いつもの時間に、新宿駅ホームに降り立った。
日はとっぷりと暮れている。
とにかく長いホームを歩いて、乗り換える。湘南新宿ラインは、ほとんど代々木なのだから。
そそくさと家路を急ぐには、わけがあった。
一刻もはやく家に帰り着きたかった。
小学生のころ、同じような体験をしたことがある。
高校生のころにも、似たようなときめきを胸に、家路を急いだ記憶がよみがえる。
小学生のときは、「必ずお稽古をする」という父との約束で買ってもらえたピアノが届く日だった。
高校生のときは、すでに音大の付属に通っていて、グランドピアノが届く日だった。
で、今日は新しいテレビが届いている日。
2・3ヶ月前に、リモコンがきかなくなり、写りも悪くなり始めていた。
そもそも何年も前から、フィギャスケートのときに音楽が途切れたり、ピアノのレッスンの時には楽譜が映ると音がなくなったり、中継のときに音楽が鳴ると音声が切れていたテレビだから、地デジの11年までは待てないことは明白だった。
それでも、「もう少し待とう」と我慢をしていたが、昨日、電気屋で機種を決めてきた。
それが届いているはずだった。
玄関ドアを開けるや否や、部屋に飛び込んだ。
「やぁ、よく映るわね」
大画面でないので、液晶にした。
何が美しいって「黒」が美しい。
「今まで暗い場面は見えなかったのに、これなら大丈夫ね」
来年のお正月は、なんだかテレビに釘付けになりそうな嫌な予感がしている。
つい先ほど、バトミントンの先生と話をしたことを思い出して思わず苦笑してしまった。
「子供のころは街頭テレビがあって、人だかりがしてたんですよ」
「ちょっと待ってください。いつのころのはなし?」
「。。。。。。。」
「で、家には結構はやめにテレビがあって、ご近所の人が見に来てたの。特にプロレス中継の日は、大変だったわ」
「へー、その時代を知ってるわけですね。話には聞いてますが」
テレビも電話も一人一台の時代になってしまった。
昔を語っても「へー」「ふぅ~ん」という時代だ。
私も年をとったわけだ。
ということで、しばらくものめずらしくテレビを見ることになりそうだ。
日はとっぷりと暮れている。
とにかく長いホームを歩いて、乗り換える。湘南新宿ラインは、ほとんど代々木なのだから。
そそくさと家路を急ぐには、わけがあった。
一刻もはやく家に帰り着きたかった。
小学生のころ、同じような体験をしたことがある。
高校生のころにも、似たようなときめきを胸に、家路を急いだ記憶がよみがえる。
小学生のときは、「必ずお稽古をする」という父との約束で買ってもらえたピアノが届く日だった。
高校生のときは、すでに音大の付属に通っていて、グランドピアノが届く日だった。
で、今日は新しいテレビが届いている日。
2・3ヶ月前に、リモコンがきかなくなり、写りも悪くなり始めていた。
そもそも何年も前から、フィギャスケートのときに音楽が途切れたり、ピアノのレッスンの時には楽譜が映ると音がなくなったり、中継のときに音楽が鳴ると音声が切れていたテレビだから、地デジの11年までは待てないことは明白だった。
それでも、「もう少し待とう」と我慢をしていたが、昨日、電気屋で機種を決めてきた。
それが届いているはずだった。
玄関ドアを開けるや否や、部屋に飛び込んだ。
「やぁ、よく映るわね」
大画面でないので、液晶にした。
何が美しいって「黒」が美しい。
「今まで暗い場面は見えなかったのに、これなら大丈夫ね」
来年のお正月は、なんだかテレビに釘付けになりそうな嫌な予感がしている。
つい先ほど、バトミントンの先生と話をしたことを思い出して思わず苦笑してしまった。
「子供のころは街頭テレビがあって、人だかりがしてたんですよ」
「ちょっと待ってください。いつのころのはなし?」
「。。。。。。。」
「で、家には結構はやめにテレビがあって、ご近所の人が見に来てたの。特にプロレス中継の日は、大変だったわ」
「へー、その時代を知ってるわけですね。話には聞いてますが」
テレビも電話も一人一台の時代になってしまった。
昔を語っても「へー」「ふぅ~ん」という時代だ。
私も年をとったわけだ。
ということで、しばらくものめずらしくテレビを見ることになりそうだ。