音大の附属高校にあった図書館には、レコードのコレクションが別室に保管されていた。
当時はLPレコードの時代である。
棚にはコメディーフランセーズの役者が朗読する「フランス象徴詩」のレコードがしまわれていた。
このレコードは学生に貸し出せたものだったか、そうでなかったかは忘れてしまった。もしかすると国語先生の許可をいただいて借り出したかもしれないし、図書館の司書の先生と仲良くなっって借りられたものだったかもしれない。
記憶が曖昧になっている。なにしろ40年以上も前のことだから。
レコードを借り出して、小さな講堂に備えてあった蓄音機で再生し、なかなか音のいいスピーカーで聴く機会を持つことができたのだ。
だいたい午後の授業時間に、作曲を専攻していた友達と二人で示し合わせて抜け出し、事前に借りてあった「ポエム」を聴く。時に、授業のない倫理の先生がふらりとやってこられて、一緒に聞くこともあった。彼は私たちを咎めるどころか、「いいねぇ~」と溜め息を漏らしながら、‘象徴詩’にまつわる話から広く‘美学’にまで話が及んで、ますます私たちの芸術心に火をつけていった。
マラルメ・ランボー・ボードレール、フランス語で聴く、という喜び。
わかる・わからないはどっちでもよかった。
その頃は、とりあえずフランス語の音の響きやリズムに酔えばそれでよかった。
この写真は『ヴァレリーの世界』高橋廣江著生活社刊 昭和十八年版である。
今、手元に置いて、戦争が激しくなる時代にこのような本が出版されたということに驚きを感じている。定価が二圓六銭と奥付にある。
ある日、高円寺の高架下にある都丸書店の人文系の店で見つけた。(本店は政治・経済に関する本)
なんと表紙を開くと、ヴァレリーの死亡記事が貼り付けてあった。
手書きで‘昭和二十年七月信毎’とある。おそらく‘信濃毎日’の略ではないだろうか。
迷わずレジへ向かった私の胸は高鳴っていた。
もう一冊、青春の思い出の本がある。
『フランス近代詩評釋』内藤濯著 白水社1951年版である。
フランス語による原詩があって、次に日本語による訳があり、次に短い評論がついているもので、はじめてフランス語で詩を読んでみようとする人への手引きにもなっている。
近代と銘打っているが、高踏派から現代にいたる十五人の作品を同じ形式で紹介している本である。
最後がヴァレリーの「Le vin perdu (失われし酒)」である。
ある日われ、大海に、
いづこの空の下なりしか、今ははや忘れぬれど、
虚無に献ぐる心にて、
美酒すこし、ただすこし流したり。
から始まる。
美酒すこし失いたれど、青波の酔ひて湛へし美しさ。
われは見つ、いと深き物の象の、
吹く風の苦きなかに跳ね躍るを……
この詩が好きだった。
この詩に酔いつつ、1975年、扉を開けたのは野口体操の教室だった。
そこに野口三千三がいた。
いつしか、この‘失われし酒’に導かれるように、私のなかで如何にして、野口身体哲学と体操を、後の世に残すことが出来るのだろうかと真剣に考えるようになっていった。私のなかで、フランス文化が野口体操に置き換えられていくのにそれほどの時間はかからなかった。
それから30年の歳月が流れた。
久しぶりにこの二冊を手元において、青春の日々を手繰り寄せた午後は、なんとなく気分がいい。
当時はLPレコードの時代である。
棚にはコメディーフランセーズの役者が朗読する「フランス象徴詩」のレコードがしまわれていた。
このレコードは学生に貸し出せたものだったか、そうでなかったかは忘れてしまった。もしかすると国語先生の許可をいただいて借り出したかもしれないし、図書館の司書の先生と仲良くなっって借りられたものだったかもしれない。
記憶が曖昧になっている。なにしろ40年以上も前のことだから。
レコードを借り出して、小さな講堂に備えてあった蓄音機で再生し、なかなか音のいいスピーカーで聴く機会を持つことができたのだ。
だいたい午後の授業時間に、作曲を専攻していた友達と二人で示し合わせて抜け出し、事前に借りてあった「ポエム」を聴く。時に、授業のない倫理の先生がふらりとやってこられて、一緒に聞くこともあった。彼は私たちを咎めるどころか、「いいねぇ~」と溜め息を漏らしながら、‘象徴詩’にまつわる話から広く‘美学’にまで話が及んで、ますます私たちの芸術心に火をつけていった。
マラルメ・ランボー・ボードレール、フランス語で聴く、という喜び。
わかる・わからないはどっちでもよかった。
その頃は、とりあえずフランス語の音の響きやリズムに酔えばそれでよかった。
この写真は『ヴァレリーの世界』高橋廣江著生活社刊 昭和十八年版である。
今、手元に置いて、戦争が激しくなる時代にこのような本が出版されたということに驚きを感じている。定価が二圓六銭と奥付にある。
ある日、高円寺の高架下にある都丸書店の人文系の店で見つけた。(本店は政治・経済に関する本)
なんと表紙を開くと、ヴァレリーの死亡記事が貼り付けてあった。
手書きで‘昭和二十年七月信毎’とある。おそらく‘信濃毎日’の略ではないだろうか。
迷わずレジへ向かった私の胸は高鳴っていた。
もう一冊、青春の思い出の本がある。
『フランス近代詩評釋』内藤濯著 白水社1951年版である。
フランス語による原詩があって、次に日本語による訳があり、次に短い評論がついているもので、はじめてフランス語で詩を読んでみようとする人への手引きにもなっている。
近代と銘打っているが、高踏派から現代にいたる十五人の作品を同じ形式で紹介している本である。
最後がヴァレリーの「Le vin perdu (失われし酒)」である。
ある日われ、大海に、
いづこの空の下なりしか、今ははや忘れぬれど、
虚無に献ぐる心にて、
美酒すこし、ただすこし流したり。
から始まる。
美酒すこし失いたれど、青波の酔ひて湛へし美しさ。
われは見つ、いと深き物の象の、
吹く風の苦きなかに跳ね躍るを……
この詩が好きだった。
この詩に酔いつつ、1975年、扉を開けたのは野口体操の教室だった。
そこに野口三千三がいた。
いつしか、この‘失われし酒’に導かれるように、私のなかで如何にして、野口身体哲学と体操を、後の世に残すことが出来るのだろうかと真剣に考えるようになっていった。私のなかで、フランス文化が野口体操に置き換えられていくのにそれほどの時間はかからなかった。
それから30年の歳月が流れた。
久しぶりにこの二冊を手元において、青春の日々を手繰り寄せた午後は、なんとなく気分がいい。