【インタビュー】“歴史の文脈から朝鮮を見る”/
フォトジャーナリスト・伊藤孝司さん
39回にわたり、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)を訪問し、取材を重ねてきたフォトジャーナリストの伊藤孝司さんが、22冊目となる著書「朝鮮民主主義人民共和国―米国との対決と核・ミサイル開発の理由」を出版した。出版の経緯、朝鮮半島の平和構築や日朝関係改善にかける思いを聞いた。
– 出版の経緯について
92年から、39回にわたり朝鮮を訪問し、取材を重ねてきた。その過程で、朝鮮が核・ミサイル開発を進めてきた背景には、長きにわたる米朝間の対立の歴史があることを知った。
「祖国解放戦争勝利記念館」の正面(撮影・伊藤孝司)
また昨年、朝鮮半島情勢が激化する中、開催した講演会では、多くの日本市民から、「米朝はなぜ対立しているのか」「朝鮮はなぜ核・ミサイル開発を行うのか」と質問をいただいた。
これまで、日本や南北朝鮮では、朝鮮戦争や米朝関係に関するさまざまな書籍が出版されたが、朝鮮半島をめぐる政治状況がダイナミックに転換する中で、現在の朝鮮を歴史的文脈から総合的に理解できるものは少ない。
本書では、私の取材経験とともに、朝鮮が核・ミサイル開発を選択した背景を米朝対立の歴史から紐解き、日朝関係についても触れた。
– 朝鮮を見るメディアの視線について
これまで私は、日本軍性奴隷制被害者や、広島・長崎での被爆者、日本の植民地支配・侵略の被害者らを取材するために、韓国をはじめアジア太平洋諸国を回ってきた。その中で、「空白」地帯となっていたのが朝鮮だった。
90年代に日本軍性奴隷制被害者たちが名乗りを上げ、戦後補償の運動が大きく盛り上がった際にも、朝鮮の被害者にはほとんど目が向けられることがなかった。ジャーナリストとして、きちんと被害者の声を伝えなくてはならないという思いから、92年にはじめて訪朝した。当時の私の朝鮮認識は、日本のメディアの情報に限られていたが、朝鮮での取材を重ねるごとに、メディアの朝鮮報道が偏見に満ちたものだと感じるようになった。
これまで私は、取材対象とは一定の距離を保ち、客観的に見ることを心掛けてきたし、朝鮮に対しても同じように取材を行ってきた。しかし、多くの日本のメディアが朝鮮報道において客観性を失うなかで、朝鮮の捉え方において、現地で取材を続ける私とメディアの間に大きな「ずれ」が生じてきた。
その「ずれ」は、南北首脳会談や米朝首脳会談など朝鮮半島情勢が好転する中で顕著に表れた。
私は、金正恩委員長の新年の辞以降、昨年の戦争危機が一転し、南北対話の機運が一気に進み、初の米朝首脳会談に至ったことは、朝鮮半島の長い歴史の中で、特筆すべき出来事だと歓迎した。4月27日の南北首脳会談では、両首脳が手をつなぎ軍事境界線を越える姿に思わず涙したほどだ。
しかし、日本のメディアは、朝鮮半島が戦争危機を乗り越え、平和と安定へと進むムードに懐疑的な視線を投げかけ、歓迎しない姿勢を見せた。このおかしな状況の背景には、とくに安倍政権発足以降、異常な朝鮮バッシングが続く中で、完全に民族排外主義へと流れてしまった日本社会がある。その根本には、日本が近代化の過程でアジアの国々を蔑視し、戦後も米国の占領下で戦争責任を清算しないまま、朝鮮戦争で特需を得た歴史がある。戦後の日本の民主主義の中でかろうじて抑えられていたアジアに対する差別思考は、安倍政権下の対朝鮮敵視政策によって噴出したといえる。
– 日朝関係について
近年、私は、日朝関係をどのようなところから動かすことができるだろうかという視点で、朝鮮に残る日本人遺骨や、残留日本人、日本人妻の問題を追っている。
