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朴貞任さん(京都)は、趙団長と同じ86年に京都朝鮮歌舞団に入団し、以前そこで副団長を務めた。

2016-05-03 | 朝鮮新報より転載

大阪朝鮮歌舞団創立50周年記念パーティー/同胞とともに一筋の道を

涙・笑い・感動の3時間

万雷の拍手と笑顔、人々の熱気に包まれる中、4月29日、ホテルニューオータニ大阪で開かれた、大阪朝鮮歌舞団創立50周年記念パーティー「オルシグ」(主催=同実行委員会)が幕を閉じた。

この日、記念パーティーに足を運んだのは、総聯中央の益柱副議長、金誠勲宣伝文化局長、文芸同中央の金正守委員長、近畿各府県はじめ東京、福岡など日本各地の同胞、地方朝鮮歌舞団、日本市民ら711人。

会場は終始同胞たちの熱気に包まれた

会場は終始同胞たちの熱気に包まれた

実行委員会の任玉鐘副委員長は、販売開始からわずか数時間でチケットが完売し、キャンセル待ちが出るほどの人気ぶりで「当初550席だった客席を700席に増やした」と顔をほころばせた。

会場ロビーには、現役団員たちの全身写真パネルが展示され、朝鮮学校の生徒たちが記念撮影を楽しんでいた。

オープニングを飾ったのは、日本各地と朝鮮含む50人から寄せられた映像によるお祝いメッセージ。続いて民族情緒あふれる「大阪歌舞団オルシグ」の 軽やかな曲調に乗って現役団員たちが登場した。舞踊手たちが扇を振り、ケンガリ、パラ、太鼓を打ち鳴らして場内を練り歩く中、趙正心団長(功勲俳優)が自 分の背丈ほどもある「50」の数字を背負って登場すると、客席からは「団長! チョッター(いいぞ)!」と威勢の良い掛け声があちこちから湧きあがり、大 きな拍手が巻き起こった。

ステージに上がった趙団長は、長きにわたる50年もの歳月、大阪朝鮮歌舞団を惜しみなく愛し、今日まで朝鮮歌舞団員としての幸せと喜びを与えてくれた大阪・奈良・和歌山はじめ全国各地の同胞たちに深い感謝を述べた。

大阪朝鮮歌舞団は、1965年9月4日、12人の団員たちで立ち上げられたその時から、祖国を仰ぎ、同胞たちと固く手を取り合い、愛国愛族の一筋の道を歩み続けてきた。

その歴史を振り返る映像とともに響き渡る、祖国の歌、闘いの歌、そして同胞たちの歌――。

総聯の活動を高らかに歌う「われらの願い限りない」について趙団長が一言「われらの誇り、ちょっとやそっとやおまへんでぇ~!」とつけ加えると、再び客席からはどっと笑いが起こった。

大阪朝鮮歌舞団50年の歩みの半分以上を占める30年間、趙団長が現役の団員として常に同胞たちに寄り添い、笑いと、喜びと、闘うための闘志を、ある時は軽快に、またある時は力強い語りと歌声で、届け続けてきたことを知る同胞は多い。

花束を受け取る趙正心団長

花束を受け取る趙正心団長

朴貞任さん(49、京都)は、趙団長と同じ86年に京都朝鮮歌舞団に入団し、以前そこで副団長を務めた。「今日は大阪歌舞団の50周年を祝い、団長 の活動30年を祝うために大阪、京都歌舞団の同期生たちが駆けつけた。始まったとたん涙があふれた。団長が現役で活動し続けてきたことを思うと胸がいっぱ い。同胞たちに愛され、活動し続けていることに感動している」と目を潤ませた。

ステージの上では、現役団員たちによる芸術宣伝も行われた。その中で趙団長を外した7人すべてが、30年前にはこの世に生まれていなかったという事実が語られると、客席からは驚きの声が上がっていた。

草創期の歌舞団を知る姜兌桓さん(81)は、華やかな衣装に身を包んだ若い団員たちの姿を眺め、日頃から大阪歌舞団は自分の娘や息子、家族のように思ってきたと言い「若い子たちがしっかり、そして誇らしく話す姿を見ると、それだけで涙が出てくる」と話した。

会食に続きステージでは、現役団員と前団員たちによる歌と舞踊、ダンスが披露され、趙団長の入団秘話も語られた。まさに笑いと涙と感動の3時間。

終盤には任玉鐘実行委副委員長もステージに駆け上がり、「大阪朝鮮歌舞団の後援会を作ろう!」と参加者たちに力強く呼びかけた。任副委員長はこれから「大阪朝鮮歌舞団後援会を立ち上げていく」という。

創立50年を向かえ、今後の活動に向けた新たな一歩が踏み出された。

(文・金潤順、写真・盧琴順)



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