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朴槿恵大統領発言に、野党は「国民との戦争を宣言したに等しい」として強く批判した。

2017-01-31 | 文在寅大統領情報
朴大統領発言…報復予告物議
「弾劾が棄却されれば検察・マスコミは整理されるだろう」


登録 : 2017.01.30 21:35 修正 : 2017.01.31 07:01

チョン・キュジェ韓国経済新聞主筆 
インタビュー後記で明かす 
野党「検察粛清とマスコミ弾圧宣言」


朴槿恵大統領が25日、韓国経済新聞のチョン・キュジェ主筆(左)が運営するインターネット放送「チョン・キュジェTV」のインタビューをしている。弾劾訴追案の可決以後、朴大統領が特定報道機関のインタビューに応じたのは今回が初めてだ=チョン・キュジェTV提供/聯合ニュース
 朴槿恵(パク・クネ)大統領が憲法裁判所で弾劾が棄却されたなら「検察とマスコミは国民の力で(整理)されるだろう」と明らかにしていたことが30日伝えられた。「朴槿恵-チェ・スンシルゲート」を捜査した検察と関連疑惑を提起したマスコミに“報復”するという意志であると解釈でき、論議が起きている。

 韓国経済新聞のチョン・キュジェ主筆は26日、自身が運営する「チョン・キュジェTV」が公開した「朴槿恵大統領インタビュー裏話」動画コラムで「朴大統領に『今、検察やマスコミの過剰もしくは誤った行動について、弾劾がひょっとして棄却されたら整理されるか』と尋ねると、(朴大統領が)『どの新聞がどうであったか、今回全てのことが明らかになれば国民の力でそうなる(整理される)だろう』と話した」と明らかにした。チョン主筆は25日、大統領府の常春斎で朴大統領のインタビューを行った。

 チョン主筆はまた「朴大統領は『今回、全てのことがみな明らかになり、誰がどんな人なのかを皆が知ることになった』という雰囲気だった」と伝えた。弾劾が棄却されれば、自身を捜査して批判した検察やマスコミに対して大々的に手を加えると事実上脅迫したのだ。チョン主筆はまた“弾劾企画説”と関連して「朴大統領は『自分を引きずり下ろすために長期にわたり準備され、企画し管理された』という話をし続けていた」として「ひそかに聞いていなかったら大変なことになるところだった、そんな感じを受けた」と付け加えた。

 朴大統領の発言が公開されると、野党は「国民との戦争を宣言したに等しい」として強く批判した。共に民主党のユン・グァンソク首席代弁人は、ブリーフィングで「本当に大統領がそのような発言をしたとすれば、検察の粛清とマスコミの弾圧を宣言したこと」とし「全国をろうそくで照らして大統領自身の弾劾を求めた国民に対して、報復の刃を研いでいることを明らかにしたという点で驚きを禁じ得ない」と指摘した。国民の党のパク・チウォン代表もフェイスブックに「憲法裁判所と特検に対する朴槿恵、チェ・スンシルの弁護人の態度が尋常でない」として「歴史のとうとうたる流れに逆行しようとする勢力を、憲法裁判所、特検、国民が粉砕しなければならない」と書いた。

チェ・ヘジョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

在日朝鮮学生中央芸術コンクール。各学校の教員たちが注いできたひたむきな努力と指導が結集した、

2017-01-30 | 琉球新報記事紹介
〈民族教育と歌 8〉
音楽教育のさらなる向上へ―総聯音楽通信教育/金理花



総聯音楽通信教育の修了式の様子。(写真提供:李喆雨氏)

今年で第49回目を迎えた在日朝鮮学生中央芸術コンクール。高い技術と芸術性を誇る本大会は演目を披露する学生たちはもちろん、その成長を支える教員の的確な指導なしには決して成り立たない。だが、音楽教育の経てきた歴史を振り返るとき、全国の教員みなが常にこうした指導力を備えていたわけではなかった。こうした背景をみるとき、1970年代に実施された「総聯音楽通信教育」は、民族教育における音楽実践のさらなる発展のために教員の指導力を土台から作り上げようとする着実な取組みとして注目することができる。

総聯音楽通信教育は、各朝鮮学校の音楽教員や歌舞団員を対象に実施された教育研修(2年制が基本)で、当時の音楽教員たちが全般的に音楽理論とりわけ作曲に弱いという状況を背景に、これを改善しようという目的に沿って組織されたものだ。和声学や対位法の出張授業をはじめ、春と冬には登校授業も実施された。修了時には受講者たちが歌謡、童謡、児童洋楽合奏などの課題にそって作曲した作品が披露されるなど、教員たちの音楽の指導力を理論と実践の両面から底上げしようという試みであったといえよう。この通信教育の発足をけん引し、その総責任者もつとめた崔東玉氏は、修了式間際には徹夜で採点をおこなうなど心身両面でこの取組みを支え続けた。

50年代後半に全国の朝鮮学校共通の音楽教科書が編纂されたことを皮切りに、それまで地方によって実施にばらつきがあった音楽教科の問題は徐々に改善されていった。そして70年代、すべての朝鮮学校において音楽教育を正常化するという目標が達成された後、次なる課題として浮上したのは教育の質のさらなる向上であり、そのための取組みの一つとして総聯音楽通信教育が企画されたといえる。研修を経た各地の音楽教員たちはふたたび教育現場へと戻り、よりよい音楽教育を実施するべく奮闘する。こうした営みの蓄積が、今日の民族教育における音楽実践を下支えしてきた。

芸術コンクールの最終日に催される優秀作品発表会は、各地の朝鮮学校生徒たちが一年間の練習をかけて目指す憧れの舞台。それは、各学校の教員たちが注いできたひたむきな努力と指導が結集した、民族教育の大切な足跡なのである。

(東京外国語大学大学院、在日朝鮮人音楽史研究)

ちょっと長い文ですが、知っておく必要があると思ってアップしました。

2017-01-29 | 韓国:ハンギョレ新聞
左派都市大邱はいかにして反共と地域主義の尖兵になったか

登録 : 2017.01.27 05:22 修正 : 2017.01.27 10:59


私たちの中の朴正煕-大邱イデオロギーの誕生
 
イラスト=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社
「朝鮮のモスクワ」と呼ばれた変革の都市大邱(テグ)はいつから反共と地域主義の尖兵になったのか。この問いに対する答を探す過程もやはり、朴正煕(パク・チョンヒ)という名前に行き当たる。クーデターで政権を握った朴正煕は、反共主義を基盤とするスパイでっち上げ事件を通して自らの政治的故郷である大邱から進歩の芽を摘むことに努めた。南労党出身というコンプレックス故の自己否定という話が出るくらい、残忍かつ執拗であった。地域縁故主義に基盤を置く嶺南覇権主義も積極的に活用した。アメと鞭(韓国語では「ニンジンと鞭」)によって大邱の風土を変えることに成功した朴正煕は、結局彼に追従する政治勢力に「地域主義」という遺産を残した。反共と地域主義を二本の軸とする「大邱イデオロギー」誕生の瞬間である。広場のろうそくが朴槿恵(パク・クネ)大統領に政治的死亡宣告を下した今、大邱は朴正煕を越えることができるだろうか。私たちは亡国的な地域主義、時代錯誤的な反共主義と決別できるだろうか。

