羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

坐禅 ふたたび 二十九日目

2019年06月09日 09時11分04秒 | Weblog

木々も屋根も道路も・・・・すべてが雨にぬれてしっとりとした朝。

軽い疲労感を覚えながらも、いつものように体操し、足を組んで坐り始めた。

静かだ。

少し寒い。

でも、静けさの中に、身をおくことは、結構な気分だ。

ところが50回を数える頃になると睡魔が押し寄せてくる。

「どうしよう」

そこで意識を覚醒させるために、思い切った方法に出た。

胸式呼吸である。

胸郭を横に広げ、肋骨を斜め上にあげる。

これだけではちょっと足らない。

もう少し意識をはっきりさせるために、肩で呼吸をする方法をとった。

するとどうだろう。

一気に睡魔がどこかへ消えて行った。

鼻から吸い込まれる湿気を含んだ空気の冷たさが、脳髄の奥に届く快感を味わう。

邪道か?

まッ、よかろう。

眠気の赤鬼が退散して、意識の青鬼が「腹式呼吸をせよ!」

はい、わかりました。

本日も、100回の呼気を無事に数え終えた。

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坐禅 ふたたび 二十八日目

2019年06月08日 13時12分21秒 | Weblog

今朝は、途中で呼吸を数えられなくなった。

呼吸していることだけは意識にあった。

数える意識が飛んでしまったのか。

ふと浮かんだことを、いつの間にかずっと追い続けてしまった。

今、言葉にしてみると・・・・・野口三千三先生が、体操の教師をやめることをすすめられるほどの腰痛症や胆石・胆嚢炎の痛みに対峙しているうちに生まれてきたのが、人間の体は水。水のイメージを持つことだったのではないだろうか。

そのことの大切さが、はじめて自分のこととして捉えられそうだ。

しばらくの間、それをもとめてみた。

 

皮膚に包まれた液体・水を想像しながら坐っていると、余分な力が抜けていくのをわずかながら感じられるような気がしてきた。

ついでに背骨に重さを任せてみる。すると手足の筋肉の力が抜ける。

内臓の重さも感じてみようと試みる。

 

液体的なイメージ、液体の重さが、どっしりここにある。

皮膚の内側に、間違いなくある。

 

そう思えた途端に、野口先生の疲労は極限に達していて、ストレスは野口三千三を丸ごと捕獲してがんじがらめにしていた。

原初生命体のイメージは、疲労やストレスに勝つことも負けることもできない、それでも生き続けるために、(言葉は悪いが)苦肉の策から生まれたイメージに違いない。

追い詰められて悲鳴を上げているからだが到達したイメージだったのではないだろうか。

しかし、現実には、痛みは繰り返される。それも長期に渡って繰り返される。

皮膚に包まれた液体・水のイメージは、痛みやストレスで分裂していくからだをまとめていく「総合感覚」を取り戻す、キーワードかもしれない。

 

ある空手の名人が語った。

「野口先生の水のイメージは、空手にとってすごく大事なイメージなんです」

なるほどねー。

 

ここまできて、坐るのをやめた。

とうとう数はわからなかった。

世迷言を書いているようだが、自分の中では大事なことが得られたような気がしている。

二十八日目の朝のことであった。

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坐禅 ふたたび 二十七日目

2019年06月07日 08時55分28秒 | Weblog

今、坐禅を終えた。

本日は、二階の座敷に戻して、坐っていた。

というのも、堅い床の上で行っていると、からだが硬くなることを実感したから、戻してみただけのこと。

つまり、背骨が崩れないとか、呼吸に集中するとか、形や方法を追うだけだと、必要以上の緊張が強いられた結果、からだ全体が硬くなる、と感じた。

それはあくまでも私の個人的な感じ!でしかないのだが。

そこで「いい加減はいい加減」という言葉を思い出して、体操用のマット代わりの上で、気持ちの揺れに任せながら坐ってみた。

わるくないねー、この感じも・・・・・。

しばらく失われていた骨盤の上にすっと乗った脊柱の “ 新鮮な立ち感 ” が得られた27日目の朝。

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日経新聞「私の履歴書」を読みながら、お思い出した記者さんのこと

2019年06月06日 13時07分36秒 | Weblog

電話が鳴った。

「今、慶応病院から電話しています」

「えッ、どうなさったのですが、こんな時間に・・・・」

「胃がんなんです。明日、手術です」

「それは、なんと申し上げていいのやら」

「あのー、必ず生きて、また、お宅を尋ねます。待っていてください」

急な知らせであった。

 

