吉田首相「韓半島海域の機雷除去は戦闘行為…秘密に」(1)
2015年09月28日/中央日報日本語版
日本が韓国戦争(朝鮮戦争)当時、韓半島(朝鮮半島)で米軍が主導した国連軍を支援し、実質的な軍事作戦に該当する活動を広範囲に展開していたことが、国内外の各種資料で確認された。
1945年8月の太平洋戦争敗北後、日本軍は韓半島から撤退した。しかしわずか5年後の50年に旧日本軍人をはじめとする多数の日本人が韓半島に再び入って軍事作戦に参加したのだ。
中央SUNDAYは大久保武雄元海上保安庁長官の回顧録『海鳴りの日々 ― かくされた戦後史の断層』(1978年)、日本政府の『海上保安庁50年史』(1998年)、日本防衛研究所・谷村文雄研究員の日本特別掃海隊活動関連の学術論文、日本の学者・大沼久夫氏が日本外務省外交資料館で発掘した国連軍総司令部(GHQ)文書、南基正(ナム・ギジョン)ソウル大日本研究所教授の東京大博士学位論文(『朝鮮戦争と日本』)、ヤン・ヨンジョ国防部軍事編纂研究所軍事部長が発掘した米国立文書記録管理局(NARA)の大戦戦闘関連記録、朝日新聞の企画報道、MBC(文化放送)プログラム「今は話せる-6・25日本参戦の秘密」(パク・ゴンシク演出)などの資料を総合分析し、日本の韓国戦争関連行跡を再構成した。
最近日本でも1950年の警察予備隊の組織と訓練の経験を扱った『反乱兵の伝言』という元隊員の自伝的小説が登場し、韓国戦争との関連性が新たに話題になっている。これらの内容を総合すると、第2次世界大戦後に日本の本土を占領した米軍によって解散した旧日本軍人と現職公務員、そして多数の民間人がさまざまな方向から韓国戦争中に韓半島で展開された軍事作戦に投入されていた。かつて米国議会で議論された公式戦闘兵の派兵はなかったとはいえ、日本人は小銃を持って戦闘もした。南基正教授は「韓国戦争は北と中国・ソ連に対抗し、韓国と米国・日本が一緒に戦った戦争だった」と規定した。
◆日本、敗戦から5年後に再武装へ最初の一歩
1950年6月25日午前4時、金日成(キム・イルソン)が対南侵略挑発をすると、李承晩(イ・スンマン)大統領は米国政府と日本にあった米極東軍司令部に緊急支援を要請した。27日、日本に駐留していた米極東海軍・空軍が韓半島に出動し、30日には4個師団規模の在日米地上軍が入った。
戦争勃発初期、日本は韓国から撤収した米国人など2001人の緊急避難所の役割をしたが、その他の積極的な役割はできなかった。45年8月15日の日本の降伏後も名目上天皇制が維持されたが、GHQ司令官のダグラス・マッカーサー元帥が日本の実質的な統治者だった。特にGHQを主導した米極東軍司令部は46年11月、大日本帝国憲法を修正し、「戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認」を盛り込んだ新しい日本国憲法を作った。
こうした状況で戦争が発生すると、マッカーサー司令官は韓半島に出動した在日米軍の空白を埋めるという名分で7月8日に日本警察予備隊を創設した。警察予備隊は1952年に保安隊を経て54年に事実上の軍隊の自衛隊となった。第2次世界大戦の敗戦からわずか5年で日本再武装への最初のボタンを米国が掛けたのだ。
6月27日に国連安保理で国連加盟国の韓国支援決議案が通過し、7月8日に国連軍が創設されると、日本は相当な圧力を受けた。しかし平和憲法の制約のために悩んだ当時の吉田茂首相は、北朝鮮軍の攻勢で国連軍が釜山(プサン)一帯まで攻め込まれると、8月29日にはマッカサー元帥に「必要ないかなる施設と努力も提供する用意がある」と伝えた。これを受け、九州飛行場と佐世保海軍基地が米軍の後方基地の役割をした。
9月15日の仁川(インチョン)上陸作戦成功を契機に、日本人は韓半島にさらに直接的に足を踏み入れることになった。日本海軍と陸軍将校出身の3人は仁川上陸作戦が始まる前に現地を偵察し、仁川港の水位が最も高く上陸作戦をしやすい時点を9月15日と知らせた。 (中央SUNDAY第446号)
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◆米軍兵站業務も日本人が引き受ける
上陸作戦に先立ち、旧日本軍情報将校200-300人は韓半島植民支配当時の経験に基づき作成した地図など詳細な韓半島地理情報を米軍に提供した。
日本人は米軍揚陸艦(LST)に搭乗し、兵站業務も引き受けた。さらに日本のある中小企業は上陸作戦当時に使用するはしごを米軍の注文で製作して供給したという証言もある。
9・28ソウル収復直後にマッカーサー司令官は主力部隊を陸路で北上させ、第10軍団に元山(ウォンサン)上陸作戦を指示した。北上した地上軍の円滑な普及のために海を利用するという「壬辰倭乱戦法」だった。10月20日を元山上陸作戦Dデーと決めていた米軍が伏兵にあった。9月4日に鎮南浦(ジンナムポ)で北朝鮮軍が敷設した機雷が発見されたのだ。元山沖にはソ連製機雷3000発が敷設されたことが分かった。