国債報償運動など反日運動の本拠地 
新教育機関ができ知識人層成長 
朝鮮戦争時の粛清を免れ進歩力量保存 
チョ・ボンアム圧倒的支持に2・28義挙まで

# 大邱が「左派都市」だった理由

 大邱は「抗争の都市」だった。1907年借款1300万ウォンを無理やり提供して大韓帝国を経済属国にしようとしていた日帝に対抗した國債報償運動(訳注:国民の募金により日本からの借款1300万ウォンを返して国の主権を回復しようとした)は、大邱の中央路から始まった。1946年米軍政の収奪に立ち向かった10月抗争も、大邱から始まった。 9月の労働者のストライキに次ぐ10月1日のデモに大邱市民 1万余名が集まると、警察はデモ隊に銃口を向けた。警察により命を失う犠牲者が増える中で、彼らは「山の人」となって左翼活動に出た。 大邱八公山(パルゴンサン)の「野山隊」は、朝鮮戦争以前の左翼パルチサン活動の始まりの一つであった。10月抗争は朝鮮戦争前後の左・右対立と保導連盟民間人虐殺(訳注:1949年左翼系の人々を転向させ別途管理するという名目で保導連盟が組織され、地域の割当を満たすために左翼と無関係の人も多く登録されたが、朝鮮戦争勃発とともに李承晩大統領の命令により軍と警察が保導連盟登録者を連行し集団虐殺した事件。全国的に犠牲者は数十万と言われる)へとつながる。「谷に行く」という俗語は「谷に連れて行かれて殺された」この地域の悽絶な抗争の歴史に由来する。

 日帝強占期から大邱に左派が多かった理由は大きく三つ挙げられる。まず、狭い農耕地のせいで大地主階層が形成されず、早い時期に自営農など自立的経済主体が形成されたという点である。日帝は大地主や両班階層を植民支配の下位パートナーとしたが、大邱地域はそうした流れから一歩退いていたわけである。漢陽(ハニャン)大比較歴史文化研究所のユン・ヘドン教授は「都に上って政治の主流になった安東金氏と安東に残っていた安東金氏は大きく違う。後者は既に中央の政治舞台から排除されていたが、この人々は日帝に対し非妥協的な特性を持っていた。初期社会主義者の中には、このような両班出身が非常に多い」と説明した。

 第二に、日帝期に新教育機関が京城、平壌、大邱にでき、南側地域での新文物の吸収と若い知識人階層の成長が大邱を中心に成された。学生運動の脈が大邱で広がり、左派形成につながった。

 第三の理由は、大邱が朝鮮戦争当時、人民軍の占領地ではなかったため大々的な粛清を避けることができたという点である。10月抗争直後の大邱民衆運動史を研究したキム・サンスク博士は「大邱は人民軍占領地ではなかったという点で朝鮮戦争後の附逆者虐殺から比較的自由であり得た。そのお陰で進歩的力量と気風が保存され得たし、4・19革命など戦後の進歩運動の中心になることができた」と説明した。

 進歩性の根は制度政治空間でも花を咲かせた。1956年第3代大統領選挙の結果が代表的だ。当時無所属で出馬したチョ・ボンアム(曺奉岩)との二者対決で、自由党李承晩(イ・スンマン)は全国的に70%の支持率で再選に成功した。現職大統領と対戦した無所属進歩候補チョ・ボンアムは全国で30%の得票にとどまった。そのチョ・ボンアムが全国で最も多くの支持を受けた地域が、ほかならぬ大邱であった。大邱は江華島(カンファド)出身の無所属進歩人士チョ・ボンアム候補になんと72.3%という圧倒的な支持を送ったのだ。

 選挙後も大邱は李承晩独裁政権とことごとに対立した。1960年2月28日、自由党不正選挙に立ち向かった大邱市内の高校生たちの 2・28義挙は 4・19革命の口火となった。4 ・19 直後、大邱は教員労組設立と革新政党(慶北社会党)結成など本格的な進歩運動の根拠地となった。

# スターリンのグルジア、朴正煕の大邱

 大邱の歴史は朴正煕の登場以後、劇的反転を経る。朴正煕は1961年の5・16クーデター以後、大邱・慶北地域の「左翼活動」に対する大々的な弾圧に出る。「真実 ・和解のための過去事整理委員会」が作成した「5 ・ 16 クーデター直後の人権侵害事件真実糾明決定書」によれば、人権弾圧の対象となった進歩政党(中央本部・地域支部含む) 13のうち慶北社会党など 5つが嶺南地域(慶尚南北道)を基盤に活動していた政党だった。民主民族青年同盟系列の事件は 3件とも慶北 ・慶南すなわち嶺南地域が基盤であったし、保導連盟被虐殺者遺族会事件で弾圧された8件も皆嶺南地域が中心だった。スターリンの「恐怖政治」の始まりが故郷のグルジア(現ジョージア)に対する大々的な弾圧で始まったように、朴正煕もまた自分の故郷から左翼粛清を行なったわけだ。 少数民族出身で民族問題委員長として活動していたスターリンと南労党出身で同志たちを密告して辛うじて生き残った朴正煕とは、コンプレックスを乗り越えて主流になる方式でも似ている。

「レッドコンプレックス」の朴正煕登場で潰滅 
朴、米国の支持を得ようと「反共闘士」に急変 
政治的故郷で左翼勢力大々的弾圧 
「金鍾泌の 2万8千名予備検束計画も」

# ‘レッドコンプレックス’から始まった恐怖政治

 朴正煕は米国の政治的支持を得るために、過去を消して「反共の闘士」に急変した。国家再建最高会議で法制司法委員長を務めたイ・ソクチェは回顧録『閣下、革命しましょう』の中で「5・16直後に陸軍本部状況室でアメリカが朴正煕と金鍾泌(キム・ジョンピル)の背景を内偵しているという情報を手に入れ ( … ) アメリカの思想攻勢を一挙に逆転させ軍事革命成功の決め手となる非常措置が必要だから、保導連盟員など左翼思想犯をいけにえにして反共への意志をアメリカに見せてやろう」と決心して、「全国の軍憲兵隊や警察に非常召集をかけて保導連盟関連者と革新政党関連者、左派知識人、社会団体リーダー、労組リーダーなど社会不満勢力と左翼活動経歴者を大々的に見つけ出し、4000人あまりを逮捕し収監した」と書いた。

 さらに5・16クーデターの主導勢力の一人だったユ・ウォンシクは『5・16秘録、革命はどこへ行ったか』の中で「李承晩政権期に作成された要視察人名簿を根拠に金鍾泌が2万8000人を予備検束し巨済島で殺害する計画を立てて朴正煕に報告した。国家再建最高会議の席上でハン・ウンジンなどと一緒に抗議した結果、大量虐殺の計画は阻止された」と回顧した。もう少しで韓国版「キリングフィールド」が起きるところだったヒヤリとさせられる瞬間だ。

# 5 ・16でひっくり返った加害者と被害者

 保導連盟被害者家族の集まりである「慶州遺族会」のキム・ハジュン会長(84)は 5・16 クーデターを基点に極と極を行き交う経験をした。

 彼は慶尚北道慶州内南面ホムシルで育った。慶州南山から下ってくる谷川に溝(ホム)を掘って水路を作ったことから付けられた村名だった。ホムシルから4キロメートル離れたバタンコルにはキム氏の親戚4世帯 27人が住んでいた。南山に抱かれたこぢんまりとした集落だった。1949年8月1日から2日にかけて、このバタンコルの住民 80人余りのうち30人が二晩の間に「赤色分子」という理由で銃殺された。彼の親戚22人が犠牲になった。当時 2歳だったスンジャとスンヨン、3歳だったイアム、5歳だったスンホン…。「一体全体、2歳のアカだなんて…」。今月6日ハンギョレと会ったキム氏は、68年前の出来事を回想しながら声を震わせた。慶北全域で「山の人」たちが左翼運動をしていた時代だった。