それからかなりの時間がすぎていった。

待てど暮らせど、来訪の兆しは見えない。

意を決して、ご自宅に電話を入れた。

「はい、家内でございます。主人は、亡くなりました。スキル胃がんでした」

一瞬、目の前が真っ白になって、どんなお悔やみの言葉を発したのか、まったく覚えていない。

ただ、まだ幼いお嬢さんを残して、無念の死であった、と伺った。

享年、48歳。

 

彼が私のもとを訪ねてきたのは、日経新聞朝刊「私の履歴書」に、野口三千三を登場させる可能性を探るためであった。

話すうちに、彼の気持ちが固まった。

社内の企画会議で提案をスムーズに通すために、手助けをして欲しい。

依頼を受けて、お偉い方々を説得するための方策を練る、その手伝いを始めていた。

情報交換し、資料を準備し始めた矢先のことだった。

野口先生には内緒で動き始めていたのだ。

彼は、「日本人の脳」右脳左脳の研究者・角田氏を世に出した新聞記者だという。

まだ、知られていない人を、どのように世の中に出してくのか、切々と語ってくれたことを思い出した。

 

今朝、私は「私の履歴書」群馬県出身の石原信雄を読んでいた時のこと。

第6話 占領下の地方制度改革の話で、教育行政についての記述が非常に参考になる、と思って切り抜きをしていると、その記者さんの顔がふと浮かんできたのだった。

あれから25、26年は過ぎているだろうか。

・・・・・幼くして父親をなくされたお嬢さんも、結婚されているだろう・・・・・

なんとも言葉にならない思いが胸に迫った。

 

つくづく、野口先生を通して、私は、いろいろな方に巡り会ってきたのだ、と。

繋がらなかった縁も、それはそれで貴重だ。

こうして、かけがいのない出会いがあり別れがあって、今の自分がしていることがある。

野口先生の足跡を追っているこの2年間を思いかえすと、その記者さんが話してくれたことが、通奏低音として鳴っているのだと気づいた。

「三千三伝」 最終章までの道のりは、まだまだ遠い。

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坐禅 ふたたび 二十六日目・・・野口三千三曰く「豊かさとは・・・・」

2019年06月06日 09時22分28秒 | Weblog

昨日は、授業のため早朝からお弁当作り。2限と3限を終えて夕方帰宅。

夜になって坐禅を、と思ったが疲れていて形だけ行ってもいけないと、断念。

今朝は、昨日の授業のテーマ「呼吸」を反芻。

特に集中したこと。

例えば、歌う場合の発声の初期では、吸気(息を吸う)の時に使われる筋肉を、しばらくの間保ちながら発声する。横隔膜式(腹式)呼吸では、横隔膜を下げた状態、下世話に言えば腹が出ている状態を保つことになる。その時、意識としては、腹をさらに膨らませて保息状態で歌い始める。腹筋を使って吐ききるのは、相当に後になってから、ということになる。

昨日の授業でそのことを「呼吸」取り上げたたこともあって、本日の二十六日目の坐禅で、再度、意識的に確かめてみた。

正直にいうと、横隔膜を緊張させてグッと下げた状態を保ったまま息を吐く・呼気を続けるのは、熟練がいる。

歌うときのように感情を伴うことなく、それを行うのは私にとって至難の技のようだ。

諦めずに、坐禅で試してみて気づいたことがある。

それは、吐く息は驚くほど細く・極細で息を吐き続けることをしないと、腹筋を使う時間が早まってしまうことであった。

息を吐くというより、悟られないくらいに、密かに微かに僅かにか細く細やかに吐き続けることを求められるようだ。

ここに集中していると、何も考えられなくなる。ひたすら息を殺すかのように吐き続けることになる。

こうした息のあり方が、うまくいくかどうかは、止息と保息といった「間」の取り方にかかってくる。

それが難しい。意識すればするほど、難度が上がる。

 

かくして野口三千三の言葉に還った私であった。

『豊かさとは、ちょっと・すこし・わずか・かすか・ほのか・ささやか・こまやか・・・・、このようなことをさやかに感ずることのできることである』

ウゥーむ、そうなんだ!

