羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 二十四日目・二十五日目・・・・呼吸

2019年06月04日 09時14分15秒 | Weblog

昨日は、夜になって体操と坐禅の時間がようやくとれた。

一日の出来事を反芻するような時間になってしまった。

よろしくない。

 

さて、本日は、途中から「呼吸」に集中することができた。

と言ってもまだまだ序の口だ。

どのような呼吸か、明日のために書き出しておきたい。

 

まず、息を吸うときは、肋骨の下六対あたりから膨らませるように、腹式呼吸を始める。

息を吸った最後に腹が膨らむ。

そこで吸うことも吐くこともしない「保息」を行う。

その後に息を吐き始める。

この時は、吸気の時に働いた筋肉・腹式呼吸の場合は「横隔膜」を緩めずに保持しながら、息を吐き始め、しばらくその状態で吐き続ける。最後の段階にきたら、腹筋を絞る感覚で息を吐ききる。

そこで吐くことも吸うこともしない「止息」の間をとる。

しばしの間ののちに、静かに息を吸い込む。

 

試しに胸郭式呼吸・胸式呼吸も行ってみた。

この場合は横隔膜ではなく、肋骨を斜め上方に引き上げ、肺を横に広げるために働く筋肉をつかう。そしてその筋肉を緩めずに息を吐き、腹に落としてから腹筋を緊張させて息を吐ききる、といった方法も入れてみた。

しかし、ほとんど全ては横隔膜呼吸を行っていたのだが。

 

今日のところは、ずべての回でうまくいったわけではない。

それでも100回を数え終わって、その後、回数を数えずに続けていると、次第に意識が今までになく覚醒してくる感じがしてきた。

なんと表現したらよいのだろうか。

野口体操で習った呼吸の知識を使ってみたのだが、これは技術だけの問題ではなさそうだ、と気付かされた。

自分の中のやる気、というか気力というか、先鋭すぎない意識を途絶えさないで、ある一定のリズムの中で持続する呼吸感覚をつかむことのようだ。

熟練が必要だ、ということだけはわかった。

しばらく、続けてみよう。

コメント