保導連盟被害者たちにとって 5・16クーデターは世の中が引っくり返る事態だった。「韓国戦争前後民間人犠牲者慶州遺族会」の会長が6日午後、慶北慶州市城東洞の事務室で2016年に行なわれた慰霊塔除幕式の写真を見ながら説明している=慶州/キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 キム氏の証言と「真実と和解委員会」の報告書によると、キム氏の集落に銃口を向けたのは李協雨(イ・ヒョブ)団長をはじめとする内南面の民保団員だった。李協雨は内南面で右翼青年団体である大同青年団長、民保団長、大韓青年団長を順に務めた。これらの右翼団体は李承晩政権の警察の下部組織だった。「その翌日遺体を収拾すると言ってバタンコルに入った父も民保団員に殴られた。隣のおじさんが血まみれになった父を背負子で担いで来た姿を今でも思い出す。父は部屋に隠れていたが11日目に亡くなった」。良民を虐殺してその家産を奪った李協雨は、李承晩政権時代(1950~1960年)ずっと国会議員に当選して 3選議員を務めた。当時国民学校の 6年生だったキム氏も李協雨から殺すと脅されたことがある。キム氏の家の雌牛を連れ出そうとした李協雨をまだ子供のキム氏が両手を広げてさえぎると、彼は後ろ手に持っていた拳銃を出して見せた。「この子はちょっと頭がおかしいんです」 ホムシルの里長のこの一言がなかったならその場で撃たれていたかも知れない。キム氏は名前をキム・テウに変え、息を殺して辛うじて生き残った。

 それから11年、世の中が引っくり返った。李承晩政権の独裁に呻いていた国民は4・19革命で民主主義を一歩進展させた。キム氏は家族の恨を晴らすために慶州遺族会を結成した。慶州地域のあちこちで身を伏せて生きながらえていた遺族たちが力を添えた。慶州地域の虐殺被害者75人は当時国会議員だった李協雨を告訴した。検察は殺人・放火などの容疑で李協雨を起訴し死刑を求刑した。1審の裁判部も良民76人を虐殺した容疑を認め1961年 3月に死刑を宣告した。非業の死を遂げた犠牲者家族の恨が少しは晴らされたと信じた。

 しかし翌年 5月に朴正煕がクーデターを起こし、世の中はまた元に戻ってしまった。慶州、密陽(ミリャン)、大邱など各地の良民虐殺被害者は軍事政権の予備検束対象となった。キム氏も「反国家行為者」とされて西大門(ソデムン)刑務所に拘禁された。革命裁判所は彼に懲役 7年の刑を宣告した。キム氏は「西大門刑務所に入れられていながらも、自分が何の罪を犯したのか全く分からなかった。警察でさえ、お前は何の罪でここまで来たのかと言っていた。2年後に赦免で出てきたが、要視察人物という札付きのために何の仕事にも就けなかった」と語った。再び「アカ狩り」をする時代に戻ったせいか、李協雨の罪悪を名指ししていた住民たちの証言も後退し始めた。

 李協雨は1963年、最高裁で無罪の確定判決を受け釈放された。数えで84歳のキム氏がいまだに慶州遺族会の活動をしている理由だ。

慶州遺族会キム・ハジョン会長の悲劇 
1949年民保団が親戚など30人虐殺 
「なんと2歳の共産主義者だなんて…」 
4・19法廷設けたがクーデターで水の泡 
良民虐殺被害者たちが逆に検束対象に

# 嶺南覇権主義というニンジン(飴)

 朴正煕は大々的な共産主義者弾圧で大邱の思想的土壌を整理した後、この地域の人士を高位職に大挙登用することで嶺南覇権主義の芽を植え込んだ。オム・ミンヨン、キム・ソンゴン、パク・ナムオク、イ・ヒョサン、朴浚圭(パク・チュンギュ) など共和党の主役は皆大邱高等普通学校(慶北高の前身)出身であった。朴正煕の統治期間だった第3第4共和国当時、維新政友会 ・全国区国会議員の出身地域別分布を見れば、慶尚道出身が100人(26.6%)でソウルの93人より多く、全羅道53人、平安道33人などとは比較にならない。 高級官僚社会に「TK人脈」が移植され、特定地域の支配階層化が成立したのである。

 地域感情の助長もこの時から始まる。1963年9月19日の大邱寿城川辺での遊説が代表的だ。朴正煕候補側の賛助演説者だったイ・ヒョサン(後日国会議長となる)は「この地域は新羅千年の燦爛たる文化を誇る土地であるが、その矜持を引き継ぐこの地の王はいまだに一人もいなかった。朴正煕候補は新羅の王の誇らしい子孫である。今こそ彼を大統領に選んで、この地の人間として千年万年王様に仕えよう」と演説した。縁故主義の強い嶺南地域で「新羅大統領論」は功を奏した。朴正煕は尹普善(ユン・ポソン)に対し嶺南だけで66万票の差を付け圧倒的優勢(全国的には 15万票差)を見せて、大統領に当選する。進歩人士チョ・ボンアムに圧倒的な支持を送った大邱の雰囲気が、わずか7年で劇的に変わったのだ。

 現時点で知りたいのは、この時に形成された地域感情と覇権意識がどうして数十年間も持続しているのかという点だ。TKだと悪口はずいぶん言われるけれども、実際に大邱の経済が豊かなわけでもない。2015年広域市道別1人当りの地域総所得を見れば、大邱はビリから二番目で光州より一段階上に過ぎない。ユン・ヘドン教授は「現在大邱の情緒は70年代以降大きく変わっていない一種の認識遅滞現象を見せている。全羅道や首都圏は向都離村など解体の過程を経ながら多様化が成されたが、大邱はそうした動きのないまま停滞している。人口流入もなければ流出もなかった。それでなのか、地域の情緒自体が停滞している感じだ」と言った。

「嶺南覇権」なるニンジンに半世紀以上地域主義が「金城鉄壁」

1963年寿城川辺で「新羅大統領論」登場 
全国で15万票差 … 嶺南だけで 66万票の差を付ける
大統領府・全国区議員にTK出身重用し 
国家資源を動員した経済開発の恩恵集中

# 人革党死刑囚8人のうち5人が大邱

 大邱を中心に残っていた革新勢力に対する「根絶やし」 作業は続いた。人革党事件と人革党再建委事件が代表的だ。最初の人革党事件が3人の担当検事の起訴拒否で事実上失敗に終わると、朴正煕政権は 10年後の1974年4月「人革党再建委」というまた別のスパイ でっち上げ事件を企てる。李哲(イ・チョル)、ユ・インテなどの民青学連事件の背後指揮部としてソ・ドウォン、ト・イェジョン などかつての人革党事件の連累者(人革党再建委)が隠れているという話であった。拷問と強圧で作られた事件だった。 1年後の1975年 4月8日、最高裁判所は人革党再建委事件で起訴されたヨ・ジョンナム慶北大元学生会長など8人に死刑を宣告した原審を確定する。 そして翌日の4月9日、「判決文のインクも乾かないうちに」 死刑が執行される。

 死刑囚8人は皆嶺南で生まれた。ヨ・ジョンナム、ソ・ドウォン、ト・イェジョン、ソン・サンジン、ハ・ジェウァンの 5人は大邱に住んでいた。大邱地域に一握り残っていた革新系列が根こそぎにされた瞬間であった。朴正煕政権は「司法殺人」という国内外の非難が激しくなると、民青学連など残りの関連者を刑の執行停止で釈放する。

人革党・再建委スパイ捏造事件を企画 
「司法殺人」で革新勢力の残りまで消す 
「要視察対象」で家族たちも会うことを憚り 
生き残った人々も大邱を去って“散り散り”に

# 人革党再建委当事者が大邱を去った理由

 人革党再建委事件で投獄されたチョン・ファヨン氏(68)はその事件以後大邱を去る。死刑にされたヨ・ジョンナムの慶北大法学部の後輩だった彼は、ヨ・ジョンナムが学校を去った後、反維新闘争に力を注いだ。1974年 3月慶北大で「反独裁民主救国宣言文」を撒いた疑いで人革党再建委に連座した。一週間眠らせないで殴る酷い拷問にも、ヨ・ジョンナムを知らないと言い張った。慕っていた先輩を否認することで彼はやっと生き残った。1975年最高裁で懲役刑を確定されて大邱刑務所に収監された。彼が収監された日の朝、ヨ・ジョンナムの死刑が執行された。出所後緊急措置9号違反でまた投獄され、1981年に出所した。彼は暗い獄中で夜ごと心の中で朴正煕を殺したと言った。