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坐禅 ふたたび 二十四日目・二十五日目・・・・呼吸

2019年06月04日 09時14分15秒 | Weblog

昨日は、夜になって体操と坐禅の時間がようやくとれた。

一日の出来事を反芻するような時間になってしまった。

よろしくない。

 

さて、本日は、途中から「呼吸」に集中することができた。

と言ってもまだまだ序の口だ。

どのような呼吸か、明日のために書き出しておきたい。

 

まず、息を吸うときは、肋骨の下六対あたりから膨らませるように、腹式呼吸を始める。

息を吸った最後に腹が膨らむ。

そこで吸うことも吐くこともしない「保息」を行う。

その後に息を吐き始める。

この時は、吸気の時に働いた筋肉・腹式呼吸の場合は「横隔膜」を緩めずに保持しながら、息を吐き始め、しばらくその状態で吐き続ける。最後の段階にきたら、腹筋を絞る感覚で息を吐ききる。

そこで吐くことも吸うこともしない「止息」の間をとる。

しばしの間ののちに、静かに息を吸い込む。

 

試しに胸郭式呼吸・胸式呼吸も行ってみた。

この場合は横隔膜ではなく、肋骨を斜め上方に引き上げ、肺を横に広げるために働く筋肉をつかう。そしてその筋肉を緩めずに息を吐き、腹に落としてから腹筋を緊張させて息を吐ききる、といった方法も入れてみた。

しかし、ほとんど全ては横隔膜呼吸を行っていたのだが。

 

今日のところは、ずべての回でうまくいったわけではない。

それでも100回を数え終わって、その後、回数を数えずに続けていると、次第に意識が今までになく覚醒してくる感じがしてきた。

なんと表現したらよいのだろうか。

野口体操で習った呼吸の知識を使ってみたのだが、これは技術だけの問題ではなさそうだ、と気付かされた。

自分の中のやる気、というか気力というか、先鋭すぎない意識を途絶えさないで、ある一定のリズムの中で持続する呼吸感覚をつかむことのようだ。

熟練が必要だ、ということだけはわかった。

しばらく、続けてみよう。

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会報「早蕨」Vol.5 お分けします

2019年06月02日 10時22分09秒 | Weblog

「野口体操の会」会報「早蕨 SAWARABI」Vol.5 ご入用の方に、お分けいたします。

 今号は珍しい写真満載です。

 

目次

巻頭言 「タコの愛と母の生」羽鳥操

私と野口体操ー「野口三千三との出会いから」佐々木愛

私家版 野口三千三伝−5「教育者と戦争 群馬には帰れない」羽鳥操

NEWS:早蕨塾レポート 第5回「がんとともに生きる」講師 大屋敷純子

野口三千三語録抄:解説 羽鳥操 英訳 戸田ディラン

SAJI's PHOTO GALLERY・編集後記 二階のぶ子

 

発行者:©️野口体操の会

編 集:二階のぶ子

デザイン:佐治嘉隆

Special thanks:岡野浩史 近藤早利 近藤准介

 

ご希望の方は、1冊 300円 送料 1冊 140円を加えてお振込ください。

ゆうちょ 振込口座番号 00110−3−537530

バックナンバーもあります。

詳しくは、当ブログ・コメント、あるいは野口体操公式ホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。

URL http://www.noguchi-taisou.jp

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「野口体操の会」会報『早蕨 SAWARABI』Vol.5

2019年06月02日 09時33分45秒 | Weblog

「野口体操の会」では、会報「早蕨」を年間2冊ずつ発行しています。

5月31日に、2019年度 第3期のVol.5 を会員の方々に発送しました。

昨日、すでに手に取られた方もいらっしゃるようです。

 

おかげさまで、無事に3年目を迎えることができました。

記念号ではありませんが、内容的に削ることができなくて、4ページ分増やしています。

会報づくりに尽力いただいている方々、お読みいただく方々に、この場を借りて感謝を申し上げます。

 

今号の一押しは、文化座代表・俳優の佐々木愛さん「私と野口体操ー野口三千三との出会いから」です。迫力満点の読みものとして、自信を持ってお届けします。

連載「野口三千三伝」では、戦時中の体育教師としての三千三を描きました。

最後に、長くなりますが、以下、私からのメッセージをお読みください。

「私家版」として書き始めた当初から、敗戦後にもたらされた価値観だけで、野口先生の戦中の行動を批判することは、避けようと考えていました。しかし、そこかしこに地雷が埋まっていて、その地雷をでききるだけ避けながら、どこまで個人の思いに踏み込むことが許されるのか、その迷いが常につきまとっていました。

様々な矛盾があり、一筋縄ではいかない現実があって、(力不足で書ききれなかった)複雑な社会のうねりに翻弄される個人として、戦争に積極的に加担していく・いかざるを得ない三千三をみたように思います。

そしてそこから戦後の生き方が問われてくるのですが、「ひたすら反省する教師」と言ったようなステレオタイプの人間として書きたくはない。極端なことをお許しいただけば、弱虫でも臆病でもいい、悪者でもいい、「人が生きる!とはこういうことだ」というような人間像として描きたい、と三千三の足跡を深追いしています。

僭越ないい方ですが、“ 歴史を通して人をみる ” 面白さを、自分のこととして捉える貴重な時間をもらっています。

何れにしても“ とんでもないこと ” に手をつけてしまいました。

「羽鳥さん、ここは違うでしょ!」

厳しいご指摘を受けて、我にかえることができます。

深謝!

