追悼文拒否の中で開かれた関東大震災追悼式
「忘却は再び悪夢を生む」
登録 : 2017.09.02 00:01 修正 : 2017.09.02 07:08
小池知事、追悼文送付拒否の中で開かれ
向かい側では反対集会「日本人の名誉守ろう」
1日、東京の横網町公園で開かれた関東大震災朝鮮人虐殺追悼式で、市民が献花している=東京/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社
「日本社会で関東大震災での朝鮮人虐殺の事実は歳月と共に風化し忘れられようとしている」
1日、関東大震災94周年朝鮮人虐殺犠牲者追悼式が開かれた東京墨田区の横網町公園で会った追悼式実行委員長の宮川泰彦氏は苦々しく話した。
今年の追悼式は、例年以上に憂鬱な雰囲気の中で開かれた。小池百合子東京都知事側は「(朝鮮人らに向けた)特別な形での追悼文は控えた」と宣言した。2000年代以後、すべての東京都知事が毎年送ってきた追悼文を今年は送らなかった。
宮川委員長は「(保守的なことで有名だった)石原元東京都知事も虐殺を否定する雰囲気ではなかったので追悼文を送った。だが、小池知事は追悼文さえ送らない」と嘆いた。彼は追悼式で「自然災害で亡くなった人(日本人)と、人の手で殺された人とは違う。都知事が追悼文を送らないということは容認できない」として「忘却は再び悪夢を生む危険がある」とも話した。
「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」事務局長の田中正敬氏は、追悼式で「関東大震災当時、朝鮮人だけでなく中国人、そして(労働運動家などの)日本人も殺された」として「私たち皆が加害者であり被害者になりうる」と話した。
変化した日本社会の雰囲気を反映する場面は追悼式場の目の前でも見られた。日本人20人あまりが集まって、朝鮮人追悼式と同じ時刻にすぐそばで日本人地震被害者慰霊式を開いた。彼らは「朝鮮人6000人虐殺は事実か?」「日本人の名誉を守ろう」などと書かれた大型横断幕を日章旗とともに掲げた。彼らは「朝鮮人6000人以上が虐殺されたというのは嘘だ。犠牲者は20分の1程度ではないだろうか」として「反対に日本人がやられた場合もないだろうか」とまで主張した。以前にも駅頭で追悼式反対パンフレットを配った人はいたが、追悼式場の目の前で反対行事が開かれたのは今年が初めてだ。市民団体の日朝親善協会会員シマオカ・マリ氏は「日本社会の右傾化が激しくなり、右派の力が一層強まっている。向かい側の反対集会がその例」と話した。朝鮮総連東京本部副委員長のホ・ジョンス氏は「以前にも過去を否定する人々はいたが、最近はきわめて露骨になった」と話した。
日本の保守派も、関東大震災当時に朝鮮人が日本人に殺害された事実自体を完全には否定できない。関東大震災の後、日本では朝鮮人が毒を井戸に撒いたというデマが出回り、自警団が警察のほう助の下で朝鮮人数千名を虐殺した。日本の内閣府が作成した報告書にも、殺された場合があると書かれている。彼らは大震災後の混乱した状況で正確な統計がありえないという点を悪用している。内閣府の報告書には殺された朝鮮人と中国人の数について「殺傷事件による死亡者は正確には分からないが、地震による死亡者10万5000人の1~数%」と書いた。今年3月、古賀俊昭・東京都議会議員は「犠牲者数の6000人には根拠がない」という質問で追悼文の送付拒否を要請し、小池知事はこれに応じる形で朝鮮人虐殺隠蔽に加勢している。これは朝鮮人虐殺追悼碑撤去要求の動きにつながっていて、朝鮮人虐殺の事実全体を否定する動きにまで膨らむ可能性がある。
この日の追悼式には昨年の2倍ほどの500人余りが参加した。12時から始まった献花行列は40数分にわたり続いた。小池都知事の追悼文送付拒否が大きく報道されたので、逆に関心が高まって起きた苦々しい現象だった。
この日、同じ横網町公園では、関東大震災と東京空襲の犠牲者を慰霊する行事が日本の皇太子が参加した中で開かれた。小池知事はこの行事には追悼文を送ったが、朝鮮人虐殺に対する言及はなかった。
1日、東京の横網町公園で開かれた関東大震災朝鮮人虐殺追悼式で、伝統舞踊家のキム・スンジャ氏が犠牲者を追悼する舞いを舞っている=東京/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社
1日、東京の横網町公園で開かれた関東大震災朝鮮人虐殺追悼式で、市民が黙祷している=東京/チョ・ギウォン特派員//ハンギョレ新聞社
東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
関東大震災での朝鮮人虐殺 数千人が犠牲
今に至るも調査しない政府
歴史的事実を“隠ぺい”
しんぶん赤旗
1923年9月1日に発生した関東大震災で、軍隊、警察、自警団などによる朝鮮人の虐殺が発生しました。ところが、自民党の古賀俊昭東京都議が3月の都議会で、虐殺は“防衛”であったとか、被害者の数の根拠が希薄であると主張。小池百合子都知事が、歴代の都知事が出してきた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼の辞を出さないと表明しました。朝鮮人虐殺の原因と実態はどのようなものだったのでしょうか。
根拠ない「暴動」
関東大震災では10万人以上の死者・不明者を出しました。1日夕方から「社会主義者と朝鮮人の放火多し」などという流言が拡大。政府は2日、戒厳令を施行し、軍人や警察官による流言も目立つようになりました。
警察や地方行政を統括する内務省は3日朝、警保局長名で全国の知事宛てに、「(大震災を利用し)朝鮮人は各地に放火し、不逞(ふてい)の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」「鮮人の行動に対して厳密なる取締を加えられたし」との電文を出しました。指令を受けたこともあって、3日以降、全国で自警団がつくられました。
しかし、司法省が同年11月にまとめた「震災後における刑事事犯およびこれに関連する事項調査書」は、朝鮮人による殺傷事件は2件、傷害3件で、被疑者はすべて不詳としています。殺人は被害者も不詳です。蜂起、放火、投毒等は「一定の計画の下に脈絡ある非行をなしたる事跡認めがたし」と否定しています。内務省の電文は、根拠のない「朝鮮人暴動」を事実であるかのように偽って伝えるものだったのです。
内閣府の元に設置された中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」が2008年3月にまとめた「1923 関東大震災報告書【第2編】」は、虐殺の背景を「日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたこと」と「(朝鮮人への)無理解と民族的差別意識」を指摘し、「反省が必要」と述べています。
「最悪の事態」と
田中正敬(まさたか)専修大学教授は「日本の対外戦争が朝鮮人への差別意識を高めていきました。日清戦争も日露戦争も朝鮮を戦場にしています。その過程で、朝鮮人に対する迫害と殺りくを繰り返します。その経験を通じて差別意識が強まっていきました」と語ります。
最新の研究は、虐殺された朝鮮人は数千人だとしています。中央防災会議の報告書は、正確な被害者数がつかめないとしながら、「死傷者の1~数パーセントにあたり、人的な損失として軽視できない」と記しています。さらに、虐殺について「大規模災害時に発生した最悪の事態」と述べています。
田中教授は、被害者の人数が確定できない要因を、事件後の政府が事件を隠そうとしたことと、戦後も現在に至るまで政府が調査をしていないことだと指摘します。その上で、「被害者の数があいまいだということで、事件を全否定しようとする意図を感じます。歴史的事実の“隠ぺい”と考えざるをえません」と言います。