彼は尊敬していた先輩を否認することで生き残った。人革党再建委事件の被害者チョン・ファヨン氏が3日午後、仁川西区の黔岩(コムアム)駅でハンギョレ新聞とインタビューをしている= 仁川/キム・ミョンジン記者 //ハンギョレ新聞社

 彼の収監時代が記録された服役者身分カードには緊急措置違反者を意味する「緊」、要視察対象者を意味する「要」、左翼事犯を意味する「左」の字が刻まれている。200ページを超える記録の中には、刑務所の中で彼が行なったハンストと抗議の内容が「動静報告」としてぎっしり書き込まれている。「暴力行為恐喝などの罪名で収容中の1144番○○○が保安課で殴られたという煽動に同調し、これを適法に処理することを要求して1979年1月6日の朝食から拒否しているので報告します」(1979.1.9) 「朴正煕政権は変わらなければならず、変われば赦免令があるだろう 、政府の長官や高官には泥棒でない人はいない、などの流言飛語を伝播」(1976.9.14)。 服役者身分カードには、彼との接見が許可された家族5人(兄と兄嫁、姉妹など)の写真も一緒に記録されていた。

 「記者さん、連座制って知ってるか? 面会許可者とは言うけれど、アカの家族の服役者カードにこれ見よがしに写真が入っているのだから、どんな気分か分かりますか。それも大邱でですよ。私としては一生家族たちに気兼ねするしか… 」。

 「要視察対象」だった彼は逃げるようにして大邱を去るしかなかった。「ヨ・ジョンナム先輩は慶北大の学生運動の中心だった。正義感と義理、勇気のあふれる男らしい先輩だった。 朴正煕の代を引き継いだ独裁政権にヨ・ジョンナムの復讐をしたいという一心だったけれども、大邱では誰にも会うことができなかった。 8名も死刑になった人革党再建委出身に誰が会ってくれますか。大邱に残っていた革新系列はあの時の衝撃で既に散り散りになっていたし、何人かの後輩も会うのを憚った。兄弟や家族も同じだった。私服警察が始終付いて回った時代だったから…」。彼は流れ者の都市、仁川(インチョン)に流れ着くことになる。

 彼にとって大邱はどんな記憶として残っているだろうか。「今大邱には朴正煕の受恵者がたくさんいる。党内予備選に出たイ・ブヨン氏の大邱遊説に行ったが、どれもこれも顔につやつやと油気のあるような奴しかいない。朴正煕の恩恵をかじって生きてきた人間たち、やつらは今でも遠い姻戚にしても、とにかく自分の家族親戚の中に高位職に就いている者が一人はいると思っている。それを自分の身分と錯覚してね」。

人革党再建委事件で投獄されたチョン・ファヨン氏
「連座制知ってますか? 私は一生家族に気兼ね」
また別の被害者の妻「今もやっぱり世の中が恐ろしい」 
人革党謝罪問題受け流した朴槿恵候補に 
大邱は父親より高い80%の支持

# 依然としてそこには …

 朴槿恵(パク・クネ)大統領は、2012年の大統領選挙過程で人革党再建委の遺族に対し謝罪する意思があるかという質問に「同じ最高裁で相反する判決(1975年の死刑判決と2007年の再審無罪判決)もあったし、その組織に携わった方々のいろいろな証言もあって、そういうものをすべて勘案して歴史の判断に任せるべきだ」と答えた。父親の「司法殺人」に対して謝る意思が無いことを明確にしたわけだ。歴史認識に対する議論が起きてから初めて、「以前から私は、当時被害を被った方々に本当に申し訳なく思い、慰めの言葉を申し上げるということをお話してきました。その延長線上の同じ話です」と言ってはぐらかしただけである。その年の大統領選挙で大邱は朴槿恵候補に80.1%の圧倒的支持を送った。父親の朴正煕が最後に選挙に出た1971年(朴正煕 67.0%、金大中(キム・デジュン)32.3%)よりはるかに高い支持率であった。

 朴槿恵が顔をそむけたかった人革党再建委被害者の立場はどうだろうか。第 1次人革党事件と人革党再建委事件とで二度の獄中生活を強いられた故チョン・ドクチン氏は、再審を通じて「公式的に」名誉を回復した。しかし彼の妻Cさんは依然として世の中が恐ろしいと言う。Cさんはインタビュー要請を断ってこんなふうに言った。「私どもはただ、何もお話しません。私どもは世の中が恐ろしいのです。再審で無罪も受けて補償金も少しは受取ったけれども、その後却って一層後ろ指をさされて。私どもは世の中の人々がただ恐ろしいのです。このまま静かに暮したいのです」

 チョン・ドクチンは1940年大邱で生まれ、嶺南大の前身である大邱大学法学科を卒業した。死刑囚ヨ・ジョンナムの懇意な先輩だった彼は、1964年第1次人革党事件で拘束され、1975年の人革党再建委事件で懲役 20年の刑を宣告された。1982年に刑の執行停止で出所した彼は、拷問・獄中生活の後遺症で闘病を続け、1998年に亡くなった。彼の妻Cさんは今も大邱に住んでいる。

ノ・ヒョンウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

河野氏は安倍晋三首相の慰安婦関連の立場について「人間性の問題と思う」と述べて批判してきた。

2017-01-28 | 韓国中央日報日本語版より
河野氏、日本政府の駐韓大使一時帰国措置を批判 
「問題大きくしているのは日本」

2017年01月28日05時28分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]


1993年に従軍慰安婦の強制性を認めた「河野談話」を発表した河野洋平氏が27日、日本政府による駐韓大使の一時帰国措置を批判した。

河野氏はこの日、共同通信が主催した講演会で「外交上どんな問題解決方法を持っているのか」と述べ、韓国に設置された慰安婦少女像に対する日本政府の対処は間違っていると皮肉った。

河野氏はまた。「帰れと言うことができず大使不在が続いている」と述べて駐韓大使の一時帰国措置がまねいた問題点を指摘した。

一方、日本政府が韓日通貨スワップ交渉を中断させたことに対しては「慰安婦問題を他の問題に拡大しないようにしようと言っているが、拡大させているのは日本」と批判した。

河野氏は官房長官在任当時の1993年、従軍慰安婦動員の強制性を認める談話を発表したことがある。河野氏は安倍晋三首相の慰安婦関連の立場について「人間性の問題と思う」と述べて批判してきた。

民主党はこの日から大統領選予備選挙の予備候補登録を開始した。

2017-01-27 | 韓国:ハンギョレ新聞
文在寅、李在明、安煕正…民主党の予備選挙は「1強2中○弱」

登録 : 2017.01.26 23:42 修正 : 2017.01.27 05:54

予備候補の登録開始、「本格的に予備選挙体制」 
チェ・ソン高陽市長が登録…キム・ブギョム議員も挑戦


朴元淳ソウル市長が26日午前、国会政論館で「大韓民国を新たに変えるという熱望から懸命に努力したが、国民の心を得られなかった」とし、大統領選不出馬を宣言した後、硬い表情で会見場を後にしている=カン・チャングァン記者//ハンギョレ新聞社
 26日、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長の突然の大統領選挙不出馬宣言で、民主党の予備選挙は文在寅(ムン・ジェイン)元代表と李在明(イ・ジェミョン)城南(ソンナム)市長、安煕正(アン・ヒジョン)忠清南道知事の「1強2中」の構図に再編されるという見通しが出ている。

