羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

我が青春……幻影の人

2008年03月06日 07時56分40秒 | Weblog
 昨日のフランス象徴詩に誘ってくれた人は、高校の国語の先生だった。
 ‘詩=ポエム’の世界だけでなく、ことばの世界に導いていただいたと思っている。
 で、フランス象徴詩から、今日の写真の西脇順三郎へと、つながっていったのだった。文芸知の巨人にして詩人。日本にはいままでにない詩人が生まれた土壌について、国語の先生は熱く語った。

  永劫の根に触れ
  心の鶉の鳴く
  野ばらの乱れ咲く野末
  砧の音する村
  ………
  (中略)
  
  幻影の人は去る
  永劫の旅人は帰らず

 この詩を大事そうに読んでくださった授業は、私の心に底知れぬ闇が存在することに気づかせてくれた。
「今は、そのままでいい」
 と教えてくれる授業は、果たして国語の授業だったのだろうか。

 西は、ギリシャ悲劇、ダンテの神曲、飛んでサルトルだ。
 日出る国は、折口民俗学つまり釈超空の歌に照らした万葉集、そこから古今・新古今、芭蕉へと授業はすすめられた。
 なぜか私の記憶のなかからは、漢詩が抜けているのだけれど。
 
 十代のうら若き乙女の感性には、媚薬過ぎた。
 で、二十代になった私が、自分の足で到達したところは永井荷風だったのだ。笑っちゃいますね。(これには深い理由と事情があるのです)

 結局、国語の先生が伝えたかったことは超自然の中での‘人間存在’を探れ、ってことではなかったのかしら、と今になって思ったりしている。
 西脇没後に出版された『幻影の人 西脇順三郎を語る』西脇順三郎を偲ぶ会[編]恒文社にこのような記述がある。

……日本では一般に悲劇のほうが高級だと思われているけれど、もっと深く人生を把握すると、それはコメディー、諧謔的なものの方がもう少し上等の文学なのだと、そういうことを西脇さんに教えられた。
  西脇さんは「存在の寂しさ」ということと同時に、一方で「存在のおかしみ」ということを繰り返し言われています。……

 どこをどう迷ったのか、野口体操のけもの道に迷い込んでしもうた!
 ‘蛇の道は蛇’かもね。

 *********

 4月8日で還暦のひとつ手前に立つ自分が、生まれてはじめて‘自分の死’を意識した。あぁ~そうか、私も死ぬのだ、と。
 
コメント (2)
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