羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

斑入りの椿

2006年02月01日 12時07分58秒 | Weblog
 野口三千三先生の庭には、何種類かの椿があった。
 秋、早い時期に咲き始めるのは、淡い桜色の山茶花だ。
 それから年が改まって、侘び助が端正な面差しを見せてくれる。
 同じようにすこし小ぶりだが、深紅の色を見せてくれるのが原種にちかい椿だった。

 さて、2月過ぎから3月にかけて、とくに見事な大輪を咲かせるのは、園芸種の斑入りの椿だ。地の色はサーモンピンクに近い。そこに縦の絞り染めのような白い斑が、花一輪ずつ異なる文様を描き出している椿が2本植えられていた。
 おたずねした時、先生が我が家にお見えになるとき、この時期のお土産は、必ずこの花だった。脚立にのって、開き始めた花や、蕾の状態のもの、見事に開いたものなど、取り混ぜていただいていた。

 何でも「緑の手」という言葉があるそうだ。植物を育てるのが、とても上手な人をさすらしい。こればかりは、誰でも上手くいくということではない。愛情があれば育つのか、ということでもなさそうだ。

 思い起こせば、8年前のこの時期も、見事に斑入りの椿が咲き誇っていた。
 その年、2月中旬過ぎに、先生は2度目の入院を余儀なくされた。
 この入院は、人生、最後の入院となってしまった。
 ある日、少しでも慰めにと思い立ち、先生のお庭から椿の枝を切って、病院にお持ちした。とてもお好きだった椿が、今年もこんなにきれいに咲いたことを、見せて差し上げたかった。その一心だった。
 病室に入って、持っていった花瓶に花を活け、ベッドのそばにある移動テーブルに乗せた。
「先生、今年も咲きました」
 嬉しいそうなお顔が見られることを予想していた私の思いは、そのとき覆された。
 先生は、その花に一瞥を投げかけただけで、ほとんど関心を示されなかった。
 
 それは、早晩、来るものが来ることを悟った瞬間だった。
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