 一応、朴市長がこれまで低い支持率から抜け出すことができなかったという点で、今回の不出馬宣言が予備選挙の結果自体に影響を及ぼす可能性はそれほど大きくないと見られている。しかし、朴市長は人口1千万人の広域自治体の首長であり、「合理的革新」路線を掲げて民主党の支持を拡大することに貢献してきた人物だ。朴市長は2014年の地方選挙でも13%差で勝利し、政治的力量を見せつけた。朴市長の潜在力を考慮すると、「文在寅大勢論」を覆す逆転ドラマを狙う李市長と安知事にとって、朴市長の支持票を集めることは重要な問題だ。

 朴市長の不出馬が、「きれいな予備選挙」を標榜し他党より先に予備選挙の手続きに入った民主党のイメージに傷を残しかねないという点は、党としては懸念すべき部分だ。党指導部に「野党共同選挙と共同政府の構成」を提案し挫折した朴市長は、予備選挙のルール問題と自分の途中下車は関連がないとくぎを刺している。しかし、もし朴市長と歩みを共にしてきたキム・ブギョム議員まで不出馬の意向を明らかにする場合は「文在寅大勢論」によってだれた民主党の予備選挙興行が打撃を受ける可能性もある。ただし、キム議員は「野党共同政府をつくるためにできる限り尽くす」と述べ、予備選挙への挑戦の意志を再確認している。キム議員は旧正月連休後、予備候補に登録する計画だ。

 党の外では朴市長の不出馬を機に民主党を攻撃している。国民の党のパク・チウォン代表は記者らと会い、「(朴市長が)結局、民主党の山城を克服できず、親文(在寅)の覇権主義を超えられなかった。残念で惜しい」と述べた。国民改革主権連帯のソン・ハッキュ議長も立場文を上げ「共同政府の同伴者になる可能性のある開かれた政治家だったのに残念だ。民主党の覇権勢力が積み上げた既得権の壁がどれほど強固なのか改めて確認された」と述べた。

 朴市長の落馬とは関係なく、民主党はこの日から大統領選予備選挙の予備候補登録を開始した。民主党は弾劾審判判決が下される翌日まで候補登録を受けつける。この日候補登録を終えた人はチェ・ソン高陽(コヤン)市長が唯一で、文在寅元代表と李市長、安知事は、旧正月連休が明けた後に、候補登録日を決める雰囲気だ。

イ・ジョンエ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

副会長は、大統領府の指示でミル・Kスポーツ財団を設立したと改めて確認した。

2017-01-26 | 韓国:ハンギョレ新聞
パク憲法裁所長退任前の弾劾決定は不可能…早ければ2月末に判決

登録 : 2017.01.23 23:46 修正 : 2017.01.24 07:17

2月1日・7日、金淇春など7人の証人尋問を予定 
大統領側、39人の証人申請で遅延作戦 
今月末の憲法裁所長の任期内には結論出せず 
 
チャ・ウンテク「チェ・スンシルの言葉どおり大統領が現れぞっとした」 
キム・ジョン「朴大統領、チョン・ユラ支援に言及してショック」 
イ・スンチョル「偽証の処罰より大統領府の方が怖かった」


朴槿恵大統領が旧正月を控えた23日午後、国立ソウル顕忠院の朴正煕元大統領の墓所を訪れている。先月9日に国会弾劾訴追案可決で職務停止された後、朴大統領が大統領府を出たのは初めて。朴大統領は最小限の警護だけで墓地の前に10分ほど佇んだという=大統領府提供//ハンギョレ新聞社
 憲法裁判所は23日、朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾審判に関する証人尋問を2月1日と7日にも開くことにした。これによって、31日に任期が終わるパク・ハンチョル憲法裁判所長の退任前に弾劾審判の決定を下すことは不可能になった。

 憲法裁はこの日、8回目の弁論を開き、来月1日と7日に金淇春(キム・ギチュン)元大統領秘書室長などの証人尋問を決定した。朴大統領の代理人たちはこの日、金元室長、禹柄宇(ウ・ビョンウ)元大統領府民政首席秘書官など39人の証人を大量に申請したが、憲法裁はこれらのうち6人と国会側が申請したチョン・ヒョンシク元Kスポーツ財団事務総長の7人だけを証人として認め、残りは採択を保留した。パク憲法裁判所長は25日の9回目の弁論を最後に退任し、2月1日からは裁判官8人だけが参加する。これにより朴大統領の弾劾審判判決は、早ければ2月末に行われるものとみられる。

 朴大統領の遅い証人申請は、この日法律違反を除外し民主的基本秩序違反を中心に再構成した弾劾訴追事由を提出するなど、裁判日程を繰り上げようとする国会側の戦略に対抗するためのものとみられる。訴追委員である正しい政党のクォン・ソンドン議員は、「朴大統領側が8回目の弁論日になっていきなり証人を申請し、これらの多くが大統領に不利な供述をすることに照らしてみると、弾劾審判を遅延させる意図と判断せざるをえない」と批判した。

 この日、憲法裁に証人として出席したキム・ジョン元文化体育観光部次官とチャ・ウンテク氏は、チェ・スンシル氏と朴大統領の“特殊関係”について供述した。チャ氏は「チェ・スンシル氏が『文体部公務員たちは大統領が考える文化隆盛を一つもできていないため、民間財団が必要だ』という話をよくした」とし、「その後、(チェ氏の言葉どおり)本当に財団ができ、チェ氏が指示してブランドを企画し、ブランドが形になる頃に大統領が現れたのでぞっとした」と話した。さらにチャ氏は「チェ氏が事務室で演説文や国務会議の議事録をパソコンで作業しているのを見た。私がチェ氏に渡した文にある文章を、朴大統領が助詞一つも違わず述べた」と話した。キム元次官は「朴大統領が『政界から“姫乗馬”の話が出たが、アジア大会で金メダルを獲得した選手について否定的な言葉が出て来るのは残念だ、(チェ氏の娘の)チョン・ユラさんのように才能のある選手のための英才プログラムをうまく作ってほしい』と話した」とし、「チョン氏を名指しして話したので大きなショックで受け止めた」と供述した。

 この日最後に証人尋問したイ・スンチョル全国経済人連合会(全経連)副会長は、大統領府の指示でミル・Kスポーツ財団を設立したと改めて確認した。イ副会長は、国会の国政調査では全経連が自発的に設立したと証言したが、国会で偽証した理由を尋ねると「偽証の処罰よりも大統領府の(偽証)要請のほうが怖かった」と答えた。

キム・ミンギョン、キム・ジフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

TPPは米国が批准しなければ発効せず、現状のままの協定では実現不可能となりました。

2017-01-25 | しんぶん赤旗より
米TPP「永久離脱」
大統領令署名 2国間協定へ


 【ワシントン=遠藤誠二】トランプ米大統領は23日、環太平洋連携協定(TPP)から「永久に離脱する」とした大統領令に署名しました。TPPは米国が批准しなければ発効せず、現状のままの協定では実現不可能となりました。「米国第一」主義に沿った2国間の貿易交渉、他国の「不公正な貿易」是正に政策の軸足を移します。

 トランプ大統領は、昨年の大統領選挙時からTPPからの離脱を公約に掲げていました。23日の署名後、同大統領は「アメリカの労働者にとって大変良いことだ」と言明しました。

 大統領令は「TPPから離脱し、交渉からも永久に離脱する」と明記。米国の産業振興と労働者保護につながる「あらゆる2国間交渉の追求」も命じました。これを受け、米通商代表部(USTR)は日本など他のTPP署名国に離脱を通知します。

 トランプ政権はカナダ、メキシコとの間の北米自由貿易協定(NAFTA)についても、再交渉を表明。31日には両国の首脳と会談する予定です。ホワイトハウスは、今後、交渉が難航する場合、NAFTAからの撤退の可能性まで言及しています。