米極東海軍は10月2日、大久保海上保安庁長官に日本掃海艇の作戦支援を要請した。米軍の要請を受けた大久保長官は直ちに吉田首相に報告した。日本防衛研究所の谷村文雄研究員の論文によると、当時の吉田首相は韓半島海域で進める掃海作業を戦闘行為と判断した。このため海上保安庁法(第25条)で非軍事的部隊と明示された海上保安庁掃海部隊を派遣することは、吉田首相にとって相当な政治的負担要因だった。掃海作戦に日本人が投入された事実が外部に公開される場合の波紋を意識した吉田首相は「機雷を除去しなければならないのなら協力するが、秘密にするべき」と指示した。
◆「韓国戦争派兵」規模、日本は4番目
10月8日に旧日本海軍出身者が主軸となった日本特別掃海隊員は下関港を出発し、小銃が支給された。元山沖で米軍とともに機雷除去作業をしていた17日午後、日本掃海艇MS14号が機雷と接触した。この事故で中谷坂太郎(当時21歳)が行方不明となり、22人が負傷した。日本政府は戦死を通知をしながら家族に箝口令を出した。元山だけでなく鎮南浦・海州(ヘジュ)・群山(クンサン)沖で約1200人の日本掃海隊員と掃海艇54隻が投入された。
南基正教授は「日本は韓国戦争当時に公式参戦した国連16加盟国に続いて事実上17番目の参戦国だった」とし「掃海部隊の隊員数だけでも日本は参戦規模で米国・英国・フランスに次いで世界4番目」と説明した。
日本の介入は海だけではなかった。シラズカという日本人が51年11月にソウル近隣の戦闘で戦死したという記録もある。南下した北朝鮮軍阻止任務を引き受けた米第24師団は50年7月20日、大田(テジョン)で北朝鮮軍第4師団精鋭部隊の奇襲攻撃を受けた。ウィリアム・ディーン師団長が捕虜になった当時、大田戦闘中に多数の日本人が小銃を持って戦って死亡した(米国立文書記録管理庁資料)。彼らは日本現地で米軍とともに生活し、韓国政府の承認もなく入ってきた日本人労務者だった。
日本人の血液も韓半島に送られた。人体実験で悪名高い日本関東軍731部隊出身の軍人は日本ブラッドバンクを設立した。彼らは戦争中に安価で日本人の血液を買い取り、韓国の戦線に高い価格で売って利益を手にした。福岡にあった国連軍後方病院には日本人看護師が派遣され、米軍を治療した。 (中央SUNDAY第446号)
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◆マッカーサー、日本の参戦を否定…吉田首相「記憶にない」
日本人の事実上の参戦は韓国戦争当時も論議を呼んだ。北朝鮮の朴憲永(パク・ホンヨン)外相は50年10月15日、ソ連軍に捕まった日本人捕虜を根拠に「朝鮮戦争に日本軍部隊が参戦したのは国際連合法と日本憲法を違反するものだ」と非難した。
これに関し、李承晩大統領は「もし日本軍が米軍を支援するという理由で韓国の戦線に参戦すれば、我々は共産党でなく日本軍と先に戦う」と宣言した。韓国戦争当時に従軍記者(ロイター通信)として活動したチ・カプジョン国連韓国参戦軍協会長(88)は「李承晩大統領は元山上陸作戦後、中国共産軍の介入(10月25日)前の時点にこういう発言をした」と回顧した。
これに関しマッカサー元帥は参戦説を強く否定した。米陸軍が発刊した戦争史記録によると、マッカーサーは「戦闘目的でなく人道的目的で日本掃海艇を使った」と米国防総省に報告した。
51年当時に30代の議員だった中曽根康弘氏は対政府質問で「韓国派兵は日本の(平和憲法)基調を揺るがすものではないのか」と吉田首相に追及した。吉田首相は「記憶にない」として回答を避けた。
しかし日本の参戦という歴史的真実は隠すことができなかった。ロバート・マーフィー元駐日米国大使(52-53年在任)は後日、「(35年間の植民統治経験で)韓国をよく知る数千人の日本人専門家が韓国に行き(韓国戦争を)支援していなければ、連合軍は難しい状況になっていたはず」と述べた。日本の韓国戦争介入を証言したのだ。
南基正教授は「日本の掃海部隊員は民間人でなく公務員の身分で参戦した」とし「日本政府の国家意志があったと見なければならない」と分析した。
◆集団的自衛権は韓国に諸刃の剣
日本は韓国戦争を契機に莫大な戦利品を得た。戦争特需だけで62億ドル規模にのぼった。何より日本は韓国戦争中の51年に開かれたサンフランシスコ講和条約で独立国となり、この過程で植民地賠償責任と独島(ドクト、日本名・竹島)問題で有利な立場に立った。52年3月にGHQは日本政府の武器生産も許可した。
韓国戦争当時に日本人が韓国政府や李承晩大統領の同意なく一方的に韓半島に入ったという歴史的な記録は、韓半島に多くの点を示唆している。
イ・ワンボム韓国学中央研究院教授は「日本は敗戦直後にも韓半島を植民地として維持するために米国・ソ連と交渉した」とし「植民地への郷愁がある日本の右翼は、韓半島に急変事態が発生すれば黙っていないだろう」と懸念を表した。
ヤン・ヨンジョ国防部軍事編纂研究所軍事部長は「集団的自衛権関連の安保法案通過で日本がまた韓半島に入ってくる可能性が韓国戦争当時よりはるかに高まった」と分析した。さらに海上自衛隊は世界2、3位、航空自衛隊は世界4位と評価されるほど強大な軍事力を保有している(パク・ヨンジュン国防大教授)。
鄭玉任(チョン・オクイム)高麗大招待教授(元米ブルッキングス研究所研究員)は「集団的自衛権は韓国の安保に諸刃の剣のようなものだ」とし「韓米同盟を保険とし、米国の枠の中で日本を眺めながら、北の挑発に確実な対応策を持っていなければいけない」と述べた。 (中央SUNDAY第446号)