羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

若き日の思い出…心の香辛料

2006年12月31日 18時25分52秒 | Weblog
 早朝、電話が鳴った。
「○○病院ですが、すぐこちらにいらしていただけますか」
 父が大腸癌の手術を受け、集中治療室から戻った日のことだった。
 麻酔の切れが悪くて、正気に戻らなかった。
「一日、そばにいて話しかけてください。家族でないと、戻らないんです」

 その日は、父に付き添って、昼食も病室で食べた。
 父の言動は、おかしかった。
 困った私は看護婦さんに伺った。
「昔の話を話してください」

 家族しか知らない、話を引き出すのだそうだ。
 午後になると、少しずつ変化が見られた。夜、消灯ぎりぎりまで粘って、とにかく話を聞き、私からも話題を提供した。
 
 翌朝、病室に入ってみると、新聞を読んでいる父は、昨日は何事もなかったかのように落ち着いていた。
「そんなおかしなことを言ってたのかねぇ~」

 実は、81歳になる母が、最近になって急に気力を失いかけてきた。
「テレビのおもりしているうちに、テレビにおもりされているの」
 うたた寝をすることが多くなったという。
「未来はないし。からだが動かなくなったら、どうしよう」

 ここでなんとかしなければ、と思い出したのが、麻酔が切れなかったときの父のことだった。
 そこで、お正月に向けて、暮の28日に「正月のしつらえ」を行った。
 凧・独楽に加えて、というより、それと気づかれないように、羽子板を飾った。
 これは父方・母方から、私が1歳になる歳の正月に贈られた羽子板だ。
 本人は、なにせ1歳だから、戴いたときの鮮明な記憶はほとんどない。
 ただし、当時、母は25歳だった。
 羽子板を前にして、若き日の思い出が、一気によみがえってきたらしい。
「正解だった」と心の中で呟いた。

「大きい方の羽子板は、私の実家から贈られたのよ。昭和25年よね」
 自慢げに見える母。
「えぇ~、56年前の羽子板ってわけ」
「おばあちゃんと三越に行って選んだものなの。戦後もまだ間もないころだったでしょ、最後の一つだったわ。ほんとに物が無かった時代だものね」
 
 大きい方の羽子板をよく見ると、簪が片方なくなっている。そこで子供のころに、毎年お正月には日本髪を結っていたことを思い出した。
「きっと簪が残っているはずだ」
 案の定、洋服箱にいくつもの簪がしまわれていた。その中から、藤の簪を選んで、向かって右に挿してみた。
 それを見た母は、大きな声をたてて笑った。

 お年寄りにとっても、麻酔の切れが悪い術後の患者にとっても、若き日の思い出は、「若い」ということだけで力になるのね! 

 そして、「節句行事」というのは、日々の暮らしの「こころの香辛料」なのだと気づいた。
コメント (2)
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