 安倍晋三政権が強く求めてきた米国のTPP参加は、同日の大統領令によって完全に消滅した形です。しかし安倍政権が昨年、TPP協定と関連法を強行採決したことは、米国側からのいっそうの譲歩を迫られる条件をつくったことになります。農産物などの関税撤廃や食の安全、医療、雇用、政府調達、知的財産権などの非関税障壁撤廃、投資家対国家紛争解決(ISDS)条項など、TPP協定やその交渉過程で米国に譲歩した内容が日本の「国際公約」とみなされ、そこから、さらなる譲歩を迫られる危険があります。

 環太平洋連携協定(TPP) 日本、米国など太平洋めぐる12カ国が署名した協定。国境を越えて利益を追求する多国籍企業のために、関税と非関税障壁を原則撤廃し、参加諸国の制度をできるだけ均一化することを目指すもの。発効条件が少なくとも、12カ国合計の国内総生産(GDP)の85%以上を占める6カ国以上の批准が必要。米国が批准しないと、他の11カ国を合計しても85%に達しないため、発効しません。

5・18民主化運動記録館は22日、「米記者のティム・シャーロック氏が、光州広域市に寄贈した米政府の記録物の中に、

2017-01-24 | 韓国中央日報日本語版より
米政府文書
「韓国光州事件の際、日本自衛隊が情報収集活動をしていた」

2017年01月23日08時52分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]


「光州(クァンジュ)民主化運動当時、日本自衛隊が光州に関連した情報収集を行っていた」という内容が含まれている米国の政府文書が確認された。

5・18民主化運動記録館は22日、「米記者のティム・シャーロック氏が、最近、光州広域市に寄贈した米政府の記録物の中に、『日本自衛隊の光州に関する情報収集活動』について記述した文書があり、分析を行う予定」と明らかにした。

該当資料はシャーロック氏が寄贈した光州事件関連資料のうち、米太平洋司令部が作成した第1級秘密交信だ。シャーロック氏は中央情報局(CIA)を通じて国防総省合同情報センターから同文書を入手した。

この記録物の中には、「日本の海上自衛隊が韓国西南部地域の状況を詳しく観察していた。(中略)その不幸な土地(韓国)の不安定化が日本に及ぼす数多くの危険因子…(中略)」というくだりがある。

5・18民主化運動記録観館は、シャーロック氏と共に関連資料を分析した後、その内容や意味などを公開する予定だ。ナ・ガンチェ館長は「光州事件当時における日本の情報収集活動は、シャーロック氏による寄贈資料要約にその内容が簡潔に言及されている」とし「4~5月に光州を訪問予定のシャーロック氏と共に資料を分析する予定」と説明した。

これに先立ち、シャーロック氏は今月19日、光州市に計3600ページ余りからなる米政府文書ファイルを58冊を寄贈した。このファイルには、1979年~1980年に米国務省と駐韓米国大使館がやり取りした全文と韓国の状況がまとめられたいわゆる「チェロキーファイル」などが含まれている。米誌「The Journal of Commerce」の記者として活動してきたシャーロック氏は、光州事件当時、米国政府の役割などについての記事を執筆していた。

単なる政権交代を超えて、財閥改革に象徴される根本的な社会改革が必要という声が高まっていた。

2017-01-24 | 大韓民国
「国の上にサムスン」…
財閥改革のためにさらに燃え上がったろうそくの炎


登録 : 2017.01.23 03:25 修正 : 2017.01.23 15:20


13回目のろうそく集会が行われた今月21日午後、ソウル光化門広場で本大会を終えた参加者たちがサムスン電子のイ・ジェヨン副会長の顔が描かれた大型ボールを転がして大統領府に向けて行進している=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
 21日、ソウル都心で開かれた13回目のろうそく集会は「財閥改革」を要求する熱気に満ちていた。集会を主催した「朴槿恵政権退陣のための非常国民行動」(退陣行動)が前日に「ろうそく革命完遂を訴える文」を発表するほど、参加者数の減少が懸念されていたが、牡丹雪が降った氷点下の天気にもかかわらず、先週末のろうそく集会(主催側推算13万人)を大きく上回る32万人(主催側推算)が集まった。今月19日、裁判所がサムスン電子のイ・ジェヨン副会長の拘束令状を棄却したことで、危機感を感じた市民が大挙集まったものとみられる。単なる政権交代を超えて、財閥改革に象徴される根本的な社会改革が必要という声が高まっていた。

 同日夕方、ソウル鍾路区(チョンノグ)鍾閣(チョンガク)にあるサムスンタワー前では、イ副会長の拘束パフォーマンスが行われた。彼の仮面をかぶった演技者が、手錠を掛けられ、サムスンタワー前から普信閣(ポシンガク)交差点まで歩き、模型の監獄の中に入るパフォーマンスだったが、実際にイ副会長が拘束される場面であるかのように、市民が歓声を上げながら集まってきて、しばらくの間、演技者が鉄格子に近づけないほどだった。

 イ副会長拘束令状の棄却は、朴大統領に対する弾劾訴追案の可決後、やや緊張が緩んでいた広場を再び盛り上げている。家族と一緒に参加したというチョン・ボフンさん(53)は「最も大きな問題は財閥だ。あまりにも多くの特権を享受している。皆が不平等と不公正を肌で感じているため、広場に出てくる」としたうえで、「根本的に解決されたものが一つもない。朴大統領が弾劾されても、権力が入れ替わるだけだ。財閥の問題を解決できない政権交代は何の意味もない。同じことが繰り返されるだろう」と話した。家族と参加したキム・チャンホさん(48)も「朴大統領が弾劾されてからはたまに参加するだけだったが、イ副会長の拘束令状が棄却されたというニュースを見て『このままではいけない』と思い、出てきた」としたうえで、「すでに国民の要求は単なる朴槿恵の退陣を超えた。今回の機会に間違った社会を変えなくてはならない。大統領を追放するだけの問題ではない」と語った。2人の娘と一緒に参加したユ・ジヨンさん(39)は「拘束令状は、裁判所が判断するものだから、理解してみようと努力した。だけど、到底理解できなかった。サムスンのトップだから、拘束されなかったということ以外には、他の理由は思いつかなかった」と話した。彼女は「特検がかわいそうだ。力添えしたいと思って参加した」とし、「今回の機会が、政経癒着を根絶する手本になってほしいと思っていたが、“やっぱり(そこまでか)”になるのではないかと心配している」と付け加えた。

 京畿道南楊州市(ナムヤンジュシ)に住むファン・ユンギュさん(43)は家族と共に近くのホテルの部屋を取って集会に参加した。彼は「広場から聞こえる話の中には、共感できるものも、できないものもある。一番共感できる部分は、政経癒着を断ち切り、財閥を改革しようということ」だとしたうえで、「私たちは不平等・不公正が蔓延した時代を生きてきた世代だ。子供にまでそんな世の中を受け継がせるわけにはいかない」と話した。友達と一緒に参加したキム・ナヨンさん(24)は「何だか申し訳ない気がして出てきた」としたうえで、「イ副会長の拘束令状が棄却されたのはとんでもないことだ。一般人なら不可能だっただろう。政府はもちろん、判事も信じられない」と話した。友達と参加したチュ・イクソプさん(51)は「大統領は弾劾できても、イ副会長の拘束令状は棄却される。『国の上にサムスンがある』ような気がして、憤りを覚えた」とし、「司法府が難しい法理を盾にしてダブルスタンダードを使っている」と批判した。

 行進ルートも変わった。午後7時30分から始まった行進は、大統領府がある青雲洞(チョンウンドン)方向や憲法裁判所がある安国(アングク)駅方向、財閥企業の社屋がある都心方向の三つに分かれて行われた。多くの市民たちは都心方向に向けて行進し、鍾路のSK本社や鐘閣のサムスンタワー、明洞のロッテホテルの前で、財閥総帥の逮捕と処罰を要求した。