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坐禅 ふたたび 二十三日目

2019年06月02日 09時12分58秒 | Weblog

堅い床だと、なぜ、からだの軸が崩れにくいのだろうか。

よく眠ったにも関わらず、今朝は、座りながら睡魔が押し寄せるときがあった。

ふと、気づくと数える数が、真っ白になっている。

ふと、気づくと腹筋に力が入りにくくなっている。

なのに、気持ちは穏やかで、静かな海の波打際にいつような錯覚に陥る。

で、姿勢に気持ちを振り向ける。

骨盤の中心のズレは少ない。

からだは立っている。

全てがゆるされているような、穏やかさの中に、自分も生きているんだ!と。

100の呼吸+無。

それで本日は終了。

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スヌーズレン(Snoezelen)・・・・

2019年06月01日 16時48分48秒 | Weblog

これまでブログで書くたびに間違ってしまっていた「スヌーズレン」という言葉。

ようやく本日、その部屋に入って実体験したことで、間違わずにかけるようになった。

スヌーズレンとは、オランダ語の「スヌッフレン(クンクン匂いを嗅ぐ)」と「ドゥースレン(うとうとする)」を組み合わせた造語である。

重度の知的障害者を魅了する感覚刺激空間を用いて彼らに最適なリラクゼーション活動を提供する実践。またそのプロセスを通して構築されてきた理念でもある、とWikiにあった。

空間にキラキラと輝く揺れる光であったり、天井や床や壁に映像を映し出したり、多彩な色が交錯する空間に、音楽を流す。

母が入所している高齢者施設は、障害者支援施設も併設されていて、毎月送られてくる冊子で、スヌーズレンの部屋があることを知った。

そこで本日、母と一緒にその部屋を体験させていただいた。

初めてその部屋に入るという職員の方と、部屋について詳しい方、二人が一緒にきてくださった。

置かれていた大きめのウォーターベッドは、人気だそうだ。

私も寝そべってみたが、からだが様々な形に変形して、水と戯れることができることを実感した。

自分で動いているという感覚より、水に動かされるという感じだった。

母は、暗闇の中で筒状の透明円柱に水のようなものが入っていて、キラキラ揺れる星屑に「綺麗だー」と声をあげていた。

それは品川アクアパークで、光が落とされた部屋の中で、照明が変化する円柱形の水槽の中でクラゲや魚が泳ぐ姿に魅了されていたのと同様の反応を示していた。私自身も飽きずに何度も水族館を訪ねたくなっていたのは、スヌーズレンを体験できたからかもしれない、と施設の部屋で思い至った。

心地よい揺れ感の中で、細かなものが水に浮かびながら浮遊し、光を放つ。

人は、水と光で、癒されていくのかもしれない。

その上、音楽あり、香りあり、映像あり、生き物を思わせる浮遊感あり、からだを水に浮かべてゆらゆらと揺れる、となると幸福感に満たされるに違いない。

 

さて、朝の光が斜めから入る薄明かり・物音もしない中、静かに坐る刻の体験が二日間続いた。

私の中で、野口体操に通じる何かが見え始めている。

ただ、それが何なのか、まだ明確になっていないもどかしさがある。

実は、そのもどかしさを味わい、楽んでいるようでもあるのだ。

とりとめなく、書いてしまった。

考え続けよう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スヌーズレン

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坐禅 ふたたび 二十二日目

2019年06月01日 10時00分25秒 | Weblog

今朝も蔵前の板敷の上で坐った。

ここは、なかなかいいようだ。

長軸が崩れにくい。

さて、本日は、2003年夏に患った「突発性難聴」右耳から耳鳴りが聞こえてきた。

耳鳴りを忘れて、すでに十数年が経過している。

静かな朝。

呼吸だけを意識の中心に据えていた時のことだった。

何千キロも遠くで鳴っているような、極めて小さな音であった。

吐く息を数えることはそのままに、意識を少しずらして、耳鳴りに聞き耳をたてる。

患った当初から数年間は、耳鳴りに悩まされ、苦痛であった。特に狭い部屋や、反響のきつい部屋、高音が刺すような楽器音等々。

それが今朝は、そのまま耳鳴りを受け入れている自分に気づいた。

症状が軽くなったこともあるかもしれない。そうした自分の状態に慣れた賜物だと思う。

慣れによる事故や、不注意は確かに問題である。

が、突発性難聴の耳鳴りに対する慣れは、生活のQOL維持には、福音をもたらしてくれた。

というわけで、本日も心穏やかに座ることができた。

よき発見の刻と相成りました。

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