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どれだけ強い軍隊であっても人と装備が不足し、疲労度が高まったり、将兵の熟練度が低下したりすれば問題が生じるということだ。

2017-12-10 | 韓国の政局

【コラム】韓国軍の兵力削減、現場は大丈夫か

 
【コラム】韓国軍の兵力削減、現場は大丈夫か

 

 今年6月と8月、韓半島(朝鮮半島)海域を担当する米第7艦隊で常識的には理解できないとんでもない事故が相次いだ。最先端の艦船の代名詞であるイージス艦2隻が民間の船舶と衝突し、乗組員17人が死亡した。艦船の修理費用は数千億ウォンに達するとみられる。

 イージス艦のレーダーは1000キロメートル離れた目標物もとらえるというが、どうしてこんな事故が起きたのか。米軍の調査結果は専門家の予想通りだった。激務による乗組員の疲労などが影響したことが判明したのだ。米海軍が先月発表した艦隊総合検討報告書によると、米第7艦隊は過去数年、通常の作戦以外にも北朝鮮や中国の軍事的脅威に対応するため、戦力を分散配置し、許容量以上の任務を遂行してきた。乗組員の基本的な技量、チームワーク、作戦の安全などにも問題点が発見された。

 米第7艦隊のイージス艦事故は、先端兵器の比重が高まる現代戦でも結局は人が最も重要だという平凡な真理を再確認したものだ。どれだけ強い軍隊であっても人と装備が不足し、疲労度が高まったり、将兵の熟練度が低下したりすれば問題が生じるということだ。

 韓国軍でも「人」の問題でこれまでにない嵐が吹き荒れようとしている。来年から2022年まで5年間、毎年2万人以上、合計で13万人の兵力が削減されるからだ。韓国軍の総兵力は現在の63万人から50万人に減少する。当初52万2000人に削減する計画だったが、文在寅(ムン・ジェイン)政権発足後、削減規模が上積みされた。兵力削減は大半が陸軍だ。毎年2個師団以上に相当する約2万5000人が減る計算だ。大規模な兵力削減で組織調整の対象となる大隊は2000個を超える。大規模削減の理由は、兵力資源の減少と国防改革だ。少子化で2020年代には入隊者が大幅に減るため、陸軍などは骨身を削り、先進国型の先端軍隊に生まれ変わることを目指している。

ユ・ヨンウォン論説委員・軍事専門記者

仁義に基づく王道政治の実現を夢見て、正祖が私財を投じて建設した巨大な都市、水原。

2017-12-10 | 新しい韓国文化

王の夢が息づく水原華城 ユネスコ世界遺産の観光名所=韓国

2017/12/05 17:00

【水原聯合ニュース】ソウル近郊の京畿道水原市は、朝鮮王朝第22代王・正祖の夢が息づく都市だ。

 父の思悼世子を失った正祖は、父を悼んで墓から近い水原に巨大な城を築いた。

ライトアップされた水原華城の城郭=(聯合ニュース)
ライトアップされた水原華城の城郭=(聯合ニュース)

 首都・漢城の南側の基地としての役割だけでなく、政治闘争が激しかった当時の状況を革新するための目的もあったとされている。

 仁義に基づく王道政治の実現を夢見て、正祖が私財を投じて建設した巨大な都市、水原。

 200年が過ぎた現在、正祖の夢が込められたこの城郭都市は国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れる場所になった。

◇「城郭都市」水原

 四方を城郭に囲まれた歴史都市の水原は、景福宮や光化門などさまざまな古宮があっても巨大な城郭は見えないソウルとは違い、城郭が市民の住む家を取り囲んでいる。

 その姿は、まるでタイムマシーンに乗って昔に戻ったような感覚を与えてくれる。

 建築物の中で最も代表的なものは「訪花隨柳亭」だ。「訪花隨柳」とは花を訪れ、柳に沿って泳ぐという意味だ。

 夜に訪れると、華虹門の下に流れる水原川に映し出される「光のイルカ」を見ることができる。

 訪花隨柳亭の目の前には美しく造成された人工池があり、月が出る夜に水辺を歩けば風情が感じられる。

華城の代表的建築物、華虹門=(聯合ニュース) 
華城の代表的建築物、華虹門=(聯合ニュース) 