 ソウル以外の各地でも“財閥改革”を求める声が広場を埋め尽くした。済州(チェジュ)市庁前で集会が始まると、「財閥も共犯だ。イ・ジェヨンを逮捕せよ」というスローガンが聞こえた。大型スクリーンには拘束令状が棄却された後、ソウル拘置所から歩いて出てくるイ副会長の姿があった。光州(クァンジュ)錦南路(クムナムロ)で開かれたろうそく集会参加者らは、裁判所を批判するため、イ副会長が収監された姿を表現した模型を引きずって光州地裁まで行進した。

 一方、「大統領弾劾棄却のための国民総決起運動本部」(弾棄国)は同日午後、ソウル徳寿宮大漢門前で“対抗集会”を開き、「令状の棄却を歓迎する」というメッセージを発表した。125万人(主催側推算)が集まったと主張する同集会には、ムン・チャングク元首相候補者も参加し、「(イ副会長の)拘束令状を棄却したチョ・イヨン判事に拍手を送る。憲法裁判官らは操作された証拠ではなく、法と本物の証拠に基づいて判決し、司法府の権威を守ってくれると信じている」と発言し、大きな拍手が送られた。セヌリ党のキム・ジンテ議員は「左派たちがチョ判事の個人情報を調べ上げるのを見て恐れをなして、チョ・ユンソン前文化体育観光部長官と金淇春(キム・ギチュン)元秘書室長を拘束した。世界的企業であるサムスンのイ副会長を拘束しようと躍起になって、経済よりも正義が重要だとは笑い話ではないか」と述べた。

パク・スジ、ホ・スン記者、光州、済州道/チョン・デハ、ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

マイケル・ムーアさんやスカーレット・ヨハンセンさん、エマ・ワトソンさん、マドンナさんやアリシア・キーズさんも

2017-01-23 | いかなる差別もあってはならない
トランプ大統領に抗議
全米300万人 女性・移民・人種差別するな



 【ワシントン=遠藤誠二、洞口昇幸】トランプ新大統領による女性を蔑視したり、移民を攻撃する発言や、イスラム教徒や少数人種の排斥姿勢などに反対する「女性大行進」が21日、首都ワシントンやニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなど、米国内の主要都市で行われました。

 前日に就任式が開かれたワシントン連邦議会前の広場には、全米から約50万人(主催者発表)が集結しました。大統領就任直後に、これだけの反対集会が開かれるのは米国史上初めて。映画監督のマイケル・ムーアさんや俳優のスカーレット・ヨハンセンさん、エマ・ワトソンさん、歌手のマドンナさんやアリシア・キーズさんらもかけつけました。

 参加者は老若男女さまざま。幼児をつれた家族や知人友人で集まった人たちが、「愛は憎悪を打ち負かす」「女性の権利は人権」「トランプのアメリカにはならない」「沈黙はリベラルのとる道ではない」「われわれは引き返さない」などと書いたプラカードを掲げ、行進しました。

 女性の多くは、猫の耳をかたどった「プッシー(子猫)ハット」とよばれるピンク色のニット帽をかぶりました。トランプ氏が過去に、女性を侮辱する言葉を発したことに対する抗議の意を込めてのものです。

 ワシントンの行進に友人と参加した女性(24)は、「昨日のトランプ大統領の就任演説は、米国民の多様性を認めているとはとても思えない。女性だけでなく移民やイスラム教徒に対する不寛容さがこれからの政治に表れてくると思うと恐ろしい。差別主義を増長させてはいけない」と語りました。

 イリノイ州から家族と参加した男性のリチャード・テイラーさん(67)は、「私には3人の娘と3人の孫がいる。女性の権利を守ることが平等を守ることだ。多数の国民のことを気にかけないで、大企業や億万長者のためだけの政治を行うなら、彼はわれわれの大統領ではない」と断じました。

 「女性大行進」は、全米300カ所で少なくとも300万人が参加したとみられています。またロンドンやパリ、ローマなど欧州の主要都市や、中米のメキシコ、アフリカのケニアなど世界各都市でも行われました。

トランプは、CIAとともに世界へ!何を意味するのか?

2017-01-22 | 共同
トランプ氏、CIA訪問 情報機関との関係改善急ぐ
2017年1月22日 07:09


 【ワシントン共同】トランプ米大統領は21日午後、首都ワシントン近郊バージニア州ラングレーにある中央情報局(CIA)本部を訪問、職員を前に演説し「皆さんを千パーセント支持する」と強調した。就任翌日にCIAを訪れたのは、情報機関との関係改善を急ぐ狙いがある。

 ロシアが米大統領選でトランプ氏勝利を目指してサイバー攻撃を仕掛けたと結論付けた米情報機関に対し、トランプ氏は大統領就任前から公に不信感を表明し続け、両者の間の確執が懸念されてきた。

 トランプ氏は演説で「メディアは私と情報機関の間に不和があるように見せようとした」が事実ではないと指摘。

(共同通信)

朝鮮戦争は、韓国の女性たちにも癒えることのない傷を残した。

2017-01-21 | 韓国:ハンギョレ新聞
韓国裁判所「米軍基地村『慰安婦』に国家が賠償すべき」

登録 : 2017.01.21 04:56 修正 : 2017.01.21 07:42


根拠のない性病感染者の強制収容は「違法行為」と判断 
「被害者57人に49万円ずつ賠償」判決 
「基地村の設置・管理が違法」との主張は認めず


朝鮮戦争は、韓国の女性たちにも癒えることのない傷を残した。米軍基地村女性122人は国に対し被害賠償請求訴訟を起こすことにした。2014年7月25日、ソウル大方洞のソウル女性プラザビル4階で開かれた訴訟記者会見の様子=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社
 国が米軍基地村「慰安婦」被害者に対して損害賠償をすべきとする裁判所の判断が出た。裁判所は国家が性病の管理のため、彼女らを隔離施設に強制収容したのは違法だと判決した。

 ソウル中央地裁民事22部(裁判長チョン・ジウォン)は20日、L氏など基地村「慰安婦」被害者120人が国に対して起こした損害賠償請求訴訟で、「国が被害者57人に対して500万ウォン(約49万円)を賠償せよ」とする原告一部勝訴判決を下した。

 裁判所はまず、国が法的根拠もなく、性病に感染したり、感染者と疑われた被害者たちを「落検者収容所」に強制隔離収容して治療したのは、違法だと判示した。裁判所は「収容された慰安婦」たちは完治したと判定されるまで、収容所外に出られず、収容所から脱出を試みて負傷した場合もあったとみられる」と指摘した。また、「(治療の過程で)ペニシリンショックによる副作用に悩まされたり、死亡した被害者もいた」と述べた。

 裁判所はまた、5年の消滅時効が完了したという国の主張も認めなかった。消滅時効は、一定期間権利を行使しなければその行使を制限する制度で、国は米軍「慰安婦」の国家賠償の消滅時効が終了したと主張してきた。しかし、裁判所は「権威主義統治時代と当時米軍慰安婦などに対して閉鎖的だった国民感情、男性中心的で家父長的に形成された社会文化などを考慮すれば、(被害者たちが)権利を放置したとは評価できない」と述べた。また、「国家権力機関の国民に対する不法収容など、過酷行為は決してあってはならない違法行為」だと判断した。隔離収容の対象となる伝染病を明示した施行規則が制定された1977年8月以前に隔離し収容された「慰安婦」被害者57人に対する国家の賠償責任が認められたのだ。

