羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

年をとればとるほどやわらかくなる

2006年02月19日 10時06分48秒 | Weblog
 2月11日は、建国記念日だったので、土曜日のクラスは休みだった。
「休みは嫌い」
 野口先生がたびたびおしゃっていたことだ。
 一週間抜けただけで、半月会わないことになる。体操にしてもピアノにしても、つまり身体の動きを伴うものは、一週間というコンスタントな稽古のペースは、とても大事なことだ。これがずれると、軌道修正に手間がかかることになる。

 昔、駅の改札では切符を切る駅員さんがいた。上手な人は鋏を動かし続けて、通り抜ける乗客の切符にタイミングよく鋏を入れていた。どんなに混雑しても列の動きが滞らない。逆に次の人がやってくるのに、間があったとしても実にスムーズに改札していた。

 これって動きの原理だ。止まらないこと、滞らないこと、流れを遮らないこと。
レッスンも同様で、あることを身につけたいと思ったら、とにもかくにも休まないことしかない。教える側も休みが入ると、調子が取り戻せないし、それまでにやってきたとことの記憶が薄れて、スタート地点に戻るような感じする。

 さて、昨日の「逆立ち」稽古だが、なんとなくグルーピングができたようだ。お互いの呼吸が合う人が自然に練習をしている。毎回、一人・二人くらいの方が
「あっぁ、逆立ちになちゃった」
 自分でも不思議なくらい唖然としておられる方が出現している。
「きょうは、なんとなく一歩進んだ感じだ」
 そうした感想も聞かれた。

 昨日、皆さんにご覧にいれた野口先生の上半身はだかの逆立ち写真は、「この紋どころが目に入らぬか」といいたいくらいに、肩がのびのびしている。まっすぐなのだ。その写真からのイメージはかなり鮮烈だったようだ。この写真は、70代の先生だと思う。ご自宅の狭い空間で、逆立ちを稽古されておられた先生を、私が撮ったものだ。ネガを紛失してしまったので、正確な日付がわからない。しかし、後ろに写っている冷蔵庫が、大きくなってからのものだから70代だ。

 肩の柔らかさは、歳をとってからでも変化するもののようだ。それだけではない「やすらぎの動き」と名づけた、一般的には開脚長座で上体を床に任せる足腰のストレッチといわれるものも、本気でやり直されたのは、60代も半ばになってからで、ほんとうに力が抜けるようになったのは、70代の後半だった。

「年をとればとるほどやわらかくなる。やわらかさとは変化の可能性の豊かさ」
 先生の言葉だが、ぼけない限り人間は、変化することを実証された。あるイメージを持つこと。こうなりたいという思いを抱くこと。そして毎日焦らず少しずつ稽古を積むこと。これに尽きる。

 人は変わる。良くも悪くも変わる可能性を誰もが持っている。
 くれぐれも方向をまちがわないように! 
コメント (1)
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