◇華城に隠された新技術

 周囲が5.4キロに達する水原華城の主な建築物は、約40を数える。

 華城は1794年1月に着工し1796年9月に完工したが、2年余りの短い期間に巨大な城郭を建築できたのは優秀な築造技術のおかげだった。これを指揮したのが実学者の丁若鏞(チョン・ヤギョン)だ。

 丁若鏞は城壁を建てた経験はなかったが、滑車の原理を利用して重いものを簡単に持ち上げることができる「挙重機」という独特な装備を設計した。

 華城の築城当時の制度・儀式など全てを記録した書「華城城役儀軌」によると、丁若鏞は正祖が中国から持ち帰った「機器図説」という本を参考にして挙重機を作ったという。

水原華城の見どころの一つ、烽火台=(聯合ニュース)
水原華城の見どころの一つ、烽火台=(聯合ニュース)

◇父の墓参りへ

 正祖は25年間の在位中、水原華城を13回訪問した。

 1795年には夫の思悼世子の墓参りをしたことのなかった母、恵慶宮洪氏を連れて8日間行幸を行った。この行幸は、約6000人が参加するとてつもない規模だった。

 正祖の行幸はソウルの昌徳宮を出発し、水原華城を経て思悼世子が眠る水原隆陵に到着した。

正祖の行幸を再現した行列=(聯合ニュース) 
正祖の行幸を再現した行列=(聯合ニュース) 

◇華城の楽しみ方

 最もお勧めなのは歩いて回る方法だ。足は少し痛くなるが、巨大な城壁に沿って歩きたい。歩くことでどれほどの大きさか、華城がどのように人々の暮らしに溶け込んでいるかを知ることができる。

人々の暮らしに溶け込む水原華城の城壁=(聯合ニュース) 
人々の暮らしに溶け込む水原華城の城壁=(聯合ニュース) 

 足が痛くなったら、クラシックな外観の観光車両「華城御車」に乗ろう。

 冬に備えて窓に厚いビニールが張られており、寒さもある程度防いでくれる。

 華城の見どころや伝統市場などを回ることができる。

華城御車=(聯合ニュース)
華城御車=(聯合ニュース)

◇水原行宮

 王が宮廷を出て行幸する際、臨時に滞在する場所を行宮という。

 行宮の中で最も規模が大きく、美しい場所とされる華城行宮は、華城の築城に合わせて八達山の東の裾野に建立された。

雪景色の行宮=(聯合ニュース)
雪景色の行宮=(聯合ニュース)

 惜しくも日本による植民地時代に華城行宮は撤去されたが、損なわれずに現在まで残っている建築物の中の一つが洛南軒だ。正祖はここで恵慶宮洪氏の還暦を記念して宴を開いた。

 見逃せないのが正祖大王の御真(肖像画)をまつった華寧殿だ。閉門時間は午後6時なので、その前に見ておくことを勧めたい。

華寧殿にまつられた正祖大王の御真=(聯合ニュース)
華寧殿にまつられた正祖大王の御真=(聯合ニュース)

 もう一つ注目すべき点は、行宮の内部に木がほとんどないということだ。これは刺客による暗殺を避けるためだとの説が伝えられている。

◇華城付近のグルメ

 華城の近くには有名なトンダク(フライドチキン)通りがある。

フライドチキン通り=(聯合ニュース)
フライドチキン通り=(聯合ニュース)

 大きな釜に油を注いで揚げるのが水原トンダク通りの伝統的な料理法だ。この通りは1980年代初めにできたというが、今も多くの店が当時から営業を続けている。

 水原のグルメといえば最も有名なのはカルビだが、懐が寂しいなら城郭の南側、東南角楼の前にある池洞市場に立ち寄ってみよう。東南角楼は華城の四つの角楼の中で最も見晴らしが良い場所だ。

水原のグルメスポット、池洞市場=(聯合ニュース)
水原のグルメスポット、池洞市場=(聯合ニュース)

 ここのお勧めはスンデ(腸詰め)炒め。注文は2人前以上から可能で、鉄板にエゴマの粉をたっぷりと乗せて甘辛く炒めたスンデは、マッコリとの相性も抜群だ。締めのチャーハンも楽しめる。

スンデ炒め=(聯合ニュース)
スンデ炒め=(聯合ニュース)

ynhrm@yna.co.kr