 ただし裁判所は、「国が売買春が容易に行われるよう基地村を作ったのは違法」という被害者たちの主張は受け入れなかった。裁判所は「被害者たちが基地村内での売春を強いられたり、やめられないほどの状態にあったと見ることはできない」として、このように判断した。また、「政府が『浄化運動』などを展開して基地村の売買春を管理したのは違法行為」という主張に対しても、「このような指針は売買春関係者に対する性病検診・治療などの公益的目的を達成するためのものとみられる」との見解を示した。

ヒョン・ソウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

沖縄平和運動センターの山城博治議長が有刺鉄線1本を切った器物損壊などで逮捕、身柄拘束は約3カ月に!。

2017-01-20 | 琉球新報記事紹介

<社説>辺野古海上フェンス 抗議行動への弾圧は明白だ
2017年1月17日 06:02


 名護市辺野古の新基地建設を進める政府が大浦湾に海上フェンスを設置した。臨時制限区域内の進入を阻止するためのようだ。浮具(フロート)に支柱を付けて海上に直立させ、一部でロープを張り始めた。基地建設強行のためには、なりふり構わぬ姿勢を貫くのか。

 臨時制限区域は2014年6月20日に設定された。従来はあらゆる船舶の立ち入りを常時禁止する第1水域はキャンプ・シュワブ沿岸から50メートルの範囲だった。ところが臨時制限区域の設定で、最大2キロまで拡大した。拡大後の水域面積は約561ヘクタールとなり、米軍普天間飛行場より広い。
 沖縄防衛局は海上フェンスを備えた浮具を設置した理由について「臨時制限区域の境界を明示するとともに、作業の安全確保に万全を期すためのフロートであることに変わりはない」と回答している。
 翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消して工事が中断した15年10月以前には、現場海域にフェンスは存在しなかった。浮具と夜間に境界を灯火で示す浮標灯(ブイ)だけだった。
 防衛局が説明する「境界線の明示」だけなら浮具と浮標灯で十分だ。フェンスを設置したのは回答の後段にある「作業の安全確保に万全を期す」のが目的だろう。言葉を変えれば、市民らがロープを切ったり、フェンスを越えて中に入ったりすれば、有無を言わさず器物損壊や刑事特別法違反などで逮捕するという恫喝(どうかつ)ではないか。
 米軍北部訓練場のヘリパッド建設現場では、抗議行動の中心的な存在だった沖縄平和運動センターの山城博治議長が有刺鉄線1本を切った器物損壊などで逮捕、起訴された。身柄拘束は約3カ月に及んでいる。明らかに運動への弾圧であり、人権侵害だ。
 現場海域では新基地建設に反対する市民が抗議船やカヌーを出して抗議行動を展開してきた。政府が今回、海上フェンスを設置したのは、運動への弾圧をさらに強化する準備を進めていると断じるしかない。
 琉球新報と沖縄テレビ放送が昨年5月30日~6月1日に実施した県民世論調査では83・8%が辺野古移設に反対した。選挙で幾度も辺野古反対の候補者が勝利した。なぜ沖縄の声に耳を傾けようとしないのか。政府がなすべきはフェンスの設置ではない。圧倒的な辺野古移設拒否という沖縄の民意を受け止め、工事を中止することだ。

日本へのF35配備は沖縄を中心とする米海兵隊の配備恒久化、侵略的強化の一環です。

2017-01-19 | 戦争反対は、国民みんなの願い
F35ステルス機、岩国配備
海兵隊の最新鋭 米国外で初




(写真)岩国基地に到着した2機のF35B=18日午後5時半ころ、山口県岩国市

 米海兵隊の最新鋭ステルス戦闘機F35BライトニングIIが18日夕、米国外では初の配備先となる米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)に到着しました。同日、2機が飛来しました。

 日本へのF35配備は沖縄を中心とする米海兵隊の配備恒久化、侵略的強化の一環です。F35Bは短距離・垂直離着陸(SVTOL)が可能で、強襲揚陸艦への配備を想定しています。

 岩国に配備されるのは第121海兵戦闘攻撃飛行隊(VMFA121)で、米アリゾナ州のユマ基地からアラスカを経由して飛来しました。

 F35は岩国配備のFA18戦闘攻撃機12機、AV8ハリアー攻撃機8機と交代します。今月中に10機、8月に6機が配備される予定。同基地は約130人増となります。今年後半から始まる米原子力空母艦載機移駐とあわせて、大幅な基地強化となります。

 8月に配備される6機は佐世保基地(長崎県佐世保市)に配置される予定の強襲揚陸艦とともに運用され、沖縄県の嘉手納基地を事実上の拠点にすると見られます。機体整備のため米空軍横田基地(東京都)、航空自衛隊小牧基地(愛知県)などにも飛来が狙われています。

 F35Bをめぐっては16年10月、飛行訓練中に機体から出火する事故があり、米海軍は「クラスA」と呼ばれる重大事故に認定。事故後、山口県と岩国市は受け入れ判断を留保しましたが、日本政府から「機体の構造上の問題はない」とする米側の事故調査結果や再発防止策の説明を受け、配備を容認しました。

早ければ年末までに独島に「平和の少女像」を設置する方針を明らかにした。

2017-01-18 | 大韓民国
岸田外相「竹島は日本の領土」…
少女像をめぐる韓日の軋轢“独島”問題に拡大


登録 : 2017.01.17 23:19 修正 : 2017.01.18 06:26

京畿道議会の「独島に少女像を設置」方針に 
岸田外相「国際法上日本固有の領土」と反発 
韓国政府、駐韓総括公使呼んで強く抗議


11日昼、ソウル鍾路区の旧日本大使館前で開かれた第1265回日本軍慰安婦問題の解決に向けた定期水曜集会で、参加者たちが日本政府の謝罪を求める内容が書かれたプラカードを持っている=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社
 昨年末、釜山(プサン)の日本総領事館前に設置された「平和碑」(少女像)で再燃した“歴史問題”をめぐる韓日間の軋轢が、独島(日本名・竹島)をめぐる“領土問題”に拡大する兆しを見せている。京畿道議会が独島に少女像を設置する方針を明らかにしたことに対し、日本政府が「竹島は日本の領土だ」として強く反発し、これを受けた韓国政府は日本総括公使を外交部に呼び、強く抗議した。

 京畿道議会傘下の「独島愛・国土愛会」所属の議員たちは16日、「京畿道議会と独島に平和の少女像を建設するための募金開始式」を開き、早ければ年末までに独島に「平和の少女像」を設置する方針を明らかにした。同会の会長であるミン・ギョンソン議員は「独島や慰安婦問題は日本の歴史歪曲と関連するもので、独島と京畿道議会に平和の少女像を建立し、生きた教育の場にしたい」と話した。

 韓国の地方自治体が慰安婦懸案を独島にまで拡大する構えを見せていることに対し、日本政府は強く反発している。岸田文雄外相は17日の記者会見で、京畿道議会が竹島に少女像を設置する方針を発表したことについて、「竹島は、そもそも、国際法上も、歴史的にも、日本固有の領土である。(少女像の設置は)受け入れられない。これが、我が国の立場」だと述べた。李明博(イ・ミョンバク)前大統領も野田佳彦当時首相から慰安婦問題に対する十分な譲歩を引き出せず、2012年8月に独島を電撃訪問して、韓日関係に荒波を呼び込んだことがある。

 岸田外相の“独島発言”に対して、今度は韓国政府が直ちに反応した。チョ・ジュンヒョク外交部報道官は17日、定例記者会見で「日本政府が独島について、再び不当な主張を行ったことについて、慨嘆を禁じ得ない。明らかに韓国固有の領土である独島に対する由無い主張を直ちに断念することを日本政府に求める」とする論評を出した。外交部は同日、鈴木英夫・駐韓日本大使館総括公使を外交部に呼んで抗議した。

東京/キル・ユンヒョン特派員、ホンヨンドク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )