科学博物館で、国立民俗学博物館とのコラボによる「ビーズ展」を朝一で見てきた。
昼に帰宅後、軽く体操をして、坐禅を行った。
昨日、授業で2回目の呼吸について実践と話をしたこともあって、本日は自然呼吸で坐ることにした。
といいうのも、呼息・止息、吸息・保息、横隔膜や腹筋を意識して行う呼吸をするには、少々集中力が持続しそうにない、と何と無く感じていた。
そこで「自然呼吸」を試みるというか、自然に任せてみようと思った次第。
呼吸について、備忘録として、ここに書いてみようと思う。
◆ 生きるとは「呼吸すること」
細胞レベルにおける「呼吸」とは何か?
それは細胞内のミトコンドリアが酸素をつかってエネルギーを造りだす、ということ。エネルギーをつくり出せなければ、細胞は生きていけない。酸素を取り込む呼吸は、細胞と直接つながる行為で、呼吸することによって大気がからだの中に取り込まれる。
肺は筋肉ではないので、実際には肺の周りの筋肉が働くことになる。
筋肉は伸びたら縮む、縮んだら伸びるしかない。つまり、筋肉が伸び縮みを繰り返すことで、リズムがうまれる。この働きによって、私たちは自然に息を吸ったり吐いたりして、自然呼吸をしている。
繰り返すが、この筋肉の伸縮のリズムによって呼吸が繰り返えされる。
そしてその呼吸は心臓の拍動(心拍)と深い関係にあることを、脈をとることを通して体験できる。
まず、細胞レベルの呼吸、ミトコンドリアに想いを馳せて、呼吸の奥深さを味わいながら「腹式呼吸(横隔膜式呼吸)」と「胸式呼吸(胸郭式呼吸)」そして「自然呼吸」に任せた坐禅も行ってみると、それはそれで気持ちがいいもの。
こうした実践が可能だ、ということは、人は意識によって呼吸をコントロールできる生きものだということの証になる。
というわけで、本日は、「自然呼吸」に任せて坐ってみた。
呼吸のあり方を探るだけでも興味は尽きない、わが坐禅もどきではある。
三十三日目も無事100回を数えて終了。