驚きと当惑に包まれた瞬間があった。

観客も、同僚の俳優たちも息をのみ、舞台を見つめた。黄は平然と義手を元の位置に戻し、演技を続け、観客を「李舜臣の世界」に引き込んでいっ

た。このときのことは、いかなる困難も乗り越える強い意志を持った名優中の名優だと、語り草になっている。


(主席の深い懐で育ち、稀代の演劇人として力を発揮した黄は、人々の心の中に長い間生き続けてきた。映画「春香伝」で卞府使を演じる黄)


不治の病で病床についた黄は、1961年6月9日「革命伝統」をテーマにした舞台の演出脚本を手にしたまま、49歳でこの世を去った。それから半

世紀が過ぎた。現在は、国内でも黄の名を知る人は希だ。

彼の生誕100年(2012年1月11日)に際した回顧の集いは、金正日総書記の指示により準備された。該当文書に最後のサインを記したのは、逝去

の3日前である2011年12月14日。その後、総書記の遺訓に沿って、金正恩最高司令官が生誕100年を迎える日に集会を盛大に行うように措置を講

じたという。

回顧の集いでは、黄の遺族が涙を流しながら、感謝の気持ちを述べた。現役俳優をはじめとする演劇関係者らは、名優の情熱に学び、作品創作で新た

な成果を上げる決意を表明した。



日本弁護士連合会 会長 宇都宮 健児

2012-01-25 | お知らせ・一般資料
君が代斉唱時の不起立等を理由とした懲戒処分取消等請求訴訟の最高裁判決に対する会長声明


本年1月16日、最高裁判所第一小法廷は、東京都内の教諭ら計約170人が、入学式などにおける国歌斉唱の際に起立斉唱あるいは伴奏を命じる校長の職務命令に従わなかったことを理由にされた停職、減給ないし戒告の懲戒処分の取消し及び国家賠償を求めた計3件の訴訟の上告審判決で、上記職務命令は憲法19条に違反しないことを前提としつつ、「減給や停職には過去の処分歴や本人の態度に照らして慎重な考慮が必要」との初判断を示した上で、停職の2人のうち1人と減給の1人の処分を取り消し、一方で「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」とも判断し、戒告を受けた教諭らの処分を取り消した2審判決を破棄し、逆転敗訴とした。



これまで当連合会は、君が代について、大日本帝国憲法下の歴史的経緯に照らし、君が代の起立・斉唱・伴奏に抵抗があると考える国民が少なからず存在しており、こうした考え方も憲法19条により憲法上の保護を受けるものと解されることを指摘し、君が代の起立・斉唱・伴奏行為は日の丸・君が代に対する敬意の表明をその不可分の目的とするものであるから卒業式等においてこれらを職務命令で強制することは思想・良心の自由を侵害するものであると重ねて表明してきた(平成23年6月10日付け会長声明等)。



したがって、今回の判決が戒告処分を容認した点は強く批判されるべきものであるが、過去の不起立などによる処分の累積で停職、減給とされた合計2人について「処分は重過ぎて社会観念上著しく妥当性を欠く」と取り消した点は、注目されるべきである。すなわち、本判決は、不起立等の行為が教員個人の歴史観ないし世界観等に由来するものにとどまり、式典の積極的な妨害に及ばない場合は、戒告処分が累積してもより重い減給以上の処分を選択するのは違法であるとの判断を示したものであり、君が代不起立に対する処分の濫用に一定の歯止めをかけたものと評価し得る。



この点について、本判決に補足意見を付した櫻井龍子裁判官は、起立斉唱することに自らの歴史観・世界観との間で強い葛藤を感じる職員が、式典の度に不起立を繰り返すことで処分が加重され不利益が増していくと、「自らの信条に忠実であればあるほど心理的に追い込まれ、上記の不利益の増大を受忍するか、自らの信条を捨てるかの選択を迫られる状態に置かれる」として、このように過酷な結果を職員個人にもたらす懲戒処分の加重量定は法の許容する懲戒権の範囲を逸脱すると厳しく批判している。



また、反対意見を述べた宮川光治裁判官は、本件職務命令が憲法19条に違反するとの理由に加え、懲戒処分の裁量審査について、戒告処分であっても勤勉手当の減額、退職金や年金支給額への影響等の実質的な不利益を受けること、他の処分実績との比較でも過剰に過ぎ比例原則に反することを指摘し、たとえ戒告処分であっても懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱すると明快に述べている。



以上の補足意見と反対意見の趣旨からも、本判決は、東京都及び立川市公立学校の教職員に対する国歌斉唱時の起立・斉唱・伴奏の強制や、大阪府で昨年来続いている教職員に国歌起立斉唱を強制する服務規律条例の制定や教育基本条例案による懲戒分限基準の策定への厳しい警告となるものといえる。



当連合会は、これまでの関連する声明を踏まえ、改めて、東京都、立川市及び各教育委員会を含め、広く教育行政担当者に対し、教職員に君が代斉唱の際の起立・斉唱・伴奏を含め国旗・国歌を強制することのないよう強く要請するとともに、あわせて、大阪府及び大阪市の各地方議会に対し、君が代不起立に対し分限免職を可能とする教育基本条例を制定しないよう求めるものである。



2012年(平成24年)1月19日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児