羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「ビーズ展」科学博物館と民族学博物館のコラボ

2019年06月18日 09時12分00秒 | Weblog

そもそも木曜日に国立科学博物館に出かけたのは、「ビーズ展」を見るためだった。

国立民族学博物館とのコラボというのは、おそらく初めての試みではないだろうか。

被りもの・首飾り・胴着、現代のものとしては歌舞伎の衣装等々が展示されている。

木の実・花・歯・牙・貝・鉱物・金属、ありとあらゆる自然のものに孔をあけ、そこに紐や糸を通して数珠つなぎにする。

今回の展示では、その素材をそばに置いて見せる、という企画だった。

 

中でも目を惹きつけられたのは、つなぐための紐として、動物の腱が使われ、その実物を見ることができたことだった。

ハムストリング、ひかがみ(膕)の弦。ひかがみ(膕)膝のくぼみ(膝窩)の意味から、腿を表す。そこから加工食品のハムになり、ストリングはモモ肉を吊るす紐として腱が使われた。そこから私たちの「ハムストリング」に転用されていく。

腱は、古代から木の棒に石器(武器)をくくりつけるのに使われた。煮込んで膠としても利用されたのである。

 

今回は、ビーズを繋げるためにに使われた「腱の束」を見ることができたことは貴重なことだった。

ガラスケースの中に、麻紐にそっくりな様相の乾燥した動物の腱が展示してあったから。

この紐を使ってビーズをつなぐ様子がビデオで見ることもできた。

実際、触れてみたかった。

外側に現れるものを下支えする紐・糸、これがなければ全てが始まらないのだから。

 

帰宅して、アキレス腱以外の自分の足や腕の腱に触れてみた。

ぴーんと張っていて、骨とは異なる強靭さがあることを始めて実感した。

日曜日の朝日カルチャー野口体操講座では、理学療法士の方の指導のもと、腱に触っていただいた。

「からだって、すごい!」

大方の方の感想だった。

野球選手の肘の手術に、手首の腱から一部をごく短く取って、移植する話も伺った。

それは、畜産の盛んな欧米人の発想に違いない、と思ったりもした。

 

コラボ「ビーズ展」で、人類は自然のあらゆるものを生かしながら、文化を文明を築いてきた、その一つの象徴が「ビーズ」であることを改めて見せてもらった。

野口がいう「装身具を身につけることは、神仏に対する祈りであり、貞く(きく)ことである。」

きわめて厳粛不可欠また豪奢華麗な行為である。・・・・しかし・・・・

 

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坐禅 ふたたび 三十七日目・・・・なつぞら

2019年06月18日 08時57分47秒 | Weblog

今日は乱れた。

呼吸を数え始めて、10回にもならないときから、胸が締め付けられ涙が溢れた。

今週に入ってからの「なつぞら」から、思い出される様々なことが、呼吸を乱れさせる。

昭和30年代の始め、私は小学校低学年だった。

あの頃はまだまだ戦争の傷が、いたるところにあって、それは痕迹ではなく、血が出るような生々しさがあった。

親族同士、赤の他人同士、ご近所の人同士の中には、何気無く気遣う人情があったように思う。

戦後、生き残った男も女も皆傷ついていた。人の傷の痛みが、自分の痛みとして感じられるところからの人情だった。

子供であっても、それはわかった。

 

何だが溢れて止まらない、もう一つのわけは、不幸な結婚をした妹への母の思いが、主人公なつと重なった。

その母を包み死ぬまで優しかった父のことを思い出した。

 

そのほかにも、戦争によって境遇が変わったことで、よからぬ道に走った人も、真面目に生きようとした人も、絶望のままの人も、様々な人がいたことを思いだした。

 

座りながら、呼吸が乱れた。

それでも回数を数え続けた。

そして、最後の10回だけは、気持ちを落ち着けるように、ゆっくり静かにただひたすら、数えて終えた。

こういう日もあるのだ。

久しぶりに私自身が受けてきた、人の情のあたたかさがからだのうちに溢れるのを感じていた。

生きるって切ない・・・・・

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