羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

逆立ち歩き

2006年02月06日 09時08分45秒 | Weblog
 昨日のブログに、思わず奇跡と書いてしまった。
 いや、私自身も逆立ちができるようになるなんて、思ってもいなかった一人だ。
 イメージとからだの柔らかさと、重さの軸をからだに感じること、挙げたらきりがないが、そうしたことが直感的に感じられるからだになっていったということかもしれない。
 
 さて、野口先生と「逆立ち」の関係は、戦前に遡る。
 戦前の師範学校を卒業したものは、28歳になるまで義務として小学校の教師をすることになっていたそうだ。
 昭和11年に群馬県の小学校に赴任された。
 授業では、理科や体育を総合的に合わせて、例えば「鉄棒運動」の原理を理科的に説明したり、グループを作って共同で教えあうような授業形態を考えたり、そういった意味では、非常に新しい授業をしておられた。

 そうした授業のなかで「逆立ち」や「鉄棒」は、皆が楽しくて仕方がなかったらしい。校庭の端から端まで、野口先生を先頭に子供たちがあとについて「逆立ち歩き」をしたそうだ。
 で、逆立ちの基本は、立ち続けることではなく、歩くことだと話されていた。
 何が大事か、つまり「バランス」、重さを移動することだと。力で固定してそこに立つのではなく、バランス感覚で立っていることだと。
 この考えは、おそらく一生を貫いていること。

 そして先生が受け持ったクラスでは、どんなに運動が不得意の子供でも、皆が協力して鉄棒や逆立ちができるようになったらしい。それもただできることが大事ではなく、怪我をさせなかったということが、一つの誇りでいらした。

 それがそのまま大人の教室には当てはまりにくいが、私のことを振り返ってみると、素直に重さが生かされる在り方がつかめると、そうとうな運動音痴でも、逆立ちも夢ではないといえるようだ。
 最初は、地獄の一丁目にでも落ちるようだったが、それが天国へのぼる一歩って感じ?!だろうか。
 
 今週は、土曜日が休みで、とても残念だ。
コメント
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