羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

……三月別れ月……

2008年03月02日 09時04分14秒 | Weblog
『二月逃げ月、三月去る月、別れ月』
 本日の朝刊・日経新聞文化欄に出久根達郎さんが書かれたエッセーの始まりの言葉だ。
 この文字を目にした瞬間、久しぶりに言葉に心が揺らぐのを感じることができた。
 というのもこの数週間は、初稿ゲラ・再校ゲラの校正や訂正や削除や加筆に神経を集中していて、言葉から愛着が薄れていっていたから。

「二月逃げ月、三月去る月、別れ月」というリズムのよさもさることながら、そこから喚起されることがあった。

 ……人が別れを決める瞬間って、不用意に投げかけられた一言だったりする……
 お互いを傷つけあっていても、「この言葉はこうした真意があってのことだから許してあげよう」と、感情のトンガリを少しずつ削っていくのだけれど、それがたまり溜まってきたある日‘我慢もここまで!’と、体が冷えることがある。
 当然、逆もあるわけで……。

 それって若いときよ、って最近は思っていた。
 ところが、来年は還暦の我身にも、おさめどころが見つからない言葉に出くわした。出会い頭の衝突ってわけではなかったけれど。

「なるほどね」一人で納得して、‘三月去る月、別れ月’本来の意味を逸脱させて唱えながら「私も、まだ、若かった」と苦笑した。

 人は言葉で勇気づけられ、言葉で喜ばされ、言葉で傷つき、しなくてもいい諍いに大切なものを失うことがある。

 そういえば最近グッと迫った言葉がある。
「浦じまい」だ。
 捜索を打ち切る決断をし、海に向かって五百人もの人々が一斉に祈る。
 こちら側の一人ひとりが明らかに見ている現実への目は鋭い。
コメント
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