羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 三十日目

2019年06月10日 18時16分38秒 | Weblog

午前中に眼科の定期検診を受けた。

眼底検査等のために、瞳孔を開く目薬を点した。

午後になってからも長い時間、白が眩しく、いやー参っった。

(今でも、まだ正常とは言えない感じがする。)

そのような目の状態で、体操し坐禅を行った。

何も考えず、呼気を数えた。

雨の音を聞きながら、皮膚に包まれた液体・水をイメージした。

目を開いていてもぼーっとしている。

それでも姿勢はあまり崩れなかった。

100回を数え終わって、結跏趺坐のままさらに内側の水をゆらりゆらりとやさしく揺する。

足が組まれているせいか、皮膚に包まれている液体が、気持ちよく揺れ・循環するのを感じた。

そこで足を崩して、あぐらに近い状態で同じことをしてみた。

驚き!

揺れかたが全く違う。

というか、揺れてくれないどころが、皮膚に包まれた液体・水の感覚はほとんど生じない。

結跏趺坐の安定感がないことで、上体が保たれない。

確かに結跏趺坐はある限定された立ち姿の中で、液体・水の流れが感じられた。

むしろ自由であることよりも、ある種の限界がある方が、からだの内側の自由度が増すことによって液体が自由に形を変えることができる。

いやー、驚きの体験であった。

三十日目の得難い経験である。

コメント
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