羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

来年のカレンダー

2006年12月07日 08時18分42秒 | Weblog
 毎年、同じ方から、カレンダーをいただく。
 平凡社「白川静・漢字暦」は、佐治嘉隆さんからいただく話を11月はじめのブログに書いたと思う。
 
 昨日、帰宅するともう一つのカレンダーが、居間のちゃぶ台の上に乗っていた。 これは、書き込みが十分できる実用のカレンダーだ。
 全体の大きさは、横:52センチ、縦:76センチ。
 一日分のマスは、横:7センチ、縦:10センチ。
 これは、重宝していて、居間にかけてある。
 出かける場所の頭文字を枠のなかに書き込む。

 野口三千三先生も、これに似たカレンダーを使っておられた。
「年をとると、悲しいことに、曜日と日にちを間違えることが多くなるのよ」
 そう呟きながら、野口先生は大きな字で、書き込みをしていらっしゃった。

 さて、今年も最後の一枚のカレンダーを見つめながら、来年は、還暦まであと2年だと思うと、急に年をとったような気がしてくる。
 整理をしておきたいと思いつつ、のびのびになっているものやことを、脳の黒板に書き出して、出るのはため息ばかり。
 不思議なことに、若いときにはできなかったことが、たくさんあることに気づき愕然とする。
 と同時に、その年にならないと、その年の気持ちはわからない。本当にそうだと思う。

 野口先生は83歳まで、体操のレッスンを続けられた。還暦が近づいたなんて思うと、以前にも増して、野口先生が身体の底から漲る力を最後まで失われなかったことに驚嘆している。
 その当時の自分には、これほど痛切に「凄さ」を感じることはできなかった、と今になって思える。

 そうそう、思い出すことばがある。
 京都清水寺の故大西良慶管長は、100歳を超えて亡くなられたが、「60・70は洟垂れ小僧」と豪語され、70歳過ぎて、はじめてのお子を授かっていらっしゃった。
 ご子息は、私と同い年。
 若き日に、清水寺にお世話になった時にお目にかかって知ったことだった。

 悲喜こもごも。
 思い出も蘇って、カレンダーから年末に喚起されるものは多い。
 
 こうして若き日を思い出すと、赤くなったり・青くなったり。
 後悔もまた、懐かしく。
コメント
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