咸興の日本人妻たち(撮影・伊藤孝司)
これらのテーマはかつて、日朝間の長きにわたる交渉の中で、日本側から提起した問題でもある。ストックホルム合意では、朝鮮側が特別調査委員会を設置し、拉致被害者を含む日本人に関する調査を行った。しかし、日本政府は拉致問題における回答が気に入らないと、報告書を受け取らなかった。その報告の中には、日本人妻の里帰り希望者のリストもあった。日本政府が報告を受けとらなかったため、何人もの残留日本人や日本人妻が故郷の地を踏むことのないまま亡くなった。安倍政権が、拉致問題を前に、他の人道問題を切り捨てた結果だ。
私が取材を続けることで、少しでも人道問題の解決を前に進め、日朝政府間協議のステージを作ることに寄与できればという思いだ。
また、今後、日朝政府間で国交正常化交渉が進むとしても、日朝関係において根幹を成すのは、民間の具体的な取り組みだ。かつては、朝鮮への人道支援や農業支援など、様々な民間交流が行われていたが、現在はそのほとんどが途絶えている。市民同士の交流が抜け落ちれば、本当の意味での日朝国交正常化とは言えないだろう。
例えば、6月に神戸朝高の生徒らが「制裁」を理由に関西空港の税関でお土産を押収された際に、日本社会からも抗議の声があがったように、朝鮮に対する日本政府の不当な政策に声を上げ正していくなど、日本の市民社会が日朝関係改善において役割を果たしていく必要がある。
– 朝鮮半島の平和構築について
現在、世界の核保有状況は深刻だ。米国・ロシア・中国などの大国は、「核拡散防止条約(NPT)」で定められた核兵器の削減義務を順守せず、また、米国が容認するイスラエル・インド・パキスタンなど朝鮮よりも先に核を保有した国々の核について、国際社会は事実上保有を容認している。一方で米国は、自国と敵対関係にある朝鮮に対しては核保有を認めず、米国の影響下にある国連安保理もまた、朝鮮に厳しい制裁を科す「二重基準」がまかり通っている状況だ。
私は、98年から朝鮮で暮らす広島・長崎での被爆者たちを取材してきた。95年に結成された「反核平和のための朝鮮被爆者協会」の副会長をつとめる朴文淑さんは当初、「わが国は核兵器を作る意思も能力もない」と語っていた。しかし、06年10月に朝鮮が初の核実験を実施すると、朴さんをはじめとする朝鮮に暮らす被爆者らは「米国の脅威があるためにしかたがない」とし、協会名からは「反核平和のための」という文言が消えた。彼らは被爆者であっても、米国との対決の中で朝鮮が侵略を受けないためには、自衛のための核武装という選択肢しかなかったことを認めていた。
また、6月の米朝首脳会談後に訪問した「祖国解放戦争勝利記念館」では館内のガイドの女性が「朝米関係が改善され、国交正常化がなされるようなことがあったとしても、米国に侵略された歴史的事実を次の世代に伝える記念館の存在意義は変わらない」と強調していた。
米朝対決の歴史は、私が朝鮮を取材し、理解する上で必然的に向き合わなければいけないテーマであった。そして、核・ミサイル開発を進めた原因は米国の対朝鮮敵視政策にあることを知った。
私は、多くの被爆者を取材する中で「核兵器は人類と共存できない」と強く思っている。「朝鮮半島の非核化を実現すること」を一貫した立場としている朝鮮は、長い時間がかかるかもしれないが、いずれ核兵器を放棄するだろう。そのためには、米国の敵視政策の撤回と世界の核兵器をめぐる状況の大きな変化が不可欠だ。
本書が、日本で正しく理解されていない朝鮮の歴史と政治について、理解を深めるきっかけとなり、米朝・日朝関係の根本的な解決に寄与することを願っている。
(まとめ